拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

>>全文はコチラ
2008年12月14日日曜日
教唆(そそのかし)犯は正犯と同罪(追記あり)

西村修平さんの裁判で、東村山署の元副署長さん達の名誉を毀損した件について、それを信じる根拠の大半が詐称ジャーナリストの瀬戸さん(以下、セトさんと表記します。)によるもので、セトさんが主催する街宣でセトさんも名誉毀損にあたる表示をすることを承知していたとなると、共犯、教唆の類と看做されるでしょうね。

といいますか、東村山関連の訴訟の大半はセトさんが共犯、教唆と取られてもおかしくない状況です。

ここまでは当然の事ですが、そのセトさんをそそのかしているのは誰か?ということになると、ほぼ間違いなく矢野市議でしょう。あと、朝木市議もそこに名前を連ねることになるのかも知れません。

ブログマガジン エアフォースより引用

矢野  さきほどちょっとお話しした万引きに関しては、具体的な関係者がいるわけです。で、この前の9月1日に、あの東村山においでになったみなさんの○○(実名)洋品店の前に行っただけで千葉元副署長とさっき名前が出た創価系のライターが、とうせんぼするとかガードに入るわけです。どうしてそういう態度に出るかというとですねえ、私の判断では、○○洋品店(実名)の洋品店主はおそらく創価学会そのものの、いわゆるシナリオ実行部隊ではないように思うんですよ。

 で、そうすると、一番弱い、そこへみなさんが抗議の声を、ちょっと距離が離れていても届けると、それだけで千葉元副署長は自分の書類送致をして、誤認送致をしたあとのその後の状況ってのは非常に不安ですよね。どこかでボロが出たり、どこかで真相を主張するような人が出てくると困るわけですよ。したがって、ああいうふうな千葉副署長自らがですねえ、洋品店のガードマンをやってのこのこと腹を突き出して、ガードに入るみたいなことをやるわけですねえ。

 したがって、これから先は具体的にはお話しはいたしませんが、一番弱い、そして一番効果的なところをお考えになって、事件の真相が解明するようなですね、たとえば東村山事件であればですね、そういう行動をお取りになっていただくと非常に効果的かなあというふうに思います。

 えー、千葉副署長は誤認送検の最大の責任者ですし、それから洋品店主については、それについて加担をその後しているわけですから、書類送致前はひょっとしたら自覚的じゃなかったかもしれない。ところが、証人尋問をしたり千葉副署長といろいろ会話をすれば、事実がどうだったのかということはもうすでにわかっているはずですから、そういったことについて、その部分についてですね、抗議をするないしは意見を聞き出していくということをおやりになるとですねえ、具体的な効果は絶大ではないかと思います。それは東村山警察に対しても同じだとおもいます。

 ちょっと気になる部分があるかもしれませんが、1人でも2人でもそういう声が届くことは彼らにとっても、とてもつらいことになるんじゃないかと思います。

「9月1日に、あの東村山においでになったみなさんの○○(実名)洋品店の前に行っただけで・・・」とは、明らかに襲撃事件の実行犯を含む団体様への語りかけです。しかも、洋品店の前に行っただけではありませんでした。散々にお店の名誉を傷つける行為をしたことをなかった事にしようとしています。

最後まで、元副署長さんを店主だと誤解したまま罵詈雑言を浴びせていましたので、「千葉元副署長とさっき名前が出た創価系のライターが、とうせんぼするとかガードに入るわけです。どうしてそういう態度に出るかというとですねえ」と仰られても、店主が浴びるはずだった不当な罵詈雑言を肩代わりしただけじゃないんですか?と。

矢野市議は、あの不法行為に肩入れし、その不当な攻撃から一般市民を守ろうとした人たちにケチをつけようと必死です。このロジックは完全に破綻しています。

発言全体を見ると、こんなところでしょうか・・・

・洋品店は一番ボロが出やすい弱いところだからガードしようとする人がいる
・一番弱いところに抗議して下さい

聞き手がこのような文脈だと解釈したら、洋品店が更なる不当な攻撃に晒されるのは当然ですね。矢野さんがそういう趣旨の発言でないと後で言い訳しても、このように聞き手が受け取って犯行に移れば、残念ながら言い逃れ不能です。

「これから先は具体的にはお話しはいたしませんが・・・」というのは、教唆の罪に問われることを避けたいためのものだと思いますが、これでは甘いです。洋品店襲撃を、ガードした側が悪いという文脈で紹介することで、あの襲撃は問題なかった、同等の抗議を再び行っても良いという誤解を襲撃犯たちにさせた。しかも、洋品店はボロが出やすい弱い部分で、弱いところを攻撃しろという構成になっている以上、あの場で聞いていた襲撃犯は、また何らかの形で攻撃しようと決意する可能性が高いです。

せめて、「前回のようなトラブルは避けて・・・」くらいの事は言っておくべきでした。あれを全肯定するかのような発言に添えて、弱い部分=洋品店を攻撃しろと仰ったわけですし、「いわゆるシナリオ実行部隊ではないように思う」相手に前回のような抗議は当然許されないということが分からないんでしょうか?

矢野市議は自己責任で考えて動けと仰ったつもりでしょうが、アレでは教唆の罪で、正犯と同じ量刑や賠償責任を負うことになるでしょう。教唆の罪は、実行犯に犯行を決意させ、それを促す行為全般(発言以外の方法も含む)に科せられるものですから。

セトさんだけでうまく足切りして、自分は無傷というわけには行かないことを認識なさった方がいいです。西村さんやセトさんはセッセと動画をupしますから、証拠は多くの人の目に触れています。

関係ありそうな法律をいくつか並べておきますので、ご参考にどうぞ。

民法
第七百十九条   【共同不法行為者の責任】
第一項 数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする。
第二項 行為者を教唆した者及び幇助した者は、共同行為者とみなして、前項の規定を適用する。


刑法
第六十条   【 共同正犯 】
二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。
 
第六十一条   【 教唆 】
第一項 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。
第二項 教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。
 
第六十二条   【 幇助 】
第一項 正犯を幇助した者は、従犯とする。
第二項 従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。
 
第六十三条   【 従犯減軽 】
従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。
 
第六十四条   【 教唆及び幇助の処罰の制限 】
拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しない。
 
第六十五条   【 身分犯の共犯 】
第一項 犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。
第二項 身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。

ちなみに、以前も指摘していますが、 故朝木さんの転落死が時効切れ前に再捜査決定になった場合、刑事事件の証人になり得る洋品店店主への度重なる脅迫行為は、『証人威迫の罪』に問われるような性質のものです。お分かりですか?

【追記】
セトさんや矢野市議が教唆を繰り返した結果、洋品店への嫌がらせは今も続いているとの事です。各方面から怒りの声が上がっていますが、これについてどう考えているのか、セトさんも矢野市議もきちんと表明する責務があると思われます。

自分達がやった事によって起こった問題を「オレのせいじゃない」なんて言えないと思います。そんな事をしたら、セトさんや矢野市議を信じて『行動』した人たちは鉄砲玉だったことになります。『洋品店が悪いから・・・』等と言えば、それこそ教唆が決定打になりますから、セトさんがチキンならきっと黙ってやり過ごすでしょう。

自分達は勇ましく戦っていると普段は必死に宣伝しているのに、最近は東村山関連のエントリーもほとんど立てられなくなりましたし。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年12月7日日曜日
詐称ジャーナリストの正体は悪質な煽動家

詐称ジャーナリスト瀬戸弘幸さん(以下、セトさんと表記します。)の歪曲報道により、一般市民が営業する洋品店が襲撃された事件について、ここで再度検証していきます。

2008年08月16日の以下の記事にまず目を通して下さい。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:朝木明代元東村山市議殺害事件より引用

 最初に断っておきますが、この万引き事件などは疑わしいの一言に尽きます。
 7月12日に朝木さんは創価学会の信者と思われる東村山駅前の洋品店から1900円の上下のシャツを一枚万引きしたとして東村山警察署に訴えられた。

 しかし、朝木さんはこれを自分を陥れるために創価学会が仕組んだ事件であり「事件はまったくのでっち上げであり、自分はその時には別の場所にいた」とアリバイまで主張していたのです。
 そして、この洋品店の店主を逆に告訴までしています。

前後もきちんと読みたい人は原文を読むようにして下さい。

出来るだけ簡略化して書くと、こんな構成です。

『AはBが万引きしたとして被害届けを出した。Bはアリバイがありでっち上げだとしてAを訴えた。』


しかし、これは明らかな歪曲記事でした。実際にはこうです。

『AはBが万引きしたとして被害届けを出した。Bはアリバイがありでっち上げだとしてAを訴えたが敗訴し、Aの正当性が確認された。


訴訟があった事を調べていて、しかもアリバイ問題や、その他疑問点をこの後に続けて書きたてています(※ただし裁判でことごとく否定されたものばかりです。)ので、セトさんは裁判の経過や判決がどうなったかも知っていたはずです。

にも関わらず、裁判の経過や結果について読者に一切紹介しませんでした。部分的には(被害届けを訴えたと書くなど多少の間違いはあるにせよ)正しいことを書いたのかも知れませんが、大変重要な部分を紹介しないという姑息な手段を使うことで、歪曲記事を完成させているわけです。

この後、洋品店襲撃問題が起こるまで、せとblog上でこの裁判(戸塚裁判と表現すると関連ブログ等では通りが良いです)の経過や判決について一切触れられることはありませんでした。

この歪曲記事により、よほど注意深い読者や、C.I.L等と見比べて判断しようとした冷静な人を除いて、洋品店が一方的に悪いという印象を植え付けられ、店主への憤りや不満を持つ読者が量産されました。

事実関係については公平公正に記事を書くべきです。仮にもジャーナリストを自称しているのですから。その上で、朝木さん側を支持するならすると表明すれば良いのに、読者に疑問を持たせない、自分で考えるきっかけを与えないために、自分に都合の悪い事実を隠して読者の心理を誘導しようというのは、ジャーナリストではなく、悪質な煽動家のやることです。

更にセトさんは、読者に対して、以下のようなアナウンスを何度も出し続けました。
☆9月1日 

朝木明代さんの無念を晴らせ!

場所:西部新宿線 東村山駅東口広場
時刻:午後3時半~4時半は東口広場で街頭演説

    午後4時半~5時半には転落死したビル前の路上で献花

東村山駅は、襲撃を受けた洋品店にほど近い場所です。セトさんの歪曲記事で洋品店が疑いなく悪いと思い込んだ怒れる読者を、セトさんはわざわざ洋品店のすぐ傍に集結させました。

セトさんは、自分が直接洋品店を襲撃しろといった証拠はないのに不当な批判をしていると思っているようですが、ここまでのお膳立ては全てセトさんによるものです。どこかに事実誤認があれば議論に応じますので遠慮なくおっしゃって下さい。

【追記】
そういえば、今回紹介した記事の副題は「新メディアが挑む戦後最大のタブー」でした。

セトさんは、新メディアとして情報を発信するという気概をもって記事を書かれたということでいいですよね。それで、あんな歪曲記事を書いて恥ずかしくないですか?

ジャーナリストを自称する人が、『新メディアが挑む』とまで大見得まで切って書いた記事が、煽動だけが目的の悪質な歪曲記事だったとは・・・ 他のライターさん達が見たら、こんな『ならず者』はジャーナリズムの枠外だから同一視しないでくれって言うんじゃないでしょうか。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年12月2日火曜日
『いじめ専門家』と『いじめ扇動市議』のコラボレーション(追記あり)

3羽の雀さんのところで紹介されている、この動画ですが・・・



Autocrat Watcherさんのところで、ウンコ6回よりも私から見て興味深い部分に目をつけて考察されていらっしゃるのを拝見しました。

Autocrat Watcher 「三つ子の魂」ここでもより引用

 先日、女性市議の死を悼む集会が行われ、主催者の方らもご出席されたようです。ブログ主は女性市議の死について伝聞以外は判断する材料がまったくないので触れようとは思いません。

 しかし、集会で発言された「糞害」被害者の方から思わず漏れた言葉(そう言えば「動物の糞かも知れませんが」との言葉もありましたね)が、主催者の方々の体質を浮き彫りにしているように思えたので、触れさせていただきます。

 「糞害」被害者の方は、

 わたしは昔、いじめの専門だったのですが、いじめ専門の面白さは何かと言ったら、絶対に強い奴を相手にしない。常に弱い弱い人間を相手にする。強い人間にやったらこっちがひどい目に遭うことは分かっているんですね。慎重に相手を選ぶんです。

と発言されました。

 もちろん彼は「糞害」被害者として、自らを「弱い人間」として発言されたのだと思いますが、被害者の方を始めとするお仲間方が街宣活動後に、女性市議を万引犯として告訴した洋品店を「訪問」したことを考えますと、思わず本音が出たなと感じずにいられません。

 主催者の方の「盟友」(?)の

 ここから先は具体的にはお話しませんが、一番弱い、一番効果的なことをお考えになって、事件の真相が解明するようなですね、たとえば東村山の事件であればですね、そういう行動をおとりになっていただくと、非常に効果的かなあ、というように思います。(中略)そういったことについて、その部分についてですね、抗議をする、ないしは、意見をひき出していくということをおやりになるとですね、具体的な効果が絶大ではないかと思います。

との発言と相通ずるものがあると思うのはブログ主だけではないでしょう。「糞害」被害者の方は「いじめ専門」であったのは「小学生まで」と断っていますが、きっと気のせいかと。

補足しますと、動画の8分30秒辺りからがそれに当たります。

強い敵、創価学会と戦っているフリをするために、自分達に逆らえそうもない弱者である洋品店を狙った、単なる弱い者いじめに過ぎないと以前から指摘してきたのですが、西村さんは元々そういう愉しみをご存知な人だったようです。慌てて中学生以降はやっていないとフォローを入れていますが、どう見ても今なおこの性分は直っていません。

単なる弱い者いじめに過ぎないし、そういう根性の人間がやっているとは分かっていても、当人からこうした発言が出てくること自体は全くの想定外で驚きました。

Autocrat Watcherさんは、末尾の方で指摘されているのは、C.I.Lさんのこの記事辺りと関係していると思います。

矢野穂積・朝木直子・乙骨正生らが出席した街宣右翼のシンポジウム|C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)より引用
そして瀬戸らの金くれアピールの後に質問時間が設けられたんだが、そこで参加者のひとりから 「自分らにも何か出来ないか?」 というような声が挙がり、それを受けての矢野穂積のビックリ発言がコチラ↓↓


したがって、ここから先は具体的にはお話しませんが、一番弱い、一番効果的なことをお考えになって、事件の真相が解明するようなですね、たとえば東村山の事件であればですね、そういう行動をおとりになっていただくと、非常に効果的かなぁ、というように思います。

千葉副署長は誤認送検の最大の責任者ですし、それから、洋品店主についてはそれについて加担をその後しているわけですから、書類送致前はひょっとして自覚的でなかったかもしれない。

ところが、証人尋問をしたり、千葉副所長といろいろと会話をすればですね、事実がどうだったのかということはもうすでにわかっているはずですから、そういったことについて、その部分についてですね、抗議をする、ないしは、意見をひき出していくということをおやりになるとですね、具体的な効果が絶大ではないかと思います。それは東村山警察に対しても同じだと思います。


という訳で、「具体的には言わないが」 と前置きはしているものの、東村山署だけでなく、一市民の立場にある千葉氏やブティック店主らに抗議しろ、何か行動しろと扇動しておられます。

確かに、西村修平さんの『いじめ専門』発言と、矢野瑞穂市議の『一番弱い、一番効果的なことをお考えになって』とよりにもよって街宣右翼様にお願いしてしまう常軌を逸した神経がコラボレートすると、とんでもない事が起こりそうで、これだけで十分脅威ですし、どこをどう見ても『社会悪』はこういう人たちの方です。

というわけで、Autocrat Watcherさんの視点にとても関心感心(※お恥ずかしい)しました。大変勉強になりました。

【追記】
いじめ専門家の『強い人間にやったらこっちがひどい目に遭うことは分かっているんですね。』の直後に巻き起こったくぐもった笑い声・・・ どのように受け止めるかは聞き手の感性にお任せします。

相手の発言内容だけでなく、その所作、顔色、声色から総合的に判断したものの方が信憑性が高いと詐称ジャーナリストさんが仰っているようなので、ここは要チェックだと思う次第です。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
勘違いしている詐称ジャーナリストへ

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:勘違いしているブログコメント者へより引用

追記
「そのような事実はない」ということに関しては、話題をそらしている人がおります。記事は公正・中立だとか、という内容ですが、私が問いかけてきたのはそのようなことではありません。

 取材した記事が何故創価学会に一旦渡されて、創価学会から入稿されているのですか?という疑問です。

 これを事実と認めれば、もうそれは何を弁明しようが通らないということです。普通ではありえないことだからです。

 これを何度も書いているのに、答えていないということの不自然さを、何故私の記事を毎回批評している人たちが気がつかないのか?

 もう、少し時間をあげますので、誰か早く聞いて真実を書いて欲しいものです。
Posted by せと弘幸 at 2008年11月10日 11:21

詐称ジャーナリストの瀬戸弘幸さん(以下、セトさんと表記します。)は、ジャーナリストを名乗りながら自分でインタビューもせずに書きたいことを一方的に書き続け、読者にインタビューしろと言い続けました。こんなアホくさい事を真顔で言える人を誰もジャーナリストだとは思わないでしょう。

そして、セトさんの求めに応じて橋本玉泉さんが電話取材をしたわけですが、結果が気に入らなかったのか、その信憑性を落とそうと必死になっています。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:批判派のライターに答えるより引用
 今回の問題にしても、もう裁判所で証言しますと申し上げているのですから、それまでお待ちになって下さい。昨日の宇留嶋(以降ウルシマさんと表記します)氏にもお願いしてありますので、いずれ分かることなのでそのときにご報告します。

 >対面インタビューではない。電話取材だったからなどという瑣末なことはどうでもよいのでは

 これはそうでもないのですよ。ウルシマさんが時間を作って直接会われたということであれば、それはウルシマさんが「積極的」に私の書いていることを否定されたという意味を持ちます。

 しかし、今回橋本さんが明らかにしたように、「会って話す時間がない」ということでの電話取材であれば、ウルシマさんはそれほど積極的に話をしたい訳ではなかったということです。

 私はそれが分かっただけで十分な訳で、今回はそれが判明しただけでも、私としては満足の行く結果となりました。事実関係については先日書いたように裁判に出廷してお話をしたいと思います。

セトさんが聞けと再三注文したことに橋本玉泉さんが応えたに過ぎませんし、それに先立って行われたセトさんの数百倍は時間を割いたと思われる丁寧な検証結果と、宇留嶋さんの回答内容がほぼ一致し、両者とも更に直接対面で話す必要性を認めなかったということでしょう。

インタビュアーの事前調査や見解と、インタビュー対象者の回答に何らかの隔たりがあり、そのギャップを埋めたいというなら、更に対面ということも考えられなくもないのですが、そもそも宇留嶋さんは他のライターさんに身の潔白を証明して下さいなどとお願いしているわけではなく、積極的に玉泉さんに直接お会いしたいと申し出る立場にはありません。別途機会を設ける理由が、玉泉さんにも宇留嶋さんにも見当たらないようです。

松沢呉一さんにお会いしたいと擦り寄ったセトさんとは全然事情が違うのが、どうしてお分かりにならないのでしょうか。この場合は、セトさんは松沢さんにわざわざお時間を作って戴いてまで対面で話したいことがあったのでしょう。動機はセトさんの側に一方的に存在するわけです。松沢さんは公開の場で堂々とやりましょうと言っておられるので、是非ともそのようになさって下さい。

で、セトさんは宇留嶋さんと直接対面してお話したところで玉泉さんに対するアドバンテージを持っていると主張したいのかも知れませんが、それは事実関係を明らかにするために、宇留嶋さんがわざわざ時間を作ってセトさんと直接お話したいと要望されたからではなく、偶然に出会ったから話す機会に恵まれたということに過ぎないのではないですか?

宇留嶋さんは、玉泉さんよりもセトさんとの対話に重きを置いたので、セトさんとだけは直接対面して話したという事実はないように思うのですが。

それよりも、電話取材では信用できないと仰る御仁が、自身は電話取材すらしていない段階から延々と御用ジャーナリストと言い続け、読者に「直接聞け」などと丸投げする姿勢の方がよっぽどやる気がないと言わざるを得ませんね。

だから、詐称ジャーナリストだって言われるんですよ、セトさん。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年12月1日月曜日
誰だってそうします?

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:宇留嶋・千葉両氏に偶然遭遇より引用

 もし、一般の人なら「警察官ですか?」「創価学会員ですか?」などと訊かれたら、大きな声で「何ですか、貴方達は・・・」という筈です。しかも、カメラまで向けられたら、交番も目の前にありますから、強く抗議することでしょう。

 誰だってそうします。見知らぬ人から、そのような言葉をかけられたら、誰だって反論するし抗議するでしょう。しかし、この男達二人は逃げるように去って行きました。

瀬戸さんは、ここのところかなりのハイペースで墓穴を掘りまくっていますので、逐一トレースし切れない程ですが、これも致命的な墓穴ですね。

瀬戸さんのこの主張に沿えば、洋品店襲撃時の元副署長さんの対応は極めて常識的な範囲のものだったことは明白です。

ヘルメット+手ぬぐい覆面+日章旗という、一般人が確実にびっくりするスタイルの人物が混じった団体がお店の前にたむろして、聞こえるようにお店の悪口を言う。

お店の側としては、「何をしてるんですか?」くらいは言っても問題ないですね? 誰だってそれくらいはします。お店側の人として、それくらいの発言をしたからと言って、文句を言われるような筋合いの話ではないでしょう。

これに対し、西村修平さんや暴徒御一行様は、「なんみょーほーれんげーきょー」の大合唱。誰だって反論するし抗議するでしょう。それは正当な反応ですよね?

瀬戸さんは、この当たり前の抗議を、元副署長がいきなり怒鳴りつけてきてトラブルになったという大変ズルい言い回しで誤魔化そうとしました。まったくケチのつけようがないほど自制の利いた対応をした元副署長を総攻撃した不当さは、もう隠せません。

西村修平さんも桜井誠さんも、最後まで店主だと思ってまくし立てていました。顔を知っているとウソまでついて暴徒を誘導していましたね。

襲撃現場で「公道で何をしようと問題ない」と桜井誠さんは興奮気味に言い返していました。瀬戸さんがこれを支持するなら、瀬戸さんたちに目線を向けていただけの人が、瀬戸さんたちの所有する私有地でもないところで何をしていようと、文句を言う権限がないということになりませんか? 何かご不満が?

瀬戸さんは、自分たちが気に入らないものに対してはどんな言いがかりをつけても、些細な問題を非常に大げさに表現しても良く、自分たちがやった行動に対して批判が集まった場合は、それとはまったく違う基準を持ってきて不当だと言う。

瀬戸さんが誰かを批判し始めたら、同種の問題で瀬戸さんが以前何を発言して来たのかサラっと読み返すだけで、今回と正反対の発言してるなって分かるものがドンドン見つかります。

その場その場で言うことが全然違うんじゃ、信用も支持もなくしますよね。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月30日日曜日
電話取材の信頼性

瀬戸さんが、またしても反論にならない逆襲を試みているようです。今回は橋本玉泉さん狙いのようです。

瀬戸さんが、読者が事実関係をきちんと確認できる具体的な事実を指摘することなく、宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼び続けている事について、玉泉さんから再三疑問点を挙げられているのに何一つそれに反論することなく、玉泉さんの言う、宇留嶋対面さんに対するインタビューが、対面ではなく、電話インタビューだったことが、何らかの反論になると考えているようです。

一般論として、対面インタビューの方が電話インタビューよりも取材方法としてプライオリティー(信頼性)が高い可能性はあっても、電話でのやり取りが全く信用ならないものという事にはならないのではないでしょうか? インタビューによって知り得た内容が、対面で話した瀬戸さんのそれとは明らかに齟齬があるというのであれば、それをきちんと提示して議論を深めたら良いのに、玉泉さんの顔に泥を塗れば反論したことになる。また、この切り口でそれが可能であると瀬戸さんが考えているなら、冷静に見ている大半の正常な日本人には笑われてオシマイではないかと思うのですが。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:宇留嶋・千葉両氏に偶然遭遇より引用

別に変ではないですよ、でも電話で取材した内容なら、そのように書いておくべきでしょう。

直接会って取材して書く記事はインタビューといいますが、それは取材しているときに相手の顔色や動作で、真実を言っているのか、どうかが何となく感じられます。だから、突っ込みもいれられますからね。

だから、直接会って取材するのが一番と言うことです。そういうことで私は橋本氏がインタビューと書いてあるから、直接あって確かめたものと誤解をしたのです。


Posted by せと弘幸 at 2008年11月30日 21:19

なるほど。相手の顔色その他も読み取れないものは信用できないとおっしゃる。

瀬戸さんのブログ本文内で「電話取材」という単語を使っている記事を適当に拾い読みしてみました。(私は全記事ローカル保存して、全文検索可能な状態にしています。)

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:日経「捏造報道」その⑤より引用
 これは「メモは手帳に張り付けてあった」と書いた日本経済新聞社の記事とは明らかに矛盾しているが、この点について『この国は少し変だ!よ~めんブログ』さんが、この朝日新聞社のアエラ編集部に電話取材を試みた。その様子がブログで紹介されています。
http://youmenipip.exblog.jp/2929755#2929755_1
 朝日新聞は次のように回答した。

(※引用中略)

『この国は少し変だ!よ~めんのブログ』様、ご苦労さまでした。

よ~めんさんの「電話取材」ならOKですか。玉泉さんの記事は、電話取材であったというそれだけの理由で非難しているのに。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:電凸 公明・朝日・毎日・読売より引用
またも代表選挙も行なわれずに決された公明党代表電凸 公明・朝日・毎日・読売 いつも「よ~めんブログ」さんがおやりになっている電凸というものを私も真似て見ました。私のような古い人間は電話取材位にしか思わなかったのですが、電凸の意味は「電脳空間における突撃!」という意味を持つということらしいです。
 さて、電凸したのは、

瀬戸さんも、よ~めんさんに倣って電凸ですか。電話ではプライオリティー低くて、その時点で信じられないものになると考えているものとばかり・・・

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:[総括]メール騒動の幕引きより引用
 彼はフジテレビの情報番組『ワッツ、!?ニッポン』への電話取材を受け、提供者は自分ではないと否定して次のように語ったと紹介されている。
 昨年11月に発行したプレ創刊号の表紙を飾り、インタビューに答えているのが永田氏だった。A氏は永田氏との接点について「(月刊誌の)編集長の知り合いが民主党におり、その人の紹介で5~6人の議員を紹介された。その中の1人が永田氏だった」と説明。 まるで胡散臭いデタラメな人物は、民主党の5~6人の先生方と知り合いだったと言っているのだ。ここで私の考えを述べよう。もし、仮に本人が否定していてもメールの提供者がこの人物であったとするなら、これまでの通説は見事に破綻したことになる。

瀬戸さん自ら電話取材したわけでもなく、又聞きに過ぎない情報をベースに自論の展開すらなさっている。電話取材が元ですけど、いいんですか? 電話取材であること自体が信用ならないということなら、その上に自論を積み上げるなど以っての外。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:週刊朝日の捏造は明白より引用
 さて、宮内庁は電話取材の中で、現在の皇室を巡るこのような風潮に危機感を抱いていることを正直に吐露しました。詳しくは書けませんが、当然、法的な手段も最後には考慮していると私には感じられました。
 宮内庁が内閣総理大臣に対して、名誉毀損、侮辱罪による代理告訴の要請も視野に入れているのではないでしょうか。

これも瀬戸さんの電話取材ではなく又聞き。(※記事中で、瀬戸さん自身が電凸したという明記がないようですが、文脈から見て、電話してるのかな?とも思ったので、「又聞き」は取り下げます。)今度はそれを根拠に宮内省のお考えまで勝手に代弁しますか。なるほど。

電話取材というものを頭から否定するなら、これまで瀬戸さんが書いてきた記事って一体何だったのでしょうか? 相手の顔色も分からないのに断定的な書きっぷり。しかも自分が電話取材したわけでもない、まさに又聞きの情報などは、声色すら分からないわけで、真偽など全く分からない。それをベースに断定的な書き方をしたり、推論をどんどん並べたり、勝手に相手の考えを代弁しちゃったりしてもいいわけですか? 随分と真摯な姿勢で物書きをなさっているんですね、詐称ジャーナリスト(ジャーナリストとしての職業倫理を持ち合わせていないことをこう表現していますので、肩書きの裏付けになる証拠を並べても無駄です)の瀬戸さんは。

そういう了見の人が、他人の電話取材にケチをつけて「やった反論してやった」等と考えているのだとしたら・・・ そりゃ笑われます。

玉泉さんのこれまでの記事をきちんと読み直して、その内容に対して反論なさらない限り、そういう評価だけがどんどん積み上げられて行くでしょう。

あと・・・ 松沢呉一さんに指摘されていますけど、まずは社会人として恥ずかしくない電話マナーを身に着けましょう。電話取材の信頼が云々というのはそれからです。

【追記】
「玉泉さんのは電話取材と書いてない。自分のはそう断っている。」と言い出しそうなので、少しだけ追記しておきます。

電話取材と書いた上で、それが自身によるものでないもの、つまり、相手の顔色、動きはおろか、声色すら分からず、さらにそれが記事としてテキスト起こしされている場合は、一言一句違わず書かれている保証すらない。そういう性質の情報を、何の疑いもなく持ってきて、それをベースに記事を書き続けてきた人が、自分に対する批判については途端に言う事が正反対になる。

日本人の感性から見て、これは十分恥ずかしい行為です。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月24日月曜日
天網恢恢疎にして漏らさず

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』 偽うんこ事件について

 警察は事件性がないとか、薄いなどと言いますが、それは違います。誰しもが不快な気持ちを抱くような物をベランダに置いて行ったのです。これはまた違った犯罪の要件を感じさせるものです。

 つまり、脅迫行為です。


あの・・・ 瀬戸さん? それでは、このように表現させて戴いても文句はないですよね。

「警察はその場で現行犯逮捕こそしなかったものの、東村山の洋品店には、ヘルメット+手ぬぐい覆面+日章旗などというコスチュームの、誰しもが不信感を抱くような者を含む異様な一団を店先に差し向けていったのです。

つまり、脅迫行為です。

瀬戸氏らは、街宣等をすることを『出撃』と表現しており、東村山駅前での街宣に付随して洋品店前で起こったトラブルは、こうした『出撃』の結果生じたものであり、『襲撃』とみなすことに論理的な不整合はありません。

また、同氏らは、東村山で起こった問題を刑事事件相当だと見なしており、この主張に沿えば、刑事事件の証人に対するお礼参りに相当し、『証人威迫罪』相当の犯罪にあたるのは明白です。この事実は瀬戸氏らの反社会性を如実に著していると言っても過言ではありません。」


自分たちがやった事は、相手に対する敬意ゼロであることは明白であるにもかかわらず『表敬訪問』などといって誤魔化そうとして、逮捕されなかったから無問題である、本当に当人が不快だったら訴えてるはずだし、望むところだから訴えろとまで仰って、結局訴訟を起こされたらカンパを募るという醜態を晒した瀬戸さんが何を仰っているんでしょうか? 自分で自分の尻拭いも出来ないのなら、むやみやたらと訴えろと煽るべきではなかったでしょう。

また、裁判が東村山問題を解決するための最後のチャンスだと仰ってのカンパ募集だったにも関わらず、『仮に事実ではなかったとしても・・・』とすさまじいバックギアを入れて逃げを打ちにかかっています。話がずいぶん変わってきていませんか?

話はうんこに戻りますが、せめてベランダに置かれたものの正体と、それが人為的に置かれたかどうかの判断がつくまでは、みっともなく騒ぎ立てるべきではなかったのではないでしょうか? 2ちゃんねるでは、クソスレ立てるなという暴言を良く見かけますが、自らの主張をする大切な場であるはずのブログを、クソブログと呼ばれるようなものにして恥ずかしくないのでしょうか?

最近の瀬戸さんは、主張の合理性よりは、自分たちが勇猛であるという風に見せることに腐心されていたように思います。そのため、コメント欄でクソごときでガタガタ言う意気地のなさを指摘された瀬戸さんは黙っていられないという場面もありましたね。でも、そんな評価をされても仕方がない態度だったのではないですか?

西村さんに至っては、普通のサラリーマンだという「お情け頂戴」な三文芝居まで始める始末・・・ 主張の適否はともかく、行動力、突破力に期待していた層の人たちにも愛想を尽かされるのは時間の問題でしょう。

自分たちがやっている事を棚に上げて他人を批判し続けてきたツケは、世間の評価としてキッチリと瀬戸さんたちに返っていきます。天網恢恢疎にして漏らさず。です。 ネット上なので「電網恢恢」としても良いのかなと思って、Google検索してみたら、このフレーズを使っている人は割と大勢いらっしゃるようです。

ミハルさんや3羽の雀さんに、うんこネタに触れているかいないかという指摘をされていました。このままではキレイ事保守だと断定されかねないので、軽く触れてみました。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月23日日曜日
公人相当と見做さない方が非礼

ある程度、現時点での自分の立ち位置の表明が出来たと思うので、そろそろ本題に入らせて戴きます。

すっかり周回遅れのネタですが、まずは瀬戸さんが『準公人』扱いを嫌った件について思うところに触れてみます。

瀬戸さんは、厳密に言えば現在は公人ではありませんが、参議院選挙に出馬し、今後も機会があれば国政に出るという意思を放棄されていないと認識しています。何よりも、議席獲得を目標としている維新政党新風の副代表という地位にあります。

将来、公選を経て公人になろうとしている人物の現時点の言行が、公人たるにふさわしいものであるかどうかという観点で評価されるということが、それほど不当なことなのでしょうか?

また、完全に私的なこと、家族の問題や日常生活レベルにまで下世話に立ち入って非難されているわけではありません。傍目から見て、政治活動・社会活動にあたると見られる行動は、個人ブログのものであったとしても注目されるのは当然のことです。新人タレントのブログですら、不穏当発言すれば責任問題に発展して、半年間の活動自粛といった話題が出てくる世の中にあって、瀬戸さんが「個人ブログだ」と言ったところで、責任逃れができようはずもありません。

上記を考え合わせますと、瀬戸さんは「私は公選を経て公人になるだけの資質を持ち合わせていませんので、そういう目線で私を評価することを差し控えて下さい。そこら辺の個人がやっているのと変わらないレベルです。」と自虐的なコメントを出したのとほぼ同義であり、今後政界を目指すことが不適当な人物であるという評価を世間の人たちからされても致し方ない発言です。

もし、これが瀬戸さんの本意とかけ離れたものであれば、出来るだけ速やかに前言を撤回されるようお勧め致します。失言なら失言としてきちんと取り下げられないようなつまらない人物だという評価をされないためにも。



1 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
ディベートできない「右派」と「左派」

競争に負けることが植民地になることとほぼ同義であったことを考えると、『日本人らしさ』にしがみついていられなかった『開国』以降の世情を無視して現代の価値観で断罪しようとする左派。

日本人が自ら『日本人らしさ』を脇に置いて競争に勝ち残れるメンタリティー獲得を目指したという事実を無視して、現代の日本人が誇りや尊厳を見失い、日本人らしさも見失っているのは全て左派のせいだとする右派。

右派は左派が悪いから日本が悪くなっていると主張し、左派は右派が悪いと言う。相手を論破してその言論を封じ込めることが日本を良くする道だと本気で信じている。そんな人が割合多く居て、とにかく相手の主張は全否定して論破しようとする。そういうところに落胆を感じます。

先日、ディベートは、勝敗以上にその経過で得られる自分にはなかった知見の獲得が出来ること、意見をぶつかり合わせるなかで生まれる新しい知を創出することに価値があるという話をしました。

右派と左派のぶつかり合いを見ていると、相手を論破することが最終目的になってしまっていて、お互いの視点を持ち寄って、これからの日本がどういう方向に進むべきかなどといった議論をすることは到底できないようです。

明治から太平洋戦争敗戦までの近代史を、現代の価値観で断罪するのではなく、(当時はやむを得なかったにせよ)結果的に日本人が自ら放棄した「日本人らしさ」が何であったのか、その中から現代を生きる自分達が取り戻したいものを探すということが出来ないのか・・・ また、当時の世相と違い、存命の人間を神格化して国をまとめるような形態が国際的に受け入れられない事情を考え合わせつつ、現代の世相、価値観にマッチさせつつ国際競争の中で『日本人らしさ』を見失わない方法を模索できないのか・・・

といったことを考えてしまうので、右派vs左派みたい罵り合いはガッカリすることは多々あるものの、そこに乗り込んでいってどちらかに加勢しようという気持ちにはなれません。ディベートの中から、新しい価値観を見出していこうという意思が感じ取れる事が滅多にないのが残念です。

瀬戸さんのブログを見ていると、立ち上げた当時はまともにディベートをしようという意志が瀬戸さんにもあったように思います。『青年に告ぐ』というカテゴリーを遡って見ていくと、2ちゃんねる等で異論と向き合って自論を粘り強く説明しようとする瀬戸さんの姿を垣間見ることが出来ます。本来は、盲目的に瀬戸さんについて行きますという人たちだけでなく、異論をぶつけてくれる人たちとも話し合っていくべきではないでしょうか。その中から自分でも気づかなかった視点を獲得できることも多々ありますので。

私は瀬戸さんの皇国史観や現代に天皇制ナショナリズムを復活させるべきだという意見に決して賛同しませんし、きっと異論をたくさんぶつけますが、当時の瀬戸さんとであれば、現在の瀬戸さんよりは実りがあるディベートが可能だと思います。

今の瀬戸さんは、『語る保守から行動する保守へ』などと言っていますが、私から見ると、異論と向き合うことを放棄して、自論を他者の意見とぶつかり合わせることで深化させる努力を怠り、目先の気に食わないものに片っ端から攻撃を加えることこそ保守活動だというおかしな陶酔で突っ走っています。日本をどういった方向に向かわせたいのか、もっといろいろな人と議論していくべきではないんでしょうか? 何の哲学も美意識もなく、気に食わないものを叩くことを『保守』と表現しても、他の『保守派』を自認する人たちにそっぽを向かれている現状にもう少し目を向けた方が瀬戸さんのためになると思います。



1 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
ワールドワイドウェブ的近代史観(追記あり)

右派左派ともに、近代史というと太平洋戦争だけ注目する傾向があるように思いますので、今回はワールドワイドウェブ的に近代史に触れてみます。主に日本人のメンタリティーを軸にお話します。限られたボリュームでざっくりと書くので説明不足、誤解を招く部分などもあるでしょうし、私が浅学であるが故に基本認識部分で色々な異論が噴出することもあるとは思います。批評は批評として受け止めますのでよろしくおつきあい下さい。

近代史を眺めて、日本人のメンタリティーを大きく変えたのは『明治維新』と『太平洋戦争敗戦』だと私は考えています。これ自体にはさほど異論を持つ人も居ないでしょう。

江戸という封建制社会は、自由に自分の地位役割を決められない代わりに、個人間の競争は、その決められた枠内に抑制されていました。また、朱子学や仏教は、そうした決められた枠内で誠実に生きることを美徳としました。キリスト教は封建社会の社会システムを否定するものとして禁教とされ、その伝播を封じるために庶民はいずれかの仏教宗派の檀家である証明を必要とされていました。仏教側から見れば食い扶持の安定確保が出来た反面、社会システムを精神面から支えるためのものであることが期待されていました。

こうして、江戸時代には個人間の競争には社会システム上の制約という枠がはめられて、良い意味での「ゆとり」があったこと、朱子学や仏教などが社会のために勤勉につましく生きることを推奨した事なども相まって、日本人の美徳とされる精神は大きく伸びました。制度的なプロテクトと精神的なプロテクトが、人の欲望に一定の制限を加えて、そこで生まれた「ゆとり」が、他者への思いやりや労わり、譲り合うといった方向に振り分けられていたという見方も可能です。

明治維新によって、日本は『開国』という西欧列強との国際競争と、『自由と平等』という、裏を返せば個人間の競争を促す仕組みを選択しました。それが良いか悪いかという後世的な評価は別として、競争しないorゆるやかな競争で永い太平の世を謳歌してきた日本が、西欧合理主義的な競争社会に身をおくという選択をしたのですから、これまでの気持ちの持ちようではとてもではありませんが太刀打ちできません。

そこで明治政府は、『王政復古』の大号令により、天皇陛下を『現人神』と明確に位置づけ、日本人の心、価値観、倫理観などを集約し、まとめ上げようと考えました。この流れに伴い、『廃仏毀釈』などが起こり、江戸時代のモラルを下支えした仏教が受難(というか法難?)の時代を迎えます。あまり注目されませんが、いわゆる神社仏教以外の民間宗教的な色合いが濃かった教派神道や、神道と仏教を習合していた山岳信仰なども仏教と同じく激しく弾圧されました。

日本人の心を1つにするために、天皇陛下の神格化とは関係が薄い神様仏様は少し脇に押しのけて天皇陛下こそ神であるという国のデザインを目指したということと、旧体制を精神的に支えた価値観との決別という2つの側面が仏教等に対する弾圧の意味するところであったのではないでしょうか。兎も角、天皇陛下を神格化するとともに他の神様仏様が冷遇され、庶民と切り離そうとする動きがあったことは間違いありません。

その後の日本は、太平洋戦争突入までは産業においても軍事面においても大躍進を遂げましたし、『王政復古』から昭和天皇の『人間宣言』までの期間にある種の魅力があることは事実です。が、『日本人らしさ』の喪失は、この期間に進行したということも言えるということを忘れないで戴きたいのです。そして、太平洋戦争に負け、昭和天皇が『人間宣言』をした時点を持って、天皇陛下という神様も日本人の心から切り離されました。

日本人は近代、二度に渡って精神的な拠り所を失ったわけです。先にも述べましたが、『自由と平等』は個人間の競争を促すシステムですし、それを『自分のため』に追及することを認めるものでもあります。江戸時代に培ってきた『社会のために』という価値観は、明治以降かなり衰退したものの、神仏から遠ざかる代わりに『天皇陛下のため』という新しい精神的支柱を与えられたことで、やはり西欧諸国の人々よりは高い位置を確保しました。

それが、敗戦による2度目の価値観喪失により更に壊れてしまいました。『自由』と『身勝手』の区別がつかない人が増えましたし、『個性を伸ばすための競争』を目指す西欧と違い、突出しないことを美徳としてきた日本人は『落ちこぼれないための競争』という、西洋合理主義的な競争の枠組みとはかけ離れた劣化コピーの中であえいでいます。2度に渡る神様の喪失によって、雨後の竹の子のように新興宗教が乱立するようになったといったこともあるでしょう(全てが問題のあるカルトだとは言いませんが)。

小泉八雲の『日本人の微笑』という随筆があります。新潮社文庫の『小泉八雲集』が安価で入手しやすいと思います。日本人が無くしかけている美徳を護ろう、取り戻そうと主張する右派の人たち、今の日本が天皇制のせいでおかしくなったと主張する左派の人たち、どちらにも読んでもらいたいです。小泉八雲が今のあなた方を見たら、さぞかし落胆するでしょう。

というだけでは反感を買うだけだと思いますので、故三島由紀夫も、小泉八雲を愛読していた事を紹介しておきます。八雲が日本人の中に見た美点は、三島由紀夫にとっても好ましく見えたものだったようです。

日本人らしさ、日本人の美徳といったものは、江戸から明治へ移行した辺りから崩壊が始まっています。日本は、恐らく『開国』して正解だったと思いますし、『開国』して国際競争に負ければ西欧列強に飲み込まれるという当時の社会情勢があったこと、そのためには『日本人らしさ』というか奥ゆかしさみたいなものを後生大事に抱えているゆとりがなかったことは想像に難くありません。

そうした国難を乗り越えるための天皇制ナショナリズムであったと思いますので、現代の価値観をもって当時の選択を断罪すべきではないと思いますが、明治政府の選んだこのやり方で、取りこぼされたものがあるということはきちんと認識すべきです。

これからの日本が、日本人らしさを見失わずに西洋合理主義や国際競争とどう向き合うか、現在を生きる私たちの価値観で考えていく際に、そうした見識を持つことは非常に大切なことだと思います。

【追記】
『現代の価値観で過去を断罪すべきではない』というのは、櫻井よしこさんが好んで用いるフレーズですが、『当時の世相で必ずしも悪とは言えなかったことが、現在の世相でそのまま通用するとは限らない』ということも失念してはならないと思います。

現在の国際世論に照らして、江戸時代のような封建制度は通用しないし、太平洋戦争終結までは必ずしも悪ではなかった列強主導の帝国主義や植民地政策も現在の価値観には馴染みません。存命の人間を神格化して国家を1つに束ねることも、北朝鮮を見れば分かるように現在の価値観ではNGです。

過去を断罪するために振り返るのではなく、現代の価値観や世相において、日本が歩むべき道を見つめなおすために振り返るということが必要な姿勢だと私は考えます。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月21日金曜日
HPをダウンロードして目次を作ろう(4)

更新が遅くなってしまいました。今回は、抽出したタイトルに、リンクタグをつけて、Web上にあるオリジナルの情報にアクセスできるようにしてみます。

フォルダ選択。
検索フォルダはそれ。
「findstr /s /i /d:{検索フォルダ} "<title>" *.html」をコマンド実行。
「:」を「,」に置換。
「\」を「/」に置換。
タグ削除。
検索結果はそれ。
検索結果をCSV取得して反復
 「<A HREF=http://」&検索結果【回数,0】&「>」&検索結果【回数,1】&「</A>」をリンク付目次に配列追加。
リンク付目次をコピー。
「wordpad.exe」を起動。
5秒待つ。
『^v』をキー送信。
終わる。

findstrコマンドにサブフォルダまで検索するオプションと大文字小文字の区別をしないオプションを追加しました。findstrコマンドの使い方を勉強したい人は、『@IT:Windows TIPS -- Tips:findstrで正規表現を検索する』あたりが参考になると思います。

これまでのプログラムでは、htmlファイルが置いてあるフォルダを指定していましたが、今回のプログラムでは、巡集がダウンロード時に自動作成するフォルダを指定して下さい。今回の場合なら『東村山市民新聞』フォルダを指定することになります。

これで何が変わるかと言うと、検索結果が
『www.geocities.jp\higashimurayamasiminsinbun\index.html,東村山市民新聞』のような形になります。
(※\は実際は半角の¥ですが、このブログでは自動変換されてしまうようですのでご容赦ください)

オリジナルのサイトのURLにかなり近くなります。あとは、『http://』をつけたり、リンクタグをつけたりすれば良いということで上記のソースになっています。

前回、カンマ区切りのcsv形式にしておいたのが活きて、今回『CSV取得』という命令を使うことで二次配列変数として取り込むことが出来ました。

『反復』や特殊変数『回数』は、なでしこ関係のページを検索すれば何となく使い方が見えてくると思うので色々試しながらがんばって下さい。私のソースは野暮ったいのでもっとスマートに書ける人も居ると思います。

これで、とりあえずですが目次を作る作業の面倒そうな部分を大体自動化できたと思います。あとは出力されたリンクタグつきの目次をブログやホームページにコピペすればOKです。

あくまで最低限の要素だけしかいじっていませんが、この辺りまで理解できればもう少し他の要素を抽出してリストに加えたり、テーブルタグを組むのもそれほど難しくないはずです。

なでしこによるブログ等の目次自動作成の解説は、この辺りで一旦休止します。(ないとは思いますが)万が一何か質問やリクエストが出てくるようならもう少し踏み込んだところまでやってみます。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月19日水曜日
1ビット脳と二律背反

瀬戸さんや支持者の皆さんは、1ビット脳であるという指摘を度々受けています。端的に言えば、物事をイエスとノーだけで括ってしまおうという思考形態に対する揶揄ということのようですが、それ自体が間違いなのかということについてここで考えてみます。

カントは、世の中の根底にある問題を全て理性で解決しようとすると、二律背反(カント以前には、「あちらを立てればこちらが立たず」と言われた相対する2つの命題のどちらを取捨選択するかといった問題)に陥ると説いています。

では二律背反自体がまずいのかというと、ディベートする機会が多い欧米人のインテリジェンス層は、むしろこの二律背反をうまく活用して論理的思考を組み立てて実りのある議論をしているようです。

相反する2つの命題のどちらを自分は支持するのか、その理由は何か、といった事を自分なりの知識や体験、個性的な物の見方などを織り込んできちんと表明する。他の論者も同じように意見を表明する。すると、その命題に対してイエスである理由、ノーである理由が、様々な論者の知見を織り交ぜた形で提示されていき、それに触れることで、自分の考えが変わったり、自分では気づかなかった角度からの分析が出来るようになったりするわけです。そこには紛れもない新しい知見の獲得や新しい知の創出があります。

このように、二律背反的な問題に取り組む際、自分がどちら側に組するかを決め、その立場に立った意見表明をすること自体は決して悪いことではありません。では、「1ビット脳」と揶揄される人たちがこのような知の創出と非常に縁遠いところに居る理由はどこにあるのでしょうか。

二律背反をうまく利用しながら知的なディベートをする人たちは、自分が支持する命題と対立する側に立つ人に恨みつらみや憤りをぶつけたり、レッテル貼りによって相手側の論に何とか傷をつけようとする行為が、ディベートする上で何の実りももたらさない、大変幼稚な行為だときちんとわきまえています。ディベートの目的は、表面的には知的な攻防で相手を論破することですが、その過程における知の創出にこそ価値がある事、そのやり取りの中にインテリジェンスが存在することを経験則的に知っているからです。

対して、「1ビット脳」と揶揄される人たちは、相手との議論で何かを得ようという意思は完全に放棄し、自分と相対する論には耳をふさぎ、自分が支持する論はただそのまま無批判無思慮に受け入れる姿勢が非常に顕著です。「ネットの双方向性」に何らかの期待を抱くのであれば、正常なディベートをしようという意思も併せ持つべきです。自分の言い分だけをぶちまけ、相手の意見には耳を貸さないという姿勢は「双方向」とは呼びません。

また、相手の匿名性を奪おうと躍起になるのに、自分たちはIPの提示すら嫌って逃げ回る。これもまともなディベートをしようという意思がないと表明しているようなものです。「相手が誰であるか」よりも「相手が何を言っているか」がディベートにおいては重要です。それが理解できない幼稚さこそ「1ビット脳」という呼称を定着させる原因ではないでしょうか。

2ちゃんねるの管理人さんは、この辺りについて非常にクリティカルな発言をしていますので、紹介しておきます。ねらーの皆さんならとっくに見飽きているようなものですが・・・

135 名前:ひろゆき 投稿日:2006/03/31(金) 04:05:53.80 ID:2Vhz4xlO0 BE:89227-#
ネットウヨ・嫌韓厨・反喫煙とか、いろいろカテゴリーはあるんだけど、
自分の主張を繰り返したいってだけの人は、
新しい情報を提供してくれるわけでもないし、
新しい視点を提供するわけでもないし、
どちらかというと邪魔な存在だというのに気づいて欲しいんだけど、
やっぱり無理なのかなぁ。
12:※以下引用 :2006/12/15(金) 13:34:45 ID:kkPu2eNr [sage]
ネットウヨ・嫌韓厨が増えすぎて2chがつまらなくなった
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1143742460/

75 名前:ひろゆき 投稿日:2006/03/31(金) 03:51:48.45 ID:2Vhz4xlO0 BE:353478-#
良かれ悪しかれ、普通の流されやすい人が増えたってことかと。

95 名前:ひろゆき 投稿日:2006/03/31(金) 03:57:23.17 ID:2Vhz4xlO0 BE:76526-#
同意のためのコミュニケーションをしている人が増えたんじゃないかなぁ。
おいらは知識を増やすために使ったほうがいいとおもうんだけど。

103 名前:ひろゆき 投稿日:2006/03/31(金) 03:59:34.38 ID:2Vhz4xlO0 BE:63825-#
協力して韓国語のブログとか作ってみたらいいんでないかな?
「北方領土を返せ」って東京の人に向かって叫んでる頭の悪い人みたいに感じるですよ。
言いたいならロシアに行って、ロシア語でやるべきかと。


【今回のまとめ】

『1ビット脳とは「自分の立ち位置を強烈に固定して異論は聞き入れず、自分の意見に同意してくれる人のみを求める姿勢」を揶揄するもので、二律背反をうまく活用するためにあえて立ち位置を固定して新しい知を創出しようとする知的なディベートとは似て非なるものである。』



4 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月18日火曜日
HPをダウンロードして目次を作ろう(3)

前回はまだまだ課題を積み残していたので、より使い勝手が良いプログラムに改造します。

フォルダ選択。
検索フォルダはそれ。
「findstr /D:{検索フォルダ} "<TITLE>" *.html」をコマンド実行。
それをコピー。
「wordpad.exe」を起動。
1秒待つ。
『^v』をキー送信。
終わる。

前回のプログラムの最終行以降を書き換えました。検索結果をクリップボードにコピーして、ワードパッドを開いてCTRL+V(貼り付け)するところまで自動化しました。早速実行してみて下さい。これで検索結果全体が表示されないという問題はクリアできたと思います。
なでしこは、このように外部プログラムを起動して、キー操作を行ったりクリップボード経由でデータを流し込んだり多彩な操作が簡単に自動化出来るのが魅力です。エクセルや、OpenOffice.orgのCalcへの貼りこみなら、専用コマンドも用意されているので、指定したセルに指定したデータを流し込むことが出来ますが、今回は割愛します。(あくまで無料を追及するので、エクセルとの連携はなでしこの公式サイトを参考にして下さい)
フォルダ選択。
検索フォルダはそれ。
「findstr /D:{検索フォルダ} "<TITLE>" *.html」をコマンド実行。
「: 」を「,」に置換。
それからタグ削除。
それをコピー。
「wordpad.exe」を起動。
1秒待つ。
『^v』をキー送信。
終わる。

更に2行ほど追加してみました。ファイル名とタイトルの間をカンマ区切りに置換して、TITLEタグを削除しています。実行して、追加前との動作の違いを確認して下さい。

わずか数行で、しかも日本語で記述されているのに割と期待通りの動作をしてくれるのがなでしこの良いところなので、かなり説明は端折っています。なでしこを使えば何が出来るかの感触がつかめたら、いろんな着想が生まれると思います。細部の文法等はなでしこ公式ページなどを参考にして足りない知識は補いながらついて来て下さい。

次回は、検索結果から元のHPへのリンクを貼ったり、テーブル化するためのタグを流し込んだりしたいと思います。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月16日日曜日
HPをダウンロードして目次を作ろう(2)

前回は、分析したいHPのダウンロード方法と目次の作り方「さわり」の部分まで解説しました。

私はコマンドプロンプトでも気になりませんが、色々なサイトを分析するのに毎回同じような作業をする事になるので、少しだけ作業の自動化を考えてみます。

まず、日本語プログラム言語「なでしこ」公式ホームページから、なでしこの最新版をダウンロードして、インストールします。

なでしこの詳しい使い方とコマンドリファレンスは公式ページを見ながら勉強してもらうとして、早速使ってみます。



とても短いコードですので、このまま打ち込んで下さい。面倒ならコピペしても結構です。

フォルダ選択。
検索フォルダはそれ。
「findstr /D:{検索フォルダ} "<TITLE>" *.html」をコマンド実行。
それを表示。

打ち込みが終わったら、「タイトル抽出」という名前で保存します。



私は「なでしこスクリプト」というフォルダを作っておいて、そこに保存しました。早速ダブルクリップして起動します。



このようにフォルダ選択画面が出ますので、巡集でダウンロードしたhtmlが保存されているフォルダを指定します。

すると、全htmlファイルに付けられたタイトルが表示されます。手ごたえは掴めたでしょうか?

このプログラムは、検索結果が1画面に収まらなかったので全データが表示されていません。余計なタグも表示されています。次回はこの辺りの問題を解消します。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
HPをダウンロードして目次を作ろう(1)

でぶちんさんTomatotic_jerryさんがやっているHPの分析について、出来るだけ無料で、かつ誰でも出来るような方法を何回かに分けて紹介します。
今回は、比較的簡単に出来るHPのダウンロードと目次作りの足掛かりになる部分までです。
HPを巡回したり、フォルダ構造丸ごと保存するソフトは色々出ています。私は普段、wgetをコマンドラインで使っていますが、GUIの方がとっつき易いと思いますので、フリーウェアの「巡集」でやってみます。
ダウンロードしたら、適当な場所に展開して、Junshu.exeを起動して下さい。



今回は面倒なのでデスクトップでそのまま展開しました。細かい設定も特にせず、ダウンロードするURLに、「東村山市民新聞」のURLをコピペして、実行しました。

ダウンロードが終了すると、デスクトップのJunshu171aフォルダの中に「東村山市民新聞」というフォルダが作られ、このHPの情報が一括保存されます。

私のパソコンは、ハードディスクをCドライブとDドライブに分割してあるので、「東村山市民新聞」フォルダをそのままDドライブのルートにコピーしました。

では、ここから目次を作る方法の「さわり」だけ紹介しておきます。コマンドプロンプトからの操作なのでちょっと面倒だと思う人も居ると思いますが、次回以降はもう少し楽する方法を紹介するので、「ああ、こんな事ができるのか」位で読み流して下さってOKです。



コマンドプロンプトで、東村山市民新聞のhtmlファイルが保存されているフォルダまで移動して、「findstr」関数を使います。

今回はフォルダ内の全てのhtmlファイルから、「<TITLE>」を含む行を抽出してみました。こんな感じで全ページのタイトルを抜き出せます。該当行が存在するファイル名と、

「findstr "<TITLE>" *.html >東村山市民新聞.txt」のようにすれば、画面への出力ではなくファイルに結果を保存することも出来ます。



0 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
2008年11月15日土曜日
左顧右眄(その1)

左顧右眄(さこうべん)は、曹操の五男、曹植の詠んだ漢詩に出てくる言葉で、原典では「周囲を悠然と眺める様」といった意味合いで使われていたのですが、現在では「左へ右へと視点が定まらない、おぼつかない様」のような解釈になっているようです。漢字からシンプルに意味を取ると「左を顧みて右を流し目で見る」です。

いずれにしても、この右や左は、右派左派などを指すものではありませんが、そうした意味合いを透かして見るつもりでブログタイトルとして採用しました。

今後、自分なりに中道右派左派、右翼左翼、極右極左などについて思うところをちょくちょく挙げていきます。



2 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
日記をつける性格でもないのですが

ワールドワイドウェブです。ブログを始めなさいという強力な波動を日々受信しながらグズグズと迷っていましたが、重い腰を上げてみることにします。

書いてみようと思うことは多岐多様に渡るので、現時点で考えていることに大雑把な方向付けをしておきます。

維新政党新風副代表の瀬戸弘幸さんが、一般市民を標的に不当な攻撃をしたと感じた事が、同氏に抗議するに至った最大の動機です。瀬戸さんのブログでのやりとりは、ミハルさんのところで概ねトレースして戴いていたので、何があったか興味のある方は、そちらに目を通して下さい。

瀬戸さんを批判するだけなら、私より的確なツッコミや分析を展開するブロガーさんが大勢いらっしゃいますので、私がそこに加わっても大した意味はないような気がします。

2ちゃんねるシベリア板で、瀬戸さんを支持する一部の人たちと話をする機会を持てました。瀬戸さんを否定されると気持ちの行き場を失ってしまう人も居るのは何となく理解しました。批判はきっちりとしますが、否定して終わりにならないようなお話が出来ないかというのがまず一点目。

自分の中でうまく整理しきれていない「右派左派とは何か?」といった話題や、日々の暮らしやニュース等を見て感じたこと等を、ここで少しずつお話して、それなりに批評と向き合ってみたいというのが二点目。

でぶちんさんTomatotic-jellyさんがやっているブログ解析が(技術的に)面白そうな分野なので、私なりのやり方を少し公開しようかなというのが三点目。

恐らく、当面はどれも瀬戸さんと絡む形の話題になって行くと思います。日記をつける性格でもない私がブログを始めようと決断するに至った動機は、やはり瀬戸さんにありますので。

ある種の自己満足のためのブログ、チラシの裏のようなものですから、目くじらを立てずに適度に読み流すくらいの気持ちでおつき合い戴けると幸いです。



2 コメント | コメントを書く | コメントの表示  
Template Design: © 2007 Envy Inc.