拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年8月31日月曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その4)

この宿題遺棄事件シリーズ冒頭で、瀬戸弘幸さんが赤報隊襲撃事件に絡んで「統一戦線義勇軍」との関係について回想?している記事を紹介しました。

また、瀬戸弘幸さんが「セマウル運動」に参加していたのは1980年代初頭からで、これは全斗煥政権の頃だというお話を何度か念押しして来たことに読者の方々は気づいておられると思います。

「セマウル運動」は統一協会が韓国農村部に反共宗教として浸透していった事以外にも、利権問題その他きな臭い部分が眠っているようです。

私が紹介した回だけでなく、『日本よ何処へ』の連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』シリーズは、確か12回ほど続いたのですが、週刊新潮の実名告白手記に対して、再三懐疑的な論調の評論をしています。

そこで、週刊新潮の記事内容が読めるように紹介してくれている日々研鑽さんのブログ記事などを眺めて戴きたいと思います。


朝日新聞阪神支局“襲撃犯”が週刊新潮で実名告白

 1987年5月に、朝日新聞阪神支局に何者かが押し入り、散弾銃を乱射して記者1人が死亡した「警察庁指定116号事件」(時効)の実行犯を名乗る男が、29日に発売される週刊新潮に、実名で犯行を告白する手記を寄せていることが分かった。

 記事によると、男は都内の元右翼団体構成員で、誰もが知る“公的な組織に属する人物”から「朝日を狙ってくれ」と金で依頼され、東京本社、阪神支局、名古屋本社寮、静岡支局の順で 襲撃したと告白している。動機については、怨恨や思想的背景はなく記者1-2人を殺害するのが目的だったとしており、「赤報隊」を名乗る犯行声明は、別人に書かせたという。

 同事件は、87年5月3日午後8時すぎ、朝日新聞阪神支局で男が散弾銃を乱射し、居合わせた小尻知博記者(当時29)が死亡。もう1人が重傷を負った。2002年5月3日に公訴時効が成立している。
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1987年5月、朝日新聞阪神支局を襲撃し、一人を殺した実行犯が、実名告白した記事を、日付変わって今日1月29日発売の『週刊新潮』2月5日号に掲載されているという。

先ほど私は、近所の潰れそうな本屋に行ってみたら、なぜか既に1月29日発売の『週刊新潮』2月5日号が置かれていたので、早速購入した。

ほんの一部だけ紹介しよう。

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『週刊新潮』2月5日号
[第1回]【実名告白手記】島村征憲
私は朝日新聞「阪神支局」を襲撃した!

私が実行したのは、「東京本社」「阪神支局」「名古屋本社寮」襲撃と、「静岡支局爆破未遂」の4つ。それに続く中曽根元首相脅迫や、リクルート元会長宅銃撃事件というのは、私は関係ない。そして、「赤報隊」を名乗る声明文を書いたのも、私ではない。背景は追ってお話ししますが、私が頼んで、ある人に書いてもらったのです。それから、一番大事な点は、私はあくまで「実行犯」だということ。私は、ある人物から「朝日を狙ってくれ」と頼まれて実行しただけ。頼んできたのは、ある公的な組織に属する人物です。誰もが知っているその組織とは、何なのか。朝日を狙えと頼まれたのは、いつだったのか。なぜ、殺人という大それたことを引き受けたのか。その辺りのことは後で詳述しますが、正直に言うと、動機は金だった。そして、別に小尻記者や犬飼記者を狙ったわけではない。さらに言えば、阪神支局でなければない理由もなかった。ともかく、私は結果を出す必要があったのです。記者を1人か2人殺す、という結果を。
P29
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ということで、実行犯の実名などは判ったのだが、肝心の首謀者である「誰もが知っている公的な組織」が何かは今回判らない。

しかし、これに関しては、外国の組織であることが以前より指摘されている。

次に抜粋するのは、1994年に書かれた木村久著『疑惑人らがつくった関西国際空港』という本だ。

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朝日新聞襲撃事件
本の画像
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(一部抜粋)

こうした想像を巡らせると、ある1つの結論に達した。犯行グループは日本人ではなく外国人の可能性という結論だった。グループを外国人とした場合、さまざまな問題がクリアできた。

(中略)

このように日本の右翼が演じた過去の事件と比較してみると朝日新聞襲撃事件は、犯行グループが右翼を装いながら、右翼らしくない犯行の手口をのぞかせている。はやり、これは、日本人ではない犯行と考えられた。そして、この偽装がどこからきたものかを併せて考えてみた。結果はある組織に近いグループになった。

坂上のこの意見と同じ見解を示したのが東京在住の政治評論家だった。評論家は某政治家の話として、朝日新聞襲撃犯は”ある組織”という意見を述べた。もっともこの話は坂上が直接聞いたわけではなく、東京の出版社を通じてのものだった。しかし、評論家が同様の見解を示していたことで坂上は自信を持ち、記事を書いた。

それでも夕刊紙の連載には、余計な危険を避けるため、このある組織を、ある組織ともせず、また固有名詞を全く使わないで表現した。しかし、ある組織がこの記事を読んで怒った。逆鱗に触れたのだ。そして夕刊紙の役員室に殴り込む結果を招いたのだ。

戦闘服をまとったある組織の男らは、榎本社長と激論を交わした末、「坂上を2週間以内に組織の本部へ出頭させろ」と言い残して建物から去った。朝日新聞襲撃事件の発生後、1週間目の5月9日のことである。

そして約2週間目の同20日、坂上は東京都内の、ある組織の本部を予告なしに訪れた。ある組織は大きなビルの1室に本部があった。予告なしに訪れたのは、危害を恐れてのことだった。つまり、危害の準備ができない内に出頭したのである。

部屋の中には数人の男がいた。緊張した坂上には、その男らのどの顔も赤報隊に見えた。ある組織の追及は厳しかった。「何の根拠である組織のことを書いたのか」など、あらゆる怒声と罵詈雑言が浴びせられた。その場で危害が加えられるのを待つ以外に方法はなかった。救われたのは、その組織の中に幹部として1人の日本人が居たことである。

その日本人は「ただでは済まさないぞ」とたけり狂う男らを制して「二度とこんなことは書くな」という警告を発してその場を収めた。救われたのである。

当の日本人は、額に収められた外国大統領の写真の下で、
「私は大統領からの信任を得ている。この時計は大統領からいただいたものだ」と、得意そうに腕時計を見せた。しかし、左手の小指の先はなかった。

(中略)

――韓国・全斗煥大統領の実弟、全敬煥が3月18日に来阪、藤田永中や日本土地の木本社長ら6人と日航ホテルで密談している。そして全敬煥は帰国後、韓国当局に逮捕された。

『疑惑人らがつくった関西国際空港』木村久著(1994年)
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これらの情報から、「誰もが知っている公的な組織」は韓国に関係する組織のようだ。

具体的に何かを推測するに、いくら何でも「韓国大使館」ということはないだろうから、そうなると、民潭(在日本大韓民国民団)か、統一教会(世界基督教統一神霊協会)あたりのことを言っているのだろうか。

統一教会を「公的な組織」というのも考え難いので、おそらくは、「民団」だろう。

ちなみに、現在は多くの日本人が「在日韓国人=極悪人」と認知しているが、この本が書かれた1994年当時はまだそれほど広く認知されていない時代だったかもしれない。


「どうして朝日新聞が韓国批判?」
「どうして韓国が朝日新聞にテロ?」
などと不思議に思う人も多いかもしれないが、事件当時の1987年はまだ冷戦真っ只中であり、北朝鮮を「地上の楽園」と讃えていた朝日新聞と韓国(民団)は対立することもしばしばあったようだ。

(参考)


われわれは日本人である。
日本にうまれ 日本にすみ 日本の自然風土を母とし日本の伝統を父としてきた。
われわれの先祖は みなそうであった。
われわれも われわれの後輩も そうでなければならない。
ところが 戦後四十一年間 この日本が否定されつづけてきた。
占領軍政いらい 日本人が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮が、世の隅隅にまでいきわたっている。
およそ人一人殺せば死刑となる。
まして日本民族全体を滅亡させようとする者に いかなる大罰を与えるべきか。
極刑以外にない。
われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。
一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である。
これまで反日思想を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。
特に 朝日は悪質である。
彼らを助ける者も同罪である。
以後われわれの最後の一人が死ぬまで この活動は続くであろう。
日本人のあるかぎり われわれは日本のどこにでもいる。
全国の同志は われわれの後に続き 内外の反日分子を一掃せよ。

二千六百四十七年 一月二十四日
日本民族独立義勇軍 別動
赤報隊 一同
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_303111.html


『韓国・全斗煥大統領の実弟、全敬煥が3月18日に来阪、藤田永中や日本土地の木本社長ら6人と日航ホテルで密談している。そして全敬煥は帰国後、韓国当局に逮捕された。』とあります。

全斗煥大統領の実弟、全敬煥氏は、全斗煥大統領が新設した「セマウル運動本部」の理事長に就任してました。彼を始めとして、全斗煥大統領の親族5名で計78億ウォンの横領が発覚。この記事にあるのは、その端緒になった逮捕です。

そして、この大規模横領事件のマネーロンダリングは藤田永中氏(許永中氏と言った方が通りが良いでしょう。イトマン事件でも有名な、在日大物フィクサー)が行っていたとされています。

金で頼まれて動く、外国の公式団体(統一協会or民団)に依頼されるような、民族派右翼を自称する人物で、「セマウル運動」などを通じて、許永中(在日フィクサー)や全斗煥大統領の実弟、全敬煥氏あたりとつながって居そうな人物・・・ さてはて、誰だろう(笑)

瀬戸弘幸さんが、「統一戦線義勇軍」の名づけ親は自分だと手柄横取りの名乗りを上げたロジックを使うと、何だかとっても・・・

冗談です。日本刀でヤクザ者(※私はヤクザ相手ではなく非勝共な民族派右翼さんだと思ってますが)と斬り合う血気盛んな頃の瀬戸弘幸さんだったとしても、丁度この頃警察にいろいろ聞かれたと御自身で書かれていたとしても、やはりそこまでする度胸をお持ちだったと私は考えてはいません。

ともかく、したり顔で週刊新潮の記事を検証なさっている以上、全斗煥大統領や、実弟の全敬煥氏の名前が書かれているのを見たときに胸にズキンと来るものはなかったのでしょうか?

瀬戸弘幸さんが全くの善意・善行として「セマウル運動」に熱心に参加していたという仮定で想像してみますね。

瀬戸弘幸さんが熱心に参加していた「セマウル運動」を裏側で不当に食い物にしていた大統領で、そのために失脚し、日本でも大々的に報道されました。熱心に参加していただけに、その経緯が胸に深く刻み込まれていたはずですね?

だったら、週刊新潮が指摘している事の背景に「セマウル資金横領疑惑」がそのまま直結していることに気づかず読み飛ばすわけがありませんね。自分の善意を食い物にした悪い大統領や、その弟を忘れるわけがない。

瀬戸弘幸さんは、「セマウル運動」自体が決してクリーンなものではなく、裏には不透明なお金が流れていたことも知っていたはずですし、瀬戸弘幸さんはタッチしていないのかも知れませんが、民族派右翼や民団あるいは在日などが絡んだマネーロンダリングなどの問題があることもご存知だったのではないでしょうか?

少なくとも、「セマウル資金横領疑惑」で全斗煥政権が失脚する大スキャンダルに発展したのを見守って来たはずですから、それ以降については、そうした事実があることを知ったはずですよね?

ネトウヨや嫌韓厨たちが最もヘイトするエッセンスが、瀬戸弘幸さんが愛した「セマウル運動」の裏側にはドロドロと流れている事も、その本質も、瀬戸弘幸さんは確実に知っていたはずです。

ところが、それら一切合財を隠して、『セマウル運動は反共のために韓国の農業を近代化する運動で、ボランティアみたいなものです。』としか紹介しない。クリーンなイメージだけを流して、韓国の反共戦士(=統一協会)とオルグしようぜと呼びかける。

実際のセマウルでは、様々な利権問題が渦巻いていて、民族派右翼の皆さんにとっては格好のビジネスチャンスが転がっていたはずです。

瀬戸弘幸さんは確実に汚い部分を知っていて、それを隠して勧誘行為を行っています。韓国の反日感情の源流、統一協会というカルトの問題、在日や右翼が結託して不正利益を得たりマネーロンダリングしている実態。

そういうもの一切合財を知らせずに仲間に誘うのが、瀬戸弘幸さんという人のやり方です。

どこか間違っていたら、反論して戴きたいところです。

瀬戸弘幸さんが誠実にこのテーマに向かい合うことで、これまで光が当たらなかったこの分野の解明が進むので、私の指摘に間違いがあったなら、それはそれで素直に受け入れますし。

セマウル問題は、次回で取りこぼした分の紹介と軽いまとめをします。



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2009年8月30日日曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その3)

前回は、瀬戸弘幸さん達を受け入れたセマウル(新しい村)の人々だけが特殊な思想の持ち主の集まりだったから、反日感情が薄く感じられたに過ぎないという事を少しお話しました。

瀬戸弘幸さんが嫌韓に鞍替えして以降に、そ知らぬ顔で勝共思想や統一協会の内情について講釈しているエントリーがあるので紹介します。

せと弘幸Blog「統一教会」と「国際勝共連合」より引用


 これは統一教会ウォッチャーの間でもあまり知られてはいませんが、故久保木氏は一人で統一教会に入信したわけではありません。かなりの人数(三桁以上)を引き連れて移籍しています。

 現在の日本の統一教会の幹部は、この時の人達によって占められています。韓国の教組の下に入ってまで、彼らがやろうとしたことは一つしか考えられません。

 それが『国際勝共連合』の結成へと結びつくのです。彼らが当初から考えていたのは、宗教の衣をまとった政治活動でした。当時、創価学会、生長の家などの新興宗教は政治活動に力を入れ始めていた。

 立正佼成会はその頃はあまり政治には熱心な方ではなかった。だからこそ、青年部長を務めたほどの彼(久保木)は、出遅れたことを焦り、新天地を求めたのである。

 彼が始めた国際勝共連合は事実上、彼の死去によって幕を閉じた。私はあの統一教会というカルト宗教が日本社会に与えた深刻なまでの害毒と、国際勝共連合の日本の政治に与えた影響力を分けて考えています。

 確かにそれは同一の母体ではあったが、詐欺事件まがいの商法や集団結婚式などという反社会性の裏側に、日本の赤色革命に抗した運動があったことも事実でした。

 その考えはとても日本の民族思想とはかけ離れたもので、受け入れ難いものだった。しかし、彼らの擬似愛国心を見抜けなかった日本の保守勢力の多くが、彼らに取り込まれたことは事実でした。

 久保木の早過ぎる死がなかったら、彼らはまた統一教会から離れ、独自の道を進んだかも知れない。なぜならば、国際勝共連合の理念は文鮮明の北朝鮮訪問によって終焉したからです。

 笹川良一氏が彼らを応援したのも分からなくもない。彼は児玉誉士夫と並んで右翼のフィクサーだった。児玉が任侠系団体を右翼に引き込み組織化する中で、笹川はそのような動きには批判的だった。

 笹川は国際勝共連合に集う若者の純真さに心を動かされた一人だった。その純真さは洗脳によって作られたものだったが、笹川もまたそれを見抜けなかったのである。

 国際勝共連合の成功とは、表向きには真面目な青年が私利私欲を捨て、共産主義の魔の手から日本を救おうと立ち上がっているように見えたことでした。

 現在その精神は唯一『世界日報』に引き継がれているようにも見える。しかし、彼らが文鮮明と明確に袂を断たない限り、誰も信用しないでしょう。

後段部分のみ引用しておきましたが、瀬戸弘幸さんが国際勝共連合の内部事情にかなり明るいのが見て取れますね。統一教会ウォッチャーの間でもあまり知られてないことを、さらっと言えるくらいには。

国際勝共連合の結成を協力にプッシュしたのは笹川良一氏と、それに協力したのが児玉誉士夫氏。

ちなみに、瀬戸弘幸さんが右翼デビューするきっかけになったのは、ワイロを大量にばら撒いた糸山英太郎氏の金権選挙の応援でしたよね。

糸山英太郎氏は、笹川良一氏の姪と結婚して縁戚関係にあります。そこで笹川良一氏と児玉誉士夫氏のツテが出来たので、児玉門下生というルートを辿ったものと思われます。

この辺りの人脈は、完璧に国際勝共産連合を作った人たちが後ろに居るんですが、読者の方々の判断に任せます。

wikipedia - 国際勝共産連合 の項あたりを読んで、足りない情報は補完しながら読んで下さい。全部説明すると長くなってしまいますので。

瀬戸弘幸さんは、『笹川は国際勝共連合に集う若者の純真さに心を動かされた一人だった。その純真さは洗脳によって作られたものだったが、笹川もまたそれを見抜けなかったのである。』と、冷めた批評をしていますが、瀬戸弘幸さんがセマウルで出会った韓国の農民たちは、正にこの洗脳によって作られたものだったはずです。

『笹川良一氏が見抜けなかった』と突き放すor手のひら返しすることで、自分だけキレイな場所に居ようとする逃げが、ここに炸裂しています。自分は内部事情に異常なまでに詳しいことを、ここで晒してしまっていながらです。

勝共に異常に詳しい瀬戸弘幸さんならば、「セマウル運動」の基礎的知識もなく、しかも現地に行きながら、そこに居た農民たちが一般的な韓国人の国民感情と違う特別な思想洗脳を受けていることに気づかなかったはずがないですよね。

国際勝共連合の問題点も、今回紹介したエントリーでは批判的に扱っています。ところが、そのほんの少し前には、そ知らぬ顔で「セマウル運動」の正体をぼかして韓国の青年(明らかにこの青年たちは勝共思想で洗脳された統一協会信者の農民たち)との共闘を呼びかけています。

ネトウヨ・嫌韓厨たちにやりこめられて、それが不可能だと悟り、嫌韓に切り替えると宣言したほんの数年前まで、瀬戸弘幸という人はそういう事を繰り返していたはずです。

こういうスタンスで民族派右翼をしてきたのが瀬戸弘幸という人ですから、『ヤクザを右翼にさそったと因縁つけられて日本刀での斬り合いになった』という御本人の説明だけでは、『勝共に否定的な民族派右翼さんを内緒で勝共にオルグしようとして刀傷沙汰』の可能性も否定できない。

もう少し違う観点のお話もしてみたいと思います。

1980年頃は、日本の農村との交流はほとんどなかったはずだと言いましたが、言い換えると、この頃から社会問題化した統一協会の合同結婚式問題で、当時の韓国農村部の状況を直接見て来た貴重な体験を持つのが、瀬戸弘幸さんだということです。

瀬戸弘幸さん自身が統一協会の信者だとは私も考えていませんが、当時、韓国農村部に浸透していた統一協会の実態をつぶさに見たはずですし、合同結婚式で日本から嫁いでいった女性に会った経験も、もしかしたらあるかも知れません。

仮になかったとしても、数年前までは韓国に頻繁に行き来しており、向こうに友人が居ると言っていた瀬戸弘幸さんは、そのツテを使ったり、1980年頃に訪韓していた民族派右翼の方々に聞き取り調査をするなどのジャーナリスト活動を熱心にすることで、合同結婚式後に消息を絶った日本人女性を探すという、瀬戸弘幸さんにしか出来ない尊い活動ができる可能性があります。

ご自分が、韓国で当時やって来たことにあまり触れたくないのでしょうが、せと弘幸Blog」:カルト・統一教会についてのような批評で満足していて良いのでしょうか?

一見、痛烈批判しているように見えますが、実際には全く踏み込んでいませんね。ご自分が見聞きしてきた本当の部分には全く触ろうとしません。

6500人の失踪者が居ることを紹介するのは良いことですが、だったら、その方々の安否を心配している人たちに、瀬戸弘幸さんが1980年代初頭の韓国農村部で見聞きしてきたことを情報として提供なさったらどうですか?

また、今でも農村部に友人が居ること、そのツテで情報収集ができるからと協力を申し出たらどうですか?

なぜ、北朝鮮の拉致が許せないとあれほど声高に言う瀬戸弘幸さんが、こんなにたくさん出来ることがあるのに何もせずに薄っぺらな批評だけでオシマイにするんでしょうか。

セマウル問題は、まだまだ、これだけではありません。次回に続きます。



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瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その2)

私が、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』の全記事を読み返す中で最も違和感を覚え、かつ最も重要そうだとずっと思っていたものが、「セマウル運動」に関するものです。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ左傾化する韓国に危機意識を持とう!より引用


 朝鮮半島は南北に分断され、「自由VS共産」というイデオロギーの厳しい戦いの中にあった。韓国は米国・日本と同盟関係にあり、日本も北朝鮮や・旧ソ連・中共との最前線に立つ韓国を支援してきた。

 これは国家だけの話ではなかった。私が右翼の活動を始めた頃は、民族派の団体有志は韓国の反共団体と協力関係にあり、相互訪問で親交を深めていた。今から25年ほど前の旧い話になるが韓国の農村ではセマウル運動が盛んに提唱され、我々もその応援で韓国の田舎にまで行ったものである。

 セマウル運動とは19世紀に二宮尊徳が行った農村改革運動と共通点が多く、故・朴大統領が尊徳の事績を参考にしたとは予てから指摘されていたが、日本側では「二宮尊徳の仕法とセマウル運動」には、両者の精神・手法には共通点があるとされ、日本においても韓国のセマウル運動と提携する農村があった。

 当時は非常に韓国の国民は親日的であったと思う。とても今日のこのような反日的な気運は私などには正直言って信じられない。冷戦の崩壊や韓国が経済的に成功を収め自信を深めたことが、かつての植民地の歴史に対する反発とナショナリズムの勃興と重なり、現在の状況が生み出されたと考えられる。

 だが、そのナショナリズムは韓国を誤まった方向に導きつつある。反米・反日はその裏返しとして北朝鮮への愛着となり、北朝鮮の共産主義体制の容認という取り返しのつかない思想的風潮が蔓延している。これに追い討ちをかけるような容共政策が次々に打ち出されてきた。

 そのような容共主義を徹底する上で、かつての日本の植民地時代における様々な問題が蒸し返され、それを絶対に許さないとした反日思想を拡大している。その延長線上にあるのが「靖国批判」であり、これは現政権が進める左傾化と連動している。

 現在、韓国社会において進行している左傾化は、武力を伴わないクーデターであり、もしこれが成功するなら韓国は北朝鮮に併合されてしまうだろう。これは信じられないが確率の高い予想である。銃声の音こそ聞こえないが、左翼共産主義革命は成功しつつある。

 我々日本人はこのことに余りにも無関心過ぎるのではないか。朝鮮半島の共産化は日本にとっては死活とも言える程に重要である。日本の古くからの歴史を見ても、古代で言えば白村江の戦い。蒙古襲来、日露戦争など、その多くが朝鮮半島と深く関わってきました。

 地政学的に見ても、日本がこの朝鮮半島の将来に無関心、或いは無関与であり続けることは、国益からみても大きな損失となるでしょう。ネット上では「韓国など北朝鮮に併合されてしまえば良い、ほっとけ!ほっとけ」という声もありますが、私は韓国における「反共・自由の青年戦士」達との共闘を呼びかけたい。               (瀬戸)


この記事に対する読者の猛反発で、やがて瀬戸弘幸さんはネトウヨや嫌韓厨らの熱意に折れるような形で、反共だけではなく、嫌韓も掲げると方針転換して行くことになるんですが、それほど美談ではなかったようです。

瀬戸弘幸さんは、恐らく故意に「セマウル運動」の情報を読者が正しく理解できないように紹介しています。実際、右翼のおじさんたちが野良仕事のボランティア作業をしに行くことのどこが共産勢力の阻止になるか理解できる読者は居ないと思います。

まず、『農業の近代化が何故、共産主義との戦いになるのか?』について、簡単に説明しておきます。

共産思想は、資本主義社会で搾取されている貧しい労働者階級の不満を苗床に成長します。

このシリーズの中盤以降で説明する予定ですが、『韓江(ハンガン)の奇跡』と呼ばれる韓国の復興事業は、1965年の日韓国交正常化の折に韓国に日本から渡された8億ドルが工業地帯や高速道路などのインフラ整備に重点的に投入され、農業は後回しにされました。

都市部と農村部の経済格差は激しくなり、共産主義者が農民たちの不満につけ込みやすい条件が揃ってしまっていたので、朴政権としては放置しておけなかった。

そこで、経済的に立ち遅れた農村部を近代化する。でも、それだけではなく半強制的に組織化、組合化することで農民同士を相互監視すること、更に共産主義に徹底的に対抗する思想を持った宗教を農村部に根付かせるという対抗策を取りました。

私のブログでも、江戸幕府が隠れキリシタン対策で仏教諸派の檀家制度を奨励し、事実上の戸籍制度とすることでキリスト教徒にならないようにした事などに少し触れたことがあります。

一時的にイスラム教が浸透した国家で、それを排除するためにあえて豚肉料理を奨励したというところもあります。異教徒を排除するために宗教を利用するというのは古今東西で見られる方法で、それを共産主義というイデオロギー対策に使ったということですね。

こうして、「セマウル運動」では農地開発や道路整備も行われましたし、伝統的なわらぶき屋根の家が近代的な家にどんどん建て替えられましたが、同時に、農民同士は共産主義に走らないようお互いを監視し合い、統一協会に入信するものも結構多く居ました。

で、統一協会と言えば霊感商法も有名ですが、悪名高いのが合同結婚式。

(何故か理由は紹介されないのですが)韓国農村部に信者が多い統一協会は、日本人女性を貧しい農村部の、嫁の来手がないところにどんどん嫁がせる。しばらくすると音信不通。行方不明。

New Presentation of Divine Principle, jap lang (※作業ミスでリンクが切れていたので修正しておきました)

統一協会の教義がプレゼンになっているもののようです。「セマウル運動」とのつながりを調べていて見つけたので、私は我慢してザックリ流し読みしましたが、気持ち悪かったので他の方々には全部読めとは言いません。ただ、394Pを見ると、セマウル運動は、しっかり統一協会の教義に組み込まれていることが分かります。

勝共理論ともバッチリ書いてあります。

これで、「セマウル運動」の概要は大体見えてきたと思います。瀬戸弘幸さんのエントリーを見ると、農業ボランティアに行ってきましたと書いてあるようにしか見えません。

そこには、かなり細かい誤魔化しのテクニックが使われているので、紹介していきます。

まず、エントリーが書かれた時期から25年ほど前の事らしいので1980年頃にセマウルに訪問していることになります。

2000年代に入って以降は、大分県の一村一品運動のように、セマウル運動と連帯する日本の農村と言えるようなものは出始めていますが、1980年頃は軍政が敷かれていましたね。

瀬戸弘幸さんたちが何度も足を運んだのは全斗煥政権の頃でしょうか? 軍政下の韓国では地方自治が長年凍結されていました。セマウル(新しい村)が自立的に他国の自治体と連動するのは無理ですね。

瀬戸弘幸さんは、むしろ「韓国の地方自治」でもお読みになって、勉強なさった方がよろしいでしょう。

瀬戸弘幸さん説によれば『盧武鉉のせいで左傾化した』ことになっていますが、このレポートによれば『盧武鉉のおかげで軍政から民主化が進み、特に地方自治の道筋がついた』と指摘されています。

『セマウル運動と日本の農村の連動は、朴政権以降、軍政下では見られない動きだったが、盧武鉉がその筋道をつけた。』と紹介しないと正確じゃないと思いますよ。

瀬戸弘幸さんは、『日韓の村同士でも交流があるくらいで、自分たちもそういうボランティアをしていたんだ』という印象を読者に与えたかったんでしょうが、軍政下の1980年前後にそれは絶対にあり得ない。

『当時は非常に韓国の国民は親日的であったと思う。とても今日のこのような反日的な気運は私などには正直言って信じられない。』と瀬戸弘幸さんは仰っています。

ですが、当時の軍事政権は、代替わりするたびに日本に謝罪と賠償を要求し続けてきたことを日本人は知っています。嫌韓厨は、反日教育の出発点が盧武鉉時代でないことも知っています。

瀬戸弘幸さんの盟友である桜井誠さん執筆の『嫌韓流反日妄言撃退マニュアル』を今回は参考にさせて戴きますね。

『一九四八年八月十三日の大韓民国建国以来、初代大統領李承晩から続く反日教育には、一応曲がりなりにも理由が存在した。もちろん極めて独りよがりの理由ではあったが、それなりに理解できる理由ではあった。つまり、韓国は建国当初から非常に貧しい国家であり、特に朝鮮戦争前後では世界最貧国の地位に甘んじていた。本来なら朝鮮半島は一つの国家として独立するはずだったmのを、李承晩らによる朝鮮半島南部地域だけの先行独立によって貧しさを強要されたとして国民の不満が鬱積しており、その不満のはけ口として徹底的に反日を打ち出し、自分たちの手によって引き起こされたはずの貧困の原因は「暴虐と非道、収奪の限りを尽くした」日帝によるものとして、政府への批判をかわそうとしてきた経緯がある』

如何でしょうか? 瀬戸弘幸さん。親日的と言われた朴政権ですら反日教育はせっせと行っていますし、全斗煥政権も反日教育をしていました。

軍政から民主化して、その後、北朝鮮と対話が進んでから確かに一気に反日教育の問題が表面化しましたが、下地づくりは瀬戸弘幸さんが熱烈に支持していた政権がせっせと作ったものですよ。

そして、『日本と韓国は反共の同士である!!』なんて日本からやってきた民族派右翼有志の方々を喜ばせそうなことを言う農民ばかり居たのなら、そのセマウルは、統一協会の勝共思想に完全に洗脳されていたと見て間違いありません。

瀬戸弘幸さんは、「セマウル運動」がどんなものか、正直に書きませんでした。また、セマウルで自分たちを歓迎してくれた人たちが、一般的な韓国人の国民感情とは別の思想を持った特殊な人々であることも、本当は承知しているはずなのに、そのように紹介しませんでしたね?

(その1)で一水会の鈴木邦男さんが、『われわれの仲間には何人か原理にオルグられたり、「合宿」に誘われて行ったことのある人間もいる。』という記事を書いているのを紹介しましたが、ネトウヨや嫌韓厨に対して、同じことをしていませんか?

自分たちの実態を教えずに誘う。一緒に闘おうと持ちかける。もちろんこれは大失敗に終わるわけですが・・・

だから、日本刀事件もちょっとアヤシイかな・・・? と私は思い始めているわけです。

まだ、「セマウル運動」については、さわりの部分しか語っていないので、次回に続きます。



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2009年8月29日土曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その1)

少し時間がかかってしまいましたが、今回から新シリーズに入ります。

調べ物をしているうちに、話がどんどん膨れ上がって来ているので全10回程度を予定していたのですが、収まりきらないかも知れません。

主題にしたかった話題のために色々調べ物をしてたら、余禄で瀬戸弘幸さんが発信してきたウソがボロボロと見つかったので、そのうちの1つを導入部に使ってみたいと思います。初回ですし、まずは軽めのジャブです。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:初めて明かす義勇軍創設と私の立場より引用


この中で、赤報隊の事にも触れられていたが、ここではナント、捜査当局が最後に絞り上げた十人の「赤報隊容疑者」がイニシャルとは言え、従来の報道よりも詳しく紹介されていた。

 「新右翼I会創設者で文化人のS」や「新右翼T軍初代議長で現在I会のK」に混じって、・・・・・・・・「新右翼T軍の創設にも関与したジャーナリストのS」がいる。

 はてさて、誰だろう(笑)

 この「新右翼T軍の創設にの関与したジャーナリストのS」とは、これは私のことです。今日はこのことに関して初めてブログで書くことにします。

 昭和56年頃、私は東京・東銀座の合同環衛ビルという所を事務所兼住まいとして、日本憂国会という名称で右翼活動をしていました。
 当時、私の元に皇心塾、一水会、北方領土奪還青年委員会の若い活動家が集まっていた。

 当時の私もまだ29才の若さでした。我々は既成の右翼団体の枠にとらわれることなく、先鋭的な運動を行なうことで意見が一致して、団体の名称を統一戦線義勇軍とすることにした。

 ※この昭和56年頃から・・・・・名称を統一戦線義勇軍とすることにしたまでの文章を正確を記して下記のように訂正しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 昭和56年頃、私は東京・東銀座の合同環衛ビルという所を事務所兼住まいとして、日本憂国会という名称で右翼活動をしていました。
 当時、私は皇心塾、一水会、北方領土奪還青年委員会などに所属する若い活動家と一緒に活動していましたが、そのような活動家が横断的に結合して出来たのが「統一戦線義勇軍」という組織でした。
 資料「昭和59年1月・公安情報」を参照
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 当時の私もまだ29才の若さでした。我々は既成の右翼団体の枠にとらわれることなく、先鋭的な運動を行なうことで意見が一致して、

 本部事務所を当時私が住んでいたそのビルの6階に置き、我々はすぐさま全国の若手活動家に対して「分裂混迷の状況にある日本民族運動を再生する道は、文字通り烈火のような運動の実践の中にしかない」として檄を飛ばした。

 東京都内においても電柱などに統一戦線義勇軍のビラを張り出し、活動を全国的に展開しようとしていた。その我々の呼びかけに応じるように全国から多くの人が訪れてくることになりました。

 関西方面からも何人もの人がやって来ては、時間の過ぎるのも忘れて議論して、朝になってしまったことも度々でした。私は関西からやって来た人にも、我々の統一戦線に加わるように積極的に呼びかけていました。

この位で十分でしょうか・・・ いわゆる「赤報隊事件」の手柄横取り炸裂と、2ちゃんねる界隈でも瀬戸弘幸さんの記事を揶揄する批評が多かったのですが・・・

瀬戸弘幸さん界隈にも人気の阿修羅で、こんな記事を見つけてきました。

(資料:民族派団体一水会代表、鈴木邦男氏 反統一教会 論文 昭和六十年、1985年、朝日ジャーナル )
勝共連合は民族主義運動の敵だ ―文鮮明王朝建設に利用される日本の若者 より一部抜粋


われわれ、戦後体制打倒をめざす「一水会」の機関紙『レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家の第一人者である茶本繁正氏を招いて一水会事務所で勉強会をしたこともある。その時のテーマは「勝共連合は愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわれわれは明らかにした。

また、われわれの仲間には何人か原理にオルグられたり、「合宿」に誘われて行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研”が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といった体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元で原理も考えていた。さらには、われわれ一水会と連帯している統一戦線義勇軍の機関紙『義勇軍報』でも原理・勝共との戦いを呼びかけており、事実、一水会や義勇軍は他の民族派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。

小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼全般からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味はない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としてはそれも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天皇制を守り、憲法改正、スパイ防止法の制定を」と言っている。

統一教会・原理研と勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのかどうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方だ」と思ってる右翼に同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてくれたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張でもないことを知った。

長いので一部抜粋にしましたが、全文読んでおくことをお勧めします。

瀬戸弘幸さんのお話と違って、彼ら「統一戦線義勇軍」は原理・勝共と闘う立場の民族派右翼さんだった模様です。明らかに話が矛盾していますね。

当時の右翼界隈の空気では、ロッキード事件発覚直後の児玉誉士夫氏に師事しただけでも勝共扱いされて仕方ない状況だったと思います。瀬戸弘幸さんは、思想信条も完璧に勝共でしたよね。

瀬戸弘幸さんが、ヤクザと日本刀で・・・という件も、詳細が明らかになったら、瀬戸弘幸さんらが勝共産な民族派右翼さんをオルグしようとしてトラブルを起こして刀傷沙汰になっただけ、という可能性も否定はできません。

今のところ、瀬戸弘幸さんが一方的に相手がタダのヤクザ者だったことにしているだけで、本当は勝共系以外の民族派右翼さんだっただけかも知れません。少なくとも、瀬戸弘幸さんが勝共だということは、ほぼ間違いない事実です。(次回、詳しく説明します。)

憶測だけで深く突っ込んで非難しても仕方ないので、こんなもんにしときます。あくまでさわりです。

私が今回のシリーズを書き起こすために当初調べていたのは、1980年前後に瀬戸弘幸さんが、どのような民族派右翼の方々とおつきあいしていたかという事です。

その頃、瀬戸弘幸さんは、日本の民族派右翼有志らで韓国の農村を近代化するための「セマウル運動」というものに参加していたと、『日本よ何処へ』で紹介していました。一体、どんな民族派右翼さんと御同行なさったのか知りたくて調べていた時にたまたま見つけたのが統一戦線義勇軍との関係についての矛盾です。

私は、このセマウル運動支援のエントリーにずっと違和感を感じていました。

前回シリーズで、松沢呉一さんが、瀬戸弘幸さんの行動理念はカネではないかという趣旨の批評をスッパリとされているのを見て、『児玉誉士夫氏がロッキード事件以上の利権を得たのは何だったろうか?』と考えていて、もう一度「セマウル運動」や、韓国の復興全般と民族派右翼の関わりなどを見直してみようと思い直しました。

すると、瀬戸弘幸さんが大量のウソを発信していること、都合の悪いことを必死に押し隠していること、ネトウヨ・嫌韓厨たちに詰め寄られたときに言いかけてやめてしまったことが多分あるらしいことが見えてきました。

冒頭に示した矛盾は、その際たるものの1つです。

まずは、瀬戸弘幸さんがかなり最近まで勝共であったことを、瀬戸弘幸さん自身のブログ内の発言を中心に明らかにします。今回は「セマウル運動」に関する瀬戸弘幸さんの主張から、それを読み解いて行こうと考えています。

おそらくですが、今の瀬戸弘幸さんが嫌韓厨のアイドルみたいなポジションに居るのは『ナノゼリー販売はもうやめたから、商品の説明はもうしない!!』というのと同じ宿題投げ出しです。

瀬戸弘幸さん本人の方が上手に答えられること、瀬戸弘幸さん本人でないと全く答えられないことが大量にありますから、第三者であるワールドワイドウェブが、宿題の肩代わりを完全にできるわけではありません。

私は、自分の能力に見合った範囲で分かる事実は明らかにし、分からない部分は、『瀬戸弘幸さんが誤魔化して逃げてますよ。でも、実際は答えを知ってるはずですよ。』と指摘して行くスタイルを取ろうと考えています。

次回から、「セマウル運動」の話題に入ります。



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2009年8月26日水曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その12)

師匠が師匠なら、弟子も弟子ということでしょうか。

「維新政党・新風」の副代表の座を追われた自称「右翼」の瀬戸弘幸さんの愛弟子、侍蟻 SamuraiAriさんが、『溢れんばかりの「日の丸」を林立させよ!』と新風に対して猛烈に抗議をなさっています。

既に瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その9)で、「行動する保守」なる勢力が、他国の国旗(又は国旗に順ずる旗)に対して敬意を持った取り扱いをしていない事、自国の国旗を自国民、一般市民の恫喝に使用するという不見識極まりない態度で、日の丸や日章旗を汚していることを指摘しています。

「維新政党・新風」も、国旗の取り扱いについてそうした履き違えをする不心得者が居る以上、抗議の意思を示すような街頭活動に日の丸を使うなというお達しを出すのはごく自然な流れだろうと思われます。

それがケシカランと猛烈に抗議している有門大輔さんこそが、不見識な振る舞いを先頭に立って行ってきた非常に悪い意味でのオピニオンリーダーです。

オリンピック等、平和的な形で各国が国家の威容を誇り、かつお互いを称えあうような祭典で掲げる国旗の使用を、「維新政党・新風」は禁じてはいないでしょう。勝手に意味を書き換えて非難を浴びせる有門大輔さんのような態度こそ、党の精神や、党の名誉を汚しているのではないでしょうか?

加えて、党が発表した「民族差別を許さない」という公式声明にも唾を吐きかけ、土足で踏みにじっています。そんなに「維新政党・新風」が嫌いなら、出て行けば宜しいのではないでしょうか?

党の求心力を利用するだけ利用して、自分の思い通りにならない時は、全く尊重しない。しかも、党として自由闊達に話し合いをする場がないわけではないのに、正々堂々と議論をしない。

党の副代表を退いたとはいえ、師匠である瀬戸弘幸さんは、有門大輔さんの躾をどのようになさって来たのでしょうか? 

今のところ、彼の口ぶりを見る限りでは、まだ新風内にとどまっているようですから、党に物申すのであれば、きちんと党内で必要な手続きを踏んで発言するよう適切に助言するのが年長者であり、長年彼の面倒を見てきた瀬戸弘幸さんの務めではないでしょうか?

瀬戸弘幸さんと有門大輔さん、更にお二人に同調してキレイ事を言う人たちに新風を任せられないと、まるで『新風乗っ取り』を企てているかのような発言をなさっている方々、新風側からは、このようなメッセージが以前から出ています。

新風青年:公式メールマガジン『週刊WIN』 vol.6 【巻頭言】政党としての主体性を意識せよ!より一部抜粋 


我が党の主張は、正式な党内手続きを経て(機関誌やホームページなど)公式媒体に示されている。それに不満を持つ党員も存在するようだが、それは(役職の如何を問わず)個人的な意見に過ぎぬのであり、党としての公式見解でないことはいうまでもない。インターネット上で党声明の批判を行うなど論外だ。不満があるなら、このメルマガなどで議論すればよいのである。
(ひがしやま・くにもり)維新政党・新風全国青年部長


どうして、正しい手続きをもって党声明に対する意見を言わないのですか? 党員として諫言申し上げたいなら、妥当な手続きというものがあるはずです。

裏でコソコソと党の乗っ取りや転覆のハカリゴトをしているように見えるやり取りを残しておくことが、党員、支持者、一般の有権者の不信感を誘うことも理解できないのでしょうか?

特に、「行動する保守」を先頭でリードし続けている瀬戸弘幸さんは、元・副代表ということもありますし、その責任は小さくないはずです。

「極右」政党が育つことを喜んでいた瀬戸弘幸さんは、いつの間にか自らの手でそれをぶち壊そうとしていませんか?

さて、このシリーズも(その12)を迎えました。当初予定していたよりも大幅に長くなってしまいましたので一旦区切りとします。

実は新シリーズの構想もほぼ出来上がっています。恐らくですが、今回のシリーズよりは瀬戸弘幸さんにとっては苦々しいものになると思います。(※当社比)

『瀬戸弘幸さん人生最大の宿題やり残しにワールドワイドウェブが挑む』といった切り口で進めさせて戴く予定です。

資料等を整理しているところですので少々お待ちください。



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2009年8月24日月曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その11)

松沢呉一さんにも取り上げていただけたようで恐縮です。相変わらずの乱筆乱文ですが、もうしばらく続けて行きたいと思います。

さて、自分たちの聖戦を、カルト同士の抗争に矮小化されるのは遺憾だと自称「極右」の瀬戸弘幸さんが吼えています。

私は傘の件はさほど深く突っ込む気はありませんが、ビラ撒き自体は、ごく素直に解釈すればカルト同士の中傷合戦レベルを超えるものではありません。

最初からそのように評価していますし矮小化とは考えていません。クダラナイカルト同士の中傷合戦に参戦しただけのおじさんが、それを正義の戦いであるかのように粉飾して大きく見せたがるのがおかしいだけです。

大真面目に考えると、瀬戸弘幸さん達がやっている事が『天皇陛下の国事行為に対する反逆行為』だったり、『議会制民主主義や法治国家の否定』だったり、『天皇陛下や国民が世界に対して恥をかくよう仕向ける国賊行為』と言えますが、そうした批判を切り離せば、犬も食わない醜い争いで、その片方に乗っかったアホなおっさんにしか見えません。

本当に「極右」としての矜持をもって戦うのであれば、「極右」としての政治的主張を、彼らの政治的主張にぶつけて見せるべきです。

瀬戸弘幸さんたちが主導する「行動する保守」は、こんな事を言うと『キレイごとばかり言うな!』と仰るかも知れませんが、瀬戸弘幸さんが今やっている事には、「極右」として国民に誇れるキレイな部分が全くないじゃないですか?

きちんと「極右」の正義を示しなさい。逃げるなチキン。って事です。キレイごとゼロで、汚い部分だけで世の中を回そうっていうのは土台無理なお話です。理想や理念がまずベースにあって、それを実現するために、キレイごとだけで通らない部分がありますよって言うなら、まだ理解のしようがありますが、瀬戸弘幸さんたちには、それすらもない。

昔なら「反共」という絶対正義を示しておけば、そのためのヨゴレ仕事は多少目をつぶる事が許されたでしょう。東西冷戦構造崩壊前なら、多少の荒事や汚い手段も、法令違反も、最終的には、国のため天皇陛下のために自分たちは泥をかぶる、汚名をかぶってでも最終的には国に奉ずると言い切れたでしょうが・・・

今のご時世に、瀬戸弘幸さん界隈の悪事を正当化できる言い訳は存在しません。

民主党批判をするときも、「コミュニスト」ではなさそうだけど、とにかく売国奴に違いないから自分たち愛国者を差別者として弾圧するに違いないといったおかしなロジックで、自分たちの支持者に危機感やプレッシャーを与えるような方法しか思いつかない。

宗教政党に対する姿勢を占めそうにも、彼らだって「コミュニスト」勢力ではないので、別のもっともらしい言い訳探しをしなければいけません。創価学会叩きで『カルトだから』という理由づくりに必死なのも、そのためですね。

間違った憲法解釈を広めようとしたり、『神のように崇める教祖を否定する人間を殺す危険団体』or『政敵を殺す危険な団体』というプロパガンダ作りくらいしか思いつけない。正攻法で戦う意思を今の瀬戸弘幸さんが持っていないからです。

そういう工作が許されるなら、そのロジックを「極右」に対してあてはめられるとどうなるか分かりますか?

『極右は天皇陛下や英霊を否定する人を狙って、放火や殺人を行い、それを褒め称える危険な団体!!』

こんな言われ方をしたら、瀬戸弘幸さんは絶対許せないでしょ? そういう事を創価に対してやっているわけです。

瀬戸弘幸さんが、創価学会を危険なカルトとして世間に認知させようとしているロジックを使うことで、そのまま「極右」思想を危険なカルトと断定することが可能になります。

こんな危険な団体は政治に参加してはいけない。あるいは、国家神道を国教にする「政教一致」の国づくりをしたがってるから違憲政党だと宣伝することもOKとなれば、「維新政党・新風」などは、永久に国政に出てはいけない事になってしまいますね。

つまり、瀬戸弘幸式の攻撃方法が一般的に「正当な言論」として認められてしまうと、「極右」思想や「極右」政党は、今後育たなくなって、後にはペンペン草も生えない不毛の大地が残されるでしょう。

しかも、東村山市議転落死の場合、瀬戸弘幸さんがこれまでに開示している情報や、裁判の結果から見るに、単なる言いがかりでしかないですね。

『創価学会が、池田大作を守るために朝木明代さんを殺した』と信じるに足る客観的な証拠はないのに、瀬戸さんはそのように宣伝したがっている。

それに対して、「極右」は、歴史を紐解けば、政敵の暗殺、天皇陛下や靖国に否定的な発言をした人物の暗殺、放火などの事件を度々起こしていますね。

瀬戸弘幸さんが、たびたび持ち上げる「大日本愛国党」は、『演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎を17歳の少年・山口二矢に刺殺させる』といった事件も起こしています。

瀬戸弘幸さん自身も、二度ほど右翼構成員が起こした放火事件を賛美するコメントを書いておられますね。お忘れとは言わせません。

創価学会は、政敵を殺したかどうかも分からないのに、それが事実であるかのようにウワサを流してバッシングする。
「極右」である自分たちは、それよりもひどい事件を『実際に!!』起こしているのに意にも介さない。

簡単に言ってしまうと、そういうことです。

だからといって、天皇陛下が邪悪なわけでも、天皇陛下を尊敬する国民が邪悪なわけでもありませんので、誤解しないで下さいね。

『一部の右翼さんたちは、それで人殺しまでする。その犯人を賛美する人もいる。その界隈は邪悪かも。』というレベルのお話でしかないです。

瀬戸弘幸さんが、創価学会を邪悪なカルトだとする理由の1つを、固有名詞抜きにして汎用的な文章にすると、以下のようになると思います。

『ある団体が、自分たちが崇拝する神や人などを思うあまり、それを否定する者を許せなくなる。その度合いが尋常ではなく、相手の身体や生命にまで危害を及ぼしても良心の呵責を覚えなくなる。こうした団体は危険なカルトである。』

上記文章は、まぁ正論だと思います。特に反対する要素はありません。

で、瀬戸弘幸さんは、創価学会がこの定義にあてはまる団体だと決め付けているので、傘による目突き事件は創価学会の仕業だというウワサを広めたい。そういうことですよね?

ですが、この定義にピタリと当てはまる「具体的な事実」が前科等で残されているのは、むしろ瀬戸弘幸さんたちだったりします。

『創価を叩いているオレたちこそ正義』という宣伝は、滑稽そのものです。創価学会に何も問題がないとは言いませんが、証拠もなく叩こうとしている瀬戸弘幸さん達は、叩こうとしている理由に関して前科持ちじゃないですか?

正直笑えません。どの辺が正義なのか、ご説明願いたいところです。特に『極右として』思うところを正直に述べていただきたいです。



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2009年8月21日金曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その10)

「維新政党・新風」という、選挙を通じて議席を得て公党になろうという目標を持つ集団の副代表を一時は務めていた、自称「極右」の瀬戸弘幸さんは、現在「公職選挙法」の抜け穴を探して、公平公正な選挙をぶっ壊そうと躍起になっています。

そもそも、衆議院選挙の公示が日本国憲法第7条第4項に規定される天皇陛下の国事行為であることも正しく理解されていないのではないでしょうか?

公平公正な選挙に泥を塗るということは、天皇陛下の国事行為に泥を塗るということです。それこそ「国賊」と言われる行為ですね。

公平公正な選挙ができない国は三等国家として諸外国に笑われます。天皇陛下や国民が、一部の狼藉者のせいで笑いものになる。「愛国者」を自称するものがやってはいけない事だとわかりそうなものです。

「公職選挙法」の目的は、『日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員ならびに地方公共団体の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思よつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期すること』です。

『選挙ポスターへの落書き』程度でも罪を問われるこの法律を前にして、『特定議員を落選させる目的で20万枚の中傷ビラ撒き』で逮捕されない方法を必死に探している瀬戸弘幸さん界隈を見ていると、この法律の立法趣旨や、その根本にある憲法の精神を守ろうという気は更々ないというのが分かります。

まず、ここまでの指摘で気に食わない部分がありますか?

東京12区だけを狙った事、事実上、太田氏狙いである事をHP上で包み隠さず表明してしまっている様子なので、特定候補に対する落選運動であるという判断は免れないでしょう。選挙後の手柄横取りのためだろうって方々で言われてますけど、太田氏のクビ狙いで落選運動してますよってもっと頑張って書き込むといいんじゃないでしょうか?

今頃あわてて削除したら、かえって違法性認識アリとなりますし、これからどうするんでしょうね?

逃げ切れるかどうかの要点は「公示前」というところだけでしょうね。黒田大輔さんがビラ配布の継続を表明していて、瀬戸弘幸さんらに止められなければアウトでしょうし、『ポスティングは公示前日にやめた』と主張しても、『有権者は公示当日に違法ビラを受け取った』という解釈で進められないとの保証はないですね。

留守宅の場合は、完璧に公示より後に有権者が違法ビラを見ることになるでしょう。ポスティングという手法を使うなら余裕をもって2日前くらいには配布を停止するべきだったと思うのですが。読み手の都合は知らないって瀬戸弘幸さん達は思うかもしれませんけど。ギリギリのタイミングの投函だと、本当に前日だったのか立証も出来ないでしょうしね?

りゅうさんのところで、刑事告発の話題が出ていたようですし、現時点で警察が受理する要件は既に満たしているようです。囲い込まれたのは、瀬戸弘幸さん達ではないかな、と私は思います。

仮に罪に問われずに逃げ切ったとしても、天皇陛下の国事行為に泥を塗った瀬戸弘幸さんは、「極右」として最低という非難は免れないと考えるべきですね。

ところで、瀬戸弘幸さんは右翼デビューなさった頃からクリーンな選挙がお嫌いだったんでしょうか?

瀬戸弘幸さんをウォッチして来た人達には機知の問題ばかりですし、新味のある話題は全くないですが、支持者の方々はいつもの如く『アーミエナイミエナイ』するでしょうか… ですが、少しだけ昔話をさせてくださいね。

自称「極右」の瀬戸弘幸さんは、本人の著書「ヒトラーの呪縛」で福島市役所勤務中に、糸山英太郎氏(自民党)の選挙に協力した際に、右翼団体のツテを掴んだとお書きになっているそうですね。その後、そのツテをたどって児玉誉士夫氏(戦後最大の右翼フィクサー)の民族思想研究会に入会という経歴。

まず、ここまで間違いありませんね?

糸山英太郎先生のHPで、瀬戸弘幸さんが応援した選挙についてご自身がお書きになっているコラムがありました。

ITOYAMA EITARO OFFICIAL HOMEPAGE PRIVATE COLUMN 「きれいな選挙などあり得ない」より一部抜粋

私は昭和49年7月の参議院選挙で戦後最大の選挙違反を出した。当時、私は田中角栄氏の推薦で自民党から立候補し、全国2000会場をキャンペーンして回り約80万票、全 国区13位で当選したが、その選挙活動は佐藤栄作氏の息子や山東昭子氏、宮田輝氏な どの有力な候補者が出ていたので苦戦が予想され、後援会や支援者達は票を取りまとめるために金を使った。その後選挙違反が発覚し、辞任要求を突きつけられた。が、 そのときに「殴られても蹴られても辞めない」と言い放って居直り、世論の圧力に屈 せず6年の任期を満了した。


ご自身が賄賂のばらまきを認めておいでです。瀬戸弘幸さんはこの選挙を応援なさったんですね。Wikipediaでもう少し事情を調べてみると『選挙期間中から金権選挙振りがマスコミの耳目を集めた。更に当選直後に大規模な選挙違反が発覚、選対本部長を始め経営していた会社の社員・ギャンブル関係者など142人が逮捕され、1287人が検挙されるという当時としては最大規模の選挙違反事件に発展した(特に義父の笹川了平は初犯だったにも拘らず、この選挙違反で実刑判決を受けた)。』といった事も書かれていました。

瀬戸弘幸さん自身は、この逮捕者には含まれていないのでしょう。含まれていたら、この時点で福島市役所に居られなくなったでしょうから。ですが、市役所職員が特定候補者の選挙応援をするのは、「地方公務員法」に違反していますよね? どちらにしても自慢できた話ではありません。

さて、そんな経緯で右翼デビューをなさった瀬戸弘幸さんは、田中角栄氏が、ロッキード事件後も政界引退しないことを糾弾するためと称して、静岡市長選挙に立候補した事があります。詳しくは、、我が回想録『静岡市長選挙出馬』というエントリーに武勇伝的に紹介されています。

読んでいただけば分かるのですが、この時の瀬戸弘幸さんは、あからさまに『バリバリの右翼』の格好で静岡市に乗り込んで、対立候補の田中派の候補者をバッシングしまくって大満足したようです。

これは当選目的でない立候補、市長になるためではない選挙活動ですね。どこか歪んだ「被参政権」の行使だったことは間違いないでしょう。「公職選挙法」に引っかからないように公示期間中に対立候補をバッシングするために立候補するという脱法行為の一種だったのではないでしょうか。

瀬戸弘幸さんの右翼デビューの契機となった糸山英太郎氏の金権選挙を吊るし上げたのは田中角栄氏でした。
ロッキード事件で田中角栄氏を追い込んでいたのは、瀬戸弘幸さんが右翼としてお世話になっていた児玉誉士夫氏でした。

右翼の世界の勢力図や人脈、派閥、対立、柵(しがらみ)などが、どこでどうつながっているか、私には分かりませんので、陰謀論ドップリで語っても仕方がないのですが、右翼内のご事情で静岡に恫喝遠征に行かれただけであって、静岡市民のための立候補でないのは確かですよね?

静岡市に定住して、静岡市長になるつもりは毛頭なかったでのではないですか?

『政治と金』に義憤を感じるのであれば、右翼デビューの足掛かりになった糸山英太郎氏の選挙が「金満選挙」だった事に何の憤りも感じなかったのでしょうか? 瀬戸弘幸さんは、それについて一度もコメントをした事がありません。

恐らく静岡市の有権者の皆さんにも、瀬戸弘幸さんが糸山氏の金満選挙を応援した過去などは一度も説明することなく田中角栄氏の批判をなさっていた事だろうと思います。(※間違っていたらどんどん反論して下さい。)

ですから、瀬戸弘幸さんは静岡市民のために立ち上がったのではなく、右翼の内部事情その他のために田中派バッシングしたくて静岡市に長期の恫喝遠征に行っていだけだと私は思っています。

民主党の小沢氏などの金の問題などを批判するのも結構なんですが、『政治と金』問題の原点として、是非とも糸山英太郎氏が今なお『きれいな選挙などない』と断言なさっている事なども視野に入れつつエントリーを起こして戴きたいものです。

瀬戸弘幸さんは、毎回カンパの使途を内緒にする体質なども問題になっていますが、右翼デビューの原点から『政治と金』問題がなんだかスッキリしない人だなと感じます。

少し話題が逸れましたね。昔話はこの辺で終わりにしましょうか。

「議席譲渡」という形で有権者を愚弄した左翼市議もそうですが、今回の選挙妨害も有権者や国民を舐めきっているからこそ出来る行為ですね。あるいは選挙をゲーム感覚で考えていて、常に裏技を探す感覚で遊んでいるんじゃないですか?

何よりも「極右」として天皇陛下に顔向け出来ないことをしている自覚をお持ちになるべきです。

【追記】
コメント欄で少し触れておいたのですが、『児玉誉士夫氏が田中角栄氏を追い詰めていた』という書き方は不適切でした。これでは児玉誉士夫氏が田中角栄批判の先頭に立っていた正義の味方だと勘違いする読者が居るかもしれません。

児玉誉士夫氏は、戦後の大物右翼かつフィクサーと呼ばれた人物で、ロッキード事件では、田中角栄氏とロッキード社の間を取り持ったとされています。このため、ロッキード事件発覚後は国民からも右翼からも集中的に非難を浴びていました。

で、その辺りを正確に伝えなおそうとロッキード事件の時系列を少し見ていたら、奇妙な事に気づいてしまいました。瀬戸弘幸さんの右翼デビューの頃と少し時期が符丁しているんですね。

少しご説明させて戴きます。

せと弘幸blog『日本よ何処へ』で瀬戸弘幸さんのプロフィールを確認しました。昭和27年生まれとあります。この時点では誕生日は未詳です。

瀬戸弘幸さんの、静岡市長選での武勇伝のエントリーを読み直して、その選挙がいつあったのかもネット等で色々と調べてみました。

昭和58年4月10日 第10回統一地方選挙。瀬戸弘幸さんは、32歳で静岡市長選挙に参加。

4月10日には32歳のお誕生日を過ぎていた。昭和27年1月1日~4月10日以前までのどこかが誕生日。大体のところが分かればいいので、お話を先に進めます。

瀬戸弘幸さんが、児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入会したのは24歳の頃。昭和51年初旬よりは後の事と考えていいですね?

【昭和51年初旬:右翼界隈のニュース】
2月 4日 アメリカ チャーチ委員会の公聴会でロッキード事件が始まり、児玉誉士夫の事件関与が明るみに出る。
2月14日 大日本愛国党緊急時局懇談会 赤尾敏総裁が児玉誉士夫は「右翼の風上にも置けない」と非難。
3月23日 児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件発生。「特攻機」を操縦していたのは、かつての右翼運動家。

瀬戸弘幸さんは、ロッキード事件が明るみに出た丁度その頃に児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入って、お世話になってるんですね。知らないとは言わせません。

で、田中角栄氏と児玉誉士夫氏はロッキード事件について一蓮托生じゃないんでしょうか?

せとblog内をくまなく検索しましたが、瀬戸弘幸さん自らがロッキード事件を理由に児玉誉士夫氏を批判した事はただの一度もありません。不思議なことです。ロッキード事件は許しがたい国賊行為ではないのですか?

瀬戸弘幸さんは、ロッキード事件で私服を肥やした児玉誉士夫氏の庇護の下で、右翼活動をしていた。間違いありませんね?

国民だけでなく、右翼の方々も児玉誉士夫氏を非難している時期に、そういう人物の門下生だったんですよね?

せとblogでも度々持ち上げ、静岡市長選のエントリーでもヨイショしている大日本愛国党の赤尾敏氏は、上記の時局懇談会において以下のような演説をなさっているようです。

『新聞などの報道によると児玉は「右翼の立看板」として紹介されている。これほど不愉快なことはない!赤化しつつあるわが国をまもるため滅私奉公するのが右翼としての本分である。しかるに政財界と癒着し寄生虫のごとくカネを吸い上げる児玉なる人物は右翼の風上にも置けない!児玉即右翼ではない!』

よりによってロッキード事件糾弾で静岡市長選に乗り込んだ赤っ恥記事の中で赤尾敏氏の名前を拝借して自分の権威を補強しようとしてしまったことについては、右翼としての良心の呵責や、恥というものを感じたりはしませんか?

田中角栄氏と一蓮托生だった児玉門下生だった瀬戸弘幸さんは、数年後には、そ知らぬ顔して田中角栄氏のロッキード事件を糾弾するという触れ込みで静岡市長選に殴りこみ。バリバリの右翼スタイルで対立候補をバッシングして回ったんですね。もちろんこの姿を見て、真面目に市長になりたくて演説をぶっていると思った市民は居ないでしょう。

どこまでもふざけた話だということが再確認できてしまいました。国民のための義憤、静岡市民のための義挙、そうした主張は一切通りませんね。

瀬戸弘幸さんは、静岡市の有権者の皆さんの前で田中角栄批判を展開するとき、ご自身が田中角栄と一蓮托生の児玉誉士夫門下の右翼であると正直に自己紹介なさいましたか?

また、当時を振り返るブログ記事も、政治と金の問題、不正を追及する正義の右翼の姿に見えるよう粉飾していますが、ご自分の右翼としての出自などを正直に書かないとペテン同然じゃないんでしょうか?



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2009年8月19日水曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その9)

前回のエントリーでは若干消化不良気味な感がありますので、国旗の取り扱い、民族差別、国家観の在否、売国奴などといったキーワードともう少し向き合ってみたいと思います。

米国を侮辱するために柳生昴さんが用意した髑髏マークとハーケンクロイツ付の星条旗


この問題では、有門大輔さんが、他国の国旗を故意に侮辱しておきながら、『大したことはない』との声明を出して、保守層からの猛反発を買った。よもや、瀬戸弘幸さんもお忘れになったとは言わないでしょう。

チベット旗を「マント」代わりにする不見識極まりない西村修平さん


チベット救済を真剣に考えているなら、こうした振る舞いは考えられないと多方面から非難が殺到。反中反共の口実にフリーチベット運動を利用しているだけだという指摘が真っ当な保守陣営から寄せられたんでしたよね?「行動する保守」を自称する瀬戸弘幸さん達は、そうした反発を「キレイ事保守」の言として片付けてしまいました。

『旭日旗+メット+覆面』という異様な風体の男を引き連れた西村修平さんらが、東村山万引き被害店を襲撃


瀬戸弘幸さんは、この異様な風体を『街宣初参加の学生で、顔を隠したかっただけ』と説明。旭日旗は顔を隠すためには不必要です。この点について説明せず議論から逃亡しました。明らかに旭日旗を一般人を恫喝するために使用していますよね。

左翼団体の集会を威圧するために、日章旗を持って施設を取り囲むイベントを企画したり、別の集まりでは、主催者に迷惑をかけないように日章旗を持ち込まないように呼びかけている瀬戸弘幸さん界隈を見ていると、日章旗が脅しの道具になること、場合によってはそれを持ち込むことによって迷惑する人が居ることを十二分に認識していることは明らかです。言い逃れは出来ませんね。

さて、国旗等と「行動する保守」界隈の関係をダイジェストに見て来ました。その上で瀬戸弘幸さんのブログで「民主党」に対して展開された批判をもう一度読み返してみたいと思います。

瀬戸弘幸さんが、5W1Hを一切紹介しなかったので『民主党が日の丸を2枚ハサミでジョキジョキと裁断してつなぎ合わせて、民主党ロゴをこさえて使っていた』という問題が起っていた事に気づかず私は批判展開をしていました。

調べず記事を書く瀬戸弘幸さんを常々批判している私ですから、誤読させた瀬戸弘幸さんの書きっぷりを責める前に、まずは自分でそれらしい事件がなかったか探ってみようと考えなかった点について反省してお詫びしておきます。

その上で、瀬戸さんが言いたかったことは、国旗をぞんざいに扱う民主党は倫理観や国家観が不在である。そういう政党は共産主義勢力になびいていなかったとしても、売国奴である。彼らが調子づけば、保守勢力を、民族差別者だと攻め立てるに違いない。

大体のところ、こんな内容で宜しいですよね?

では、瀬戸弘幸さん率いる「行動する保守」にこの批判を当てはめるとどうなりますか? 「行動する保守」がマルクスレーニン主義と対決すると主張していようとも、他国の国旗をぞんざいに扱い、自国の国旗も自国民を恫喝するために平然と使う不見識さ。

「民主党」は、確かに今回不適切なことをしましたが、素直に謝罪しています。また、日の丸を侮辱することが目的でやったわけではありません。

それに対して、「行動する保守」は何度不見識な振る舞いで非難を浴びても一度たりとも誠意ある謝罪をしたことがありません。しかも、星条旗侮辱事件のように「故意に」国旗を侮辱するという事件も起こし、それを「大したことはない」で片付けようとした前科があります。

そして、まともな保守陣営から非難を浴びても「キレイ事保守」などと逆ギレ同然の罵倒を返すことが多いのも事実です。

このように、瀬戸さん界隈の「行動する保守」と真っ当な保守陣営は、氷炭相容れないものと言えます。

維新政党・新風が、「民族差別を許さない」という公式声明を出し、同党の渡邊昇さんが「攘夷と差別の違い」というコラムで非難しているのも、明らかに「行動する保守」界隈の人々が有する欠陥、問題点を憂慮してのものですね。

そうした流れを反映するように、同党の副代表という重要ポストに就いていた瀬戸弘幸さんは、そこに居られなくなって辞任なさっています。

『民主党は国旗をぞんざいに扱う売国奴だから保守を民族差別者として弾圧するぞ!』というロジックを、瀬戸弘幸さんが振りかざすのは、あまりに幼稚でお粗末です。

そもそも、瀬戸弘幸さんに「極右」の矜持があるのか?という疑問が払拭されない以上、創価学会を叩こうが民主党を叩こうが、保守が喜びそうなどのような勢力を叩いて見せようが、瀬戸弘幸さんが愛国者である、国士である、立派な保守言論者であるという評価はされないと思うのですが、如何でしょうか?



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瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その8)

[※当方の誤解に基づく批判です]
自称「極右」の瀬戸弘幸さん、今度は「民主党」のロゴが、日本国旗を切り裂いたデザインだと言い出しました。

党のシンボルですから、常に目立つところに掲げているものです。ロゴのデザインが決まった時点で「民主党」を国賊だ売国奴だと非難して来たのなら理解は出来ますが、今頃になって何を仰っているんですか?

不勉強、不見識な瀬戸弘幸さんのために「民主党」のHPでちょっとロゴの由来を調べて差し上げました。

民主党のロゴマークは1998年4月に現在の民主党が結党されたときに作られたもので、デザインは数々の広告デザインで知られる浅葉克己さんです。デザインの意図について、浅葉さんから次のような説明がつけられていました。「2つの円。2つの球。それは、『民の力』の結合の象徴です。円は、球は、止まっていない。みなぎる力で動いてゆく。育ってゆく。生命体のように、成長しつつ、融合しつつ、新しい形を生み出していく。円は和でもあります。語り合い、論じ合いながら、一つの力になっていく。その無限大 ∞ の形に、未来への限りない可能性を示しつつ、真紅に、『民の力』は統合されていくのです」。


10年以上前からこのデザインで、堂々と掲げられているじゃないですか。分析評価に随分手間取ったご様子ですね。

こんなアホな理由で国家観の欠如と断言するなら、『霊界に居る明治天皇や昭和天皇は、天皇制はもう要らないと言っている』との霊言をもって、新しい国家を作ろうとしている政党に連帯を呼びかける瀬戸弘幸さんこそ、明治以降の日本人が大切にしてきた価値観を土足で踏みにじる売国奴と断言して差し支えないでしょう。

[※当方の誤解を是正した表現]
自称「極右」の瀬戸弘幸さん、今度は「民主党」が日本国旗を切り裂いたものを貼り合わせて党のロゴを作って集会で飾っていたと言い出しました。確かにこれは倫理観の欠如を示すもので非難に値するとは思います。

ですが、これをもって党全体が国家観が欠如したいかがわしい党だと断言できるのならば党の代表である教祖が『霊界に居る明治天皇や昭和天皇は、天皇制はもう要らないと言っている』との霊言をもって、新しい国家を作ろうとしている政党に連帯を呼びかける瀬戸弘幸さんこそ、明治以降の日本人が大切にしてきた価値観を土足で踏みにじる売国奴と断言して差し支えないでしょう。

『私は支持していません』では逃げられません。ストップ!ザ『政教一致』に参加を呼びかけたのは紛れもない事実ですからね。

保守思想と氷炭相容れない左翼市議や宗教政党と連帯して、明治以降の日本人が大切にしてきた価値観を土足で踏みにじって平然としている売国奴の瀬戸弘幸さん(こういう瀬戸さんが好んで使う表現は、適正な批判の範囲ですよね?)、国家観、歴史観、大事なものがかなり抜け落ちてますね。

保守言論家としてはお粗末すぎませんか? 私ごときに、こんな事を言われてるようでは、あまりにだらしないと思いますが。

特に今後の民主党の動きを予測して書いたであろうこの辺りですが・・・『敵は天下を取れば益々傲慢となる。保守主義そのものを偏狭なる民族主義として排撃するようになるかも知れない。』

瀬戸弘幸さんの場合、元々が『偏狭なる民族主義を保守主義と詐称している』存在ではないのですか?

維新政党・新風が出した「民族差別を許さない」という公式声明や、同じく新風の渡邊昇さんが書いたコラム「攘夷と差別の違い」で非難されているのは、瀬戸弘幸さんが主導している「行動する保守運動」そのものに見えますが。

況や自己の勉学を怠り自分の意見と合わない人間を『あいつは在日だ』『おまえは学会だ』とネットで書き記すのは見識が浅いどころの話ではない。

デモなどにおいても、『在日をたたき出せ』『ゴミはゴミ箱へ、在日もゴミ箱に』と絶叫するばかりでは、偏狭どころか関東大震災の後のデマゴーグ再来である。

どう見ても、瀬戸弘幸さんらに向けられた言葉ですね。「民主党」ではなく、「維新政党・新風」から見ても、瀬戸弘幸さん界隈は『偏狭なる民族主義』でしかないって事です。

[※当方の誤解に基づく批判]
『民主党のロゴは国旗を切り裂いたものっぽく見えるから、これから民主党がボクたちを弾圧しても売国奴が国士様を弾圧してるって思ってね』って主張をなさっているんでしょうが、こんな幼稚すぎるロジックを誰が支持するんでしょうか?

[※当方の誤解を是正した表現]
『民主党は国旗を切って党ロゴを作るくらい国家観倫理観が欠けてる売国奴だから、ボクたち愛国者を偏狭な民族主義者として弾圧するかも』って主張をなさってるんでしょう。ですが、瀬戸弘幸さん界隈は、「維新政党・新風」から見ても、民族差別をする偏狭なデマゴーグに見えているようですから、こんな幼稚すぎるロジックを誰が支持するんでしょうか?

毎度の指摘で恐縮ですが、瀬戸弘幸さんには「極右」としての矜持はもう微塵も残っていらっしゃらないのでしょうか? 空しい言を重ねて恥ずかしくはないのでしょうか?

【追記1】
せとblogコメント欄を見て、デザイン問題ではなく、国旗2枚を張り合わせて党旗を作った疑惑があるという話なのか、と現時点で批判の趣旨だけは合点しました。

ただし、諸事情を確認してからコメントすることにします。(こっそりエントリーを消すといった小ズルイ真似はしませんので。)

【追記2】
りゅうさんからの指摘で、元ソースになったニュースを確認できました。確かに国旗2枚を切って、貼り合わせて党のロゴを作ったようです。せとblogの記事が読みづらかったと言い訳だけして逃げるのは卑怯だと考えますので、この点は素直に謝罪しておきます。

記事の読み込みの甘さと、その甘さの上に立って批判してしまった事の2点はお詫び致します。

ただし、私が書いた批判文の骨子は何ら変更するつもりはありませんので悪しからずご了承下さい。



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2009年8月17日月曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その7)

明日には、衆議院選の告示がされ、ヘタを打てば公職選挙法違反で逮捕という事態が待っています。急にビラまきの姿勢が変わったりするのかな?と思っているところですが、果たしてどうなることでしょう。正当な言論活動なら、これまでと変わらずせっせとビラ配布されるんでしょうが、出来なくなるんでしょうね。違法認識してるでしょうから。

瀬戸弘幸さんはこれまで、「幸福実現党」に、ストップ!ザ「政教一致」実行委員会への参画を呼び掛けてきました。今頃になって、彼らを支持していないと逃げるための布石を打っても全く無意味というものでしょう。

さて、明日以降は、あまり「幸福実現党」について踏み込んでご説明できなくなるかも知れないので、本当に「極右」ならシャレになってないぞ、激怒しなきゃならんぞってくらい看過できない主張をしている事を紹介しておきます。

まず、カルトめいた部分に少しだけ触れます。「風雲ケータイおじさんの日記」というブログで、「幸福の科学」代表の大川隆法総裁が、明治天皇、昭和天皇、天乃御中主神、天照大神の霊言を聞いて書いたとされる本の紹介をしています。Amazonなどでもレビューが出ているのですが、このブログに書いてある内容が一番参考になるようです。

自分は保守派だと自認している人は是非とも覗いてみて下さい。明治天皇も昭和天皇も、天津神も、みんな幸福の科学を応援してるし、もう天皇制は要らないって、大川総裁に霊界から語りかけたから、有難く拝聴しなさいって事らしいです。

まず、教義的にこういうことを信者に教え込んでいることを、「極右」の瀬戸弘幸さんは、どうお感じになられるでしょうか? 「靖国神社」は廃止して、戦没者慰霊施設にすべきであるって霊言を賜ったそうで・・・

日本には信教の自由が認められていますから、こんな教えでも信じる自由がもちろんあります。ただの宗教問題なら、ここまでで済む話で、信者が勝手に信じてる分には大した害もないかな・・・とも思います。

彼らがオカルトチックだという話でおしまいなら、瀬戸弘幸さんと同じ低俗さとの誹りを免れないでしょうから、これを踏まえて、『幸福実現党宣言』(大川隆法著)(論点要約)も読んでいただきたいと思います。

公党を目指す「幸福実現党」が、一体何を考え、どんな日本の将来像を描いて政治の舞台に立とうとしているのか分かります。

4 天皇制の問題点 天皇制自体は、何らかのかたちで遺しておいたほうが、日本の国にとってはよいだろうと思っている。ただ、外国から見ると、誰が元首なのか、誰が意思決定をするのかよく分からない。これが、日本が外国から信用されていない理由である。「内閣総理大臣に元首としての責任がある」と明確にするか、大統領制を敷くなどの、意思決定者をすっきりさせないと、日本という国は信用されない。


天皇陛下が居ることで日本は世界から信用されないんだそうです。「極右」として、こういう意見を持つ政党と協調して行けるんですか?

6 「信教の自由」に関する問題点 第二十条のつくり方は、かなり混乱を呼んでいる。「学問の自由」と同様に、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」だけでよいのであり、あとは法律でつくればよい。「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」というのは、もとは国家神道のことを意図してつくったものだが、条文を正確に読めば、天皇制自体も、これに当たる。また、第八十九条は宗教の範囲を制約して縛るものである。「信教の自由」の下に言うならば、政治的な宗教も、政治的ではない宗教も、当然ありうる。「政治は、宗教的なるものを、一切、反映してはならない」というならば、それは唯物論国家である。


国家神道を意図して「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」という規定が出来たと明確に言っていますね。「極右」さんの泣き所を明確に指摘しています。

そして、宗教団体が政治に参加することの正当性を説いています。こういう主張をしている「幸福実現党」が、ストップ!ザ「政教一致」実行委員会とかいう、ピントハズレな一団に加わってくれると思っているんですか?

あと、7や8辺りを御自分で読んでください。宗教が政治に入り込むことで、宗教の良識がそこに加わって補完しあうことができるとか何とか主張されています。「極右」である瀬戸弘幸さん、(瀬戸弘幸さん定義によるところの)政教一致政党である「幸福実現党」さんとの共同戦線が実現すると良いですね。

私が「極右」を自称する立場にあるなら、こういう政策を掲げたり、教義の中で天皇陛下を貶める宗教団体さんとは全面的に戦わなければと考えますけが、べったり仲良くしたがる自称「極右」さんも居るんですね。そこに「極右」の矜持は微塵も残ってないように見えますけど。

【追記】
早速、せと弘幸blog『日本よ何処へ』でチラシ配布終了のお知らせが来ました。

「表現の自由」として保証されている範囲の適正な言論活動をしているはずだったんじゃないんですか? 急いでやめないと逮捕が脳裏をチラついてしまうような事をやっていたと、そういう認識で宜しいですね。

『陽動作戦でした』とか『作戦勝ちでした』とか、何だか意味不明な勝ち鬨をあげてますが、「極右」としての矜持がズタボロになっただけの今回のビラまきの、どこに勝利があるんですか?

「極右」らしい正論を並べて戦うという事をせずに逃げて、どうでもいい所で戦っている風に見せるポーズ作りばかりしているから、真っ当な評価がついて来ないんじゃないでしょうか。

今回の落選運動っぽい中傷ビラまきは、大筋では創価学会自体を狙うもので無関係の洋品店狙いよりは随分とマシですが、それでも商店街で公明党のポスターが貼ってある店に脅しをかけたり、結局は自分たちより弱そうな一般人を狙うところに流れる。

どこまで行っても弱い者いじめ体質が抜けない困った人たちですね。



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2009年8月16日日曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その6)

瀬戸弘幸さんが、「極右」目線、つまり戦前の国体護持(復活)を目標とする立場から見て、「公明党」の党としての主張や政策が気に入らないのが、彼らを嫌う最大の要因である可能性が高いというお話をして来ました。連立与党内から、靖国公式参拝にブレーキをかける発言をされたら、「極右」として面白いはずがありません。

問題は、「極右」らしい正論を振りかざして、「公明党」の政治的姿勢を批判することなく、別の理由で「危険な集団だから滅ぼさなければならない!!」というネガティブキャンペーンを張っている可能性の方が極めて高く、そのために、集団ストーカー被害者、電波攻撃被害者など、世間一般に理解されなさそうな人たちまで取り込んで利用したり、とにかく「公明党」や「創価学会」叩きの材料に出来ればと、一般人まで巻き込んで叩いても何も反省しなかったり・・・

危険なカルト教団、日本占領を画策している、政敵を謀殺する政党、集団ストーカー、電波攻撃、ウンコ殺人予告etcといった内容が一番言いたいことで、極右らしい理由付けがそれより下位にあると言ったら、瀬戸弘幸さんは、「極右」ではなくて、『頭のいかれたおっさんだ!』と断言しても差し支えありません。

こういうことを平気でやっていると、保守活動家のイメージが悪くなり、創価学会や公明党は気の毒な被害者という事になってしまいますね。

瀬戸弘幸さんが、「創価学会」を嫌うことは「内心の自由」として認められるでしょうし、適正な範囲の批評も「言論の自由」として許されるでしょう。しかし、これまで散々指摘してきたとおり、『公明党は政教一致の違憲政党だ!』という主張は全くの間違いです。

間違った理由で、創価学会の「政治結社の自由」という憲法で保証された権利を踏みにじったり、ビラまき中に公明党ポスターが貼られている商店に、「学会員の店か!」と威迫行為に及ぶようでは、「信教の自由」も踏みにじったことになります。

日本国憲法を遵守していないのは、間違いなくビラまきをしている瀬戸弘幸さんと仲間たちということになりますね。

また、選挙期間中に、公明党の議席を減らすことを目的とする中傷ビラを配布していると、ご自身が一番良く自覚しているはずです。これで公職選挙法違反にならないわけがありません。公正な選挙を妨害したがってるのは明らかですから。

憲法や各種法令を遵守せず、しかも憲法違反ではない政党に対して、憲法違反だと中傷する内容のビラまきをして、抗議されたら、相手は創価学会員だから何をしても良いと考える。

瀬戸弘幸さんから見て「邪教」や「カルト」に見えたからといって、それで相手が犯罪者扱いできるわけではないことは理解できますか? むしろ、「創価学会員」であることを理由に店に暴言を吐きかけたりして回る方が大きな問題になります。

世間の大多数が許せないと考えている「オウム真理教」の信者に対してだって、私的制裁をすることは許されません。そういう振る舞いは、日本という法治国家においては「正義」とは呼ばず、「不法行為」と呼びます。

瀬戸弘幸さんは、『私たちは正当な言論活動をしているだけなのに、創価学会が不当な妨害活動をしている』と主張しているようですが、誰が見ても今回の中傷ビラまきについては瀬戸弘幸さんたちに理がありません。

どのあたりが「正当な言論活動」なのか、ご自分の行為について説明できますか?

堂々と、「公明党」の政策やマニュフェストのどこがどのように「極右」の目線から何が気に入らないのか、それを主張すれば良いのではないですか? 憲法違反でない政党を、虚偽の理由で批判して、得点をあげたことになるんですか?

正々堂々と「極右」目線からの主張も、「公明党」の政策主張の問題点も明らかにして、国民の理解を求めていく。それでこそ「正当な言論活動」と言えるのではないですか?

念のために強調しておきますが、『創価学会を批判してはいけない』とは言っていませんよ。適正な批評は構わないんですが、瀬戸弘幸さんがやっている事は憲法にも各種法令にも抵触しています。そして、「極右」らしい矜持とかけ離れたところで陰謀論や中傷を並べ立てているだけの、非常にクダラナイものです。

「極右」を自称するなら、正々堂々と「極右」の矜持に従って持論を展開して論陣を張って見せよ!ということです。そうすれば、自ずから憲法違反や法令違反に当たる主張もなくなっていくし、「極右」らしい主張を支持してくれる人も出て来るでしょう。

今のままでは、カルトどうしの抗争の中で、一方のカルトにノルマを課されて中傷ビラをまいて勝利だ勝利だとほざいてるおっさんじゃないですか。これで、どうやって日本を変えるんですか?



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瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その5)

『創価学会は日本占領を画策している邪悪な宗教だ』という噂をネット上でちょくちょく見かけます。恐らく瀬戸弘幸さんを支持している人たちもそれを信じているし、必死に広めているのでしょう。

「公明党」が何をしたら、瀬戸弘幸さんが主張するような『政教一致の憲法違反の政党だ!!』ということになるのか、少し考えてみたいと思います。「極右」政党について考える良いきっかけにもなるはずです。

「政教分離の原則」を平易に言うと、国教を認めない。特定宗教を他の宗教よりエコひいきすることを認めない。ということだと説明してきました。

「公明党」が「創価学会」を日本の「国教」にしようとしても「政教分離の原則」があるので、憲法改正(国民投票で7割の支持)の手続きを踏まない限り違憲です。どんなに国会内で上手な立ち回りをして与党内の発言力を増しても、日本の人口の数%の信者しか持たない創価学会が「国教」になることは有り得ません。

それほど素晴らしい宗教だったら、誰も邪教だと考えないしみんなとっくに入信してます。

また、そこまで極端な話でなくとも、「公明党」が「創価学会」だけ他宗教より優遇しろとか、「創価学会」の宗教施設を政府関係者に公式参拝させろと無茶な要求をしたこともありません。彼らは、現時点においては、「政教分離の原則」に逆らう要求を何もしていません。

「靖国神社」を「公式参拝」させろと言っている人達の方がGHQ策定の戦後体制では違憲で、それに難色を示す「公明党」は、間違ってない。『日本人としてそれでいいのか?』というのは別の議論として残るのですが、「公明党」は「政教分離の原則」に違反しているという瀬戸弘幸さんの中傷宣伝は事実と大きくかけ離れています。

将来的にどうなるか分からない。本心は「創価学会」を優遇したいはず、「国教」にしたいはずだから、違憲なんだということは出来ません。

現時点で違憲に当たる主張をしていない団体を弾圧するのは妥当ではありません。これを「極右」に置き換えて考えてみれば、少し冷静に見られるようになるんじゃないでしょうか?

「維新政党・新風」は「国家神道」を「国教」として復活させて日本を「政教一致」の国家にしようとしています。これは日本国憲法の「政教分離の原則」や「信教の自由」に違反しています。『維新政党・新風は、政教一致の違憲政党だ!!』とキャンペーンを張られたら、ぐーの根も出ませんよ。

「公明党」は表向きはこうした主張は全くしていませんし、仮に本心でそれを願ったとしても憲法改正で国民が支持して国教になるか・・・ と言えば、全くそうした望みが叶う公算はありません。

正々堂々と、「極右」らしい正義感や主義主張を「公明党」にぶつけ、自分たちも憲法や各種法令を遵守して活動しながら国政に打って出て、彼らと同じ舞台に立って、「国会」の場で戦えばよいでしょう。

自分たちが1議席も取れないから、カルト宗教ならあり勝ちな問題を拾い集めて来て、危険な宗教だと必死に宣伝しました。集団ストーカー被害者や電波攻撃の被害者までかき集めました。信憑性が薄い東村山市議転落死も、『政敵を謀殺する危険な政党』というネガティブキャンペーンに使えると思ったので介入してみました。これが大失敗して大火傷しました。

ジリ貧になってしまったので、東村山で仲良くなった左翼やカルトと一緒になって中傷ビラをまいて公明党の議席を減らそうと考えました。ところがそこで持ち出した「政教分離の原則」は、「極右」が絶対に持ち出してはいけないものでした。

でも、よくよく考えてみると、ビラを作っているのは、靖国参拝に反対する左翼市議だったり、創価学会と対立するカルトだったり(そのうち1つは、国政に打って出る。瀬戸理論だと政教一致ではないのか? 彼らの新憲法草案では、天皇陛下は三権と切り離される。戦前の国体護持どころの話ではない)、「極右」なら断固戦わなければならない相手。

ここまで生き恥さらして、「行動する保守」を名乗られては、他の保守陣営、特に古巣の「維新政党・新風」さん辺りはとても迷惑しているでしょうね。

昨日の瀬戸弘幸さんのご活躍の報告を少し紹介しておきます。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:反天連のデモを完全に圧倒より引用

完全な勝利でした。時代が完全に変わりつつあることが、今日示されました。新しい時代の夜明けです。政治家は靖國神社を参拝すると選挙に勝てないと思ってか、総理大臣は勿論のこと閣僚の殆どが参拝を見送りました。

 こんな情けない国がありますか。お話になりません。

 今、政治家は全くアテになりません。我々「行動する保守」運動は必ずやこの日本を変えて見せます。その国民大衆の力が示された正に歴史に記念すべき日となりました


こんな空虚な大本営発表をしても世間は賞賛しません。右翼も左翼の時代の流れから取り残されています。場外乱闘したに過ぎません。

国政にも打って出ず、左翼市議やカルトのために中傷ビラをノルマ課された分だけ配布してるおじさんが何を仰っているんでしょうか?



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2009年8月15日土曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その4)

64回目の終戦記念日を迎えました。1年を通じて、最も「靖国神社」が注目される日ですね。

凪論さんのところを見ていたら、「靖国に代わる国立追悼施設建設へ 民主政権発足後に有識者懇を設置」というニュースが紹介されていました。「民主党」も「公明党」(≒創価学会)と同じ事を言い始めたようですね。

しかもマニュフェストに記載。政権を取ることがほぼ確実視されている「民主党」のマニュフェスト入りしたことについて、「極右」さんの1ビット脳は、どのような判定を下すのでしょうか?

政権与党内での存在感や発言力がそこそこ大きくなっていた「公明党」がモヤモヤっと提案しただけで、危険なカルト宗教という触れ込みで潰そうとあらゆる手を使ってきた「極右」さん。

「極右」でない私の見立てでも、今回の「民主党」のマニュフェストはそれより格段にまずい状況に見えますが。

東村山問題では、「公明党」が政権与党に居る限り司法検察警察その他を押さえてしまっている。民主政権が誕生して、自公が下野すれば、様々な情報が出てくるに違いないと触れ回る人々が2ちゃんねる等でご活躍なさっています

『創価学会が潰れるなら、一旦は民主党が勝ってもいいや』的な発言をする人は、支持者の方々の中にもチラホラ居られたように見受けられます。

割と最近まで、『民主党に政権を取らせたら「在日参政権」「人権擁護法」「児童ポルノ規制」で日本が終了する。』という反・民主党キャンペーンをしていたのにすっかりそういう声はなりをひそめていました。Tomatic-jellyさんが反・創価が最優先にしか見えない「極右」さんをどう評価したら良いのかずっと悩んでおられたように、世間の目から見て、何がしたいのか分からない集団化しているように思います。

さすがに「極右」さん的にも、今回ばかりはそうも言っていられない緊急事態発生じゃないでしょうか。ただ、瀬戸弘幸さんの場合は「創価学会」の問題を正直に「靖国神社」に絡めて真正面から議論して支持者の理解を求めて来なかった経緯があります。

周囲に残っているのは、「創価学会」と敵対する別のカルト団体や左翼、電波被害者や集団ストーカー被害者、その他も「創価学会」は殺人や犯罪に手を染める危険集団だからオレたちが滅ぼさないとって信じて瀬戸弘幸さんを支持している人たちです。

東村山問題での対応のまずさ(特に洋品店関係がまずかったですね)で、比較的話が分かる、まともな保守層の支持が一気に離れました。今、瀬戸さんの周辺に残っているのは理路整然とお話できる人よりも、何らかの危機感を抱えていて、自分が見たい結論以外は受け付けないタイプの人が大多数です。

「極右」としては、一気に「民主党」の危険度が上昇しましたが、本音を語らず極右の矜持と縁遠いところで反・創価の戦線を張り、カルト宗教同士の中傷ビラ合戦に参加して満足するおじさんに成り下がった瀬戸弘幸さんは、自分が集めた人たちが納得する形で方向転換できるのでしょうか?

今日は「反日右翼」と「反日左翼」が英霊の安眠妨害をするという話題で持ちきりです。私の叔父もあそこで眠っていますので、おかしな真似は謹んで戴きたいものです。



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2009年8月14日金曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その3)

ろくに更新していなかったにも関わらず、Tomatic-jellyさんと3羽の雀さんに読んでいただけたようで恐縮です。

極右の矜持どころか、矜持(きょうじ)の読み方すらおぼつかないのではないかという手厳しいご指摘もありましたが(ついつい同意したくなる自分が居るのも確かですが・・・)

やはり、「行動する保守」という看板を前面に押し出しながら「創価学会」或いは「公明党」を叩く活動に励む瀬戸弘幸さんの本心を推察するには、「極右」の本質、矜持が何かというところを出発点にするしかないと思います。

ワールドワイドウェブ的視点からのフェムト読みなので、これが絶対正解だとは言いませんが、瀬戸弘幸さんが「極右」として「創価学会」が許せないと主張しているのであれば、『戦前の国体護持(復権)を阻む何らかの主張をしているから』だと考えるのが最も自然です。

既に指摘していますが、公明党は支持母体の創価学会の顔色を伺ってか、靖国神社の公式参拝に難色を示すことが多く、宗教色のない戦没者慰霊施設を作ろうとまで主張しているので、「極右」としては最も許せない政党です。

それ以外の理由、例えば電波攻撃や集団ストーカーなどの方が大きな理由になってると言い出したら、瀬戸弘幸さんは頭がおかしいおじさんと呼んでも差支えがないはずです。

「極右」の本音としては、戦前の国体護持を阻む逆徒という位置づけの公明党ですが、戦後体制を日本国民はおおむね受け入れている以上、「極右」の不満は一定の理解はされても『公明党など潰してしまえ』というところまでは押し切れない。

そこで、「電波攻撃」、「集団ストーカー」、「東村山市議の転落死」、「ベランダのウンコ」、「駐輪していたバイクのパンク」、「目撃者なき傘襲撃事件」などを次々と並べてて、創価学会は危険なカルトだから国民みんなで潰しましょうとアジビラ宣伝している。という風に見えるわけです。

でも、それは新風内部から見ても「関東大震災の後のデマゴーグの再来」にしか見えないものだったようで、瀬戸弘幸さんはとうとう副代表を退くことになりました。事実上の更迭、放逐といっても良いのではないでしょうか?

瀬戸弘幸さんは、今一度、下記の呼びかけを噛み締めるように読むべきです。そのために書かれたような文章ですから。

新風青年:公式メールマガジン『週刊WIN』 【COLUMN】攘夷と差別の違いより一部抜粋

 彼ら(=ネットから政治活動を実践する人たち ※WWW的補足)はネットで自信過剰になっている。実名も明かした自己紹介も出来ず、親に内緒で世の中変わると思ったら大きな錯覚である。自己紹介も出来ずに人間関係が築けるかだろうか。日本にとって一大事なことを親に内緒でして世の中が変わると思うのか。甚だ疑問である。 まして況や自己の勉学を怠り自分の意見と合わない人間を『あいつは在日だ』『おまえは学会だ』とネットで書き記すのは見識が浅いどころの話ではない。デモなどにおいても、『在日をたたき出せ』『ゴミはゴミ箱へ、在日もゴミ箱に』と絶叫するばかりでは、偏狭どころか関東大震災の後のデマゴーグ再来である。
 我々が打倒すべきは反日勢力に加担するあらゆる勢力であり、反日政権国家を親日政権国家に転換することである。その鋭意努力なくして、尊皇攘夷・維新変革は成功しない。
 維新とは『詩経』大雅・文王篇の一節である『周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり』が語源である。要するに原点回帰の運動であり、我が日本にとっては神武肇国の基が原点であり、記紀万葉の浪漫である。
 また、攘夷の語源は春秋戦国であるが、幕末の維新運動に強い影響力を持った水戸学の雄、藤田東湖先生が「弘道館記述義」を著し、尊皇思想を位置づけたものである。その精神性は神儒一致、文武合併の精神であり、今日の排外主義とは似て非なるものである。様々な国民運動に関わっていくことは大事であるが、維新政党・新風の関係者たる者、絶対に民族排外主義、民族差別主義であってはならない。
 維新政党・新風の目指すものは、国家の誇りと日本の暮らしを取り戻すことである。国家の誇りとは国体明徴であり、日本の暮らしとは氏子、氏神、産土神の信仰に基ずく日本古来の伝統と文化であることを党員・党友は忘れてはならない。

瀬戸弘幸さんは、あるカルトを叩くために別のカルトと仲良くしても良いと考えているようですが… 『打倒すべきは反日勢力に加担するあらゆる勢力』という檄が飛んでいますね。

「極右」としての矜持を忘れ去ったのか?というのは、そういうことです。「極右」には「極右」の正論があるはずで、それをきっちりと世間にぶつければ、それなりの理解や支持が得られるはずです。

「靖国参拝」の問題を例に挙げれば

『国が戦没者のために慰霊するのは当然の責務であり、それが違憲というなら憲法や戦後体制が歪んでいる。それに乗じて国の責務を放棄せよと与党内から発言する政党は許せない。』とでも主張すれば良いでしょう。

間違ってるのは今の世の中だという「極右」らしいメッセージを明確に打ち出せるし、公明党の姿勢も批判出来ます。おかしな方法で「極右」の名を汚す必要は全くありません。

「極右」としての正論で戦わず、電波攻撃や集団ストーカーの被害者まで利用したり、靖国参拝に反対する左翼市議と結託したりといった、「極右」として恥ずかしい真似をして、どんどん自分の立場を悪くする。

『在日をたたき出せ』『ゴミはゴミ箱へ、在日もゴミ箱に』は、在特会が好んで使う言い回しですが、安直に議論の相手を創価学会員と決めつけたり、打倒すべき反日勢力と結託したりという点なども見ると、どう考えても、瀬戸弘幸さんや、その支持者あたりにフォーカスを当てて書かれた檄文ではないのでしょうか?

これは一部抜粋なので全文を穴が開くほど読むべきです。支持者の方々も含めて。今の瀬戸弘幸さんは、維新政党・新風が目指す日本古来の伝統・文化とかけ離れたところに居るんでしょう。だから、新風の中に居場所がなくなってしまったのではないですか?



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瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その2)

昨日のエントリと重複する部分が多くなると思いますが…

今回は、瀬戸弘幸さんが、保守言論者として致命的な主張をするビラを配布なさっている件について重点的にお話してみようと思います。

『大日本帝国は、「国家神道」を「国教」とする「政教一致」の国家である』と分析したGHQが、これを解体したというのが前回のお話でした。

・天皇陛下の「人間宣言」
・「神道指令」の公布による「国家神道」の解体、「靖国神社」の宗教法人化
・日本国憲法の「政教分離の原則」と「信教の自由の保証」

あとは、皆さんよくご存知の平和憲法(9条)です。

この辺りで、戦後体制のレールが敷かれています。瀬戸弘幸さん界隈が言うところの「保守」とは、戦勝国(特にアメリカ)主導で押しつけられた戦後体制の歪みを是正しようという立場の人達だったはずです。

現在、瀬戸弘幸さんは、反・創価学会運動と銘打って、なりふり構わぬ中傷ビラまき活動を展開中です。

「公明党は、政教一致の違憲政党だ!!」と仰っているようですが、日本国憲法が何を禁じているのか理解してないのでしょうか?

「国教」のように「国家権力」を特定宗教だけが行使すること、特定宗教だけをエコひいきすること、戦前の「国家神道」みたいな扱いを、特定の宗教に対して行うことを禁止するのが目的で決められたものです。つまり、「靖国神社」に対して厳しく足かせになるのは、当然であって(GHQの目論見が最初からそうだったんですから)、宗教団体が、国政に参加することを禁止する目的で書かれたものではないということを、まず理解するべきです。

「創価学会員」が「公明党」に投票することは、「参政権」の行使です。合憲です。
「創価学会」が「公明党」という政党を作ること自体も「政治結社の自由」が認められています。合憲です。

これを、「幸福の科学」と「幸福実現党」に置き換えても、もちろん合憲です。「政教分離の原則」は、平たく言えば「国教」を作るなと言っているだけで、宗教政党を作ってはいけないとは言っていないし、宗教団体であっても憲法は「政治結社の自由」を認めているので合憲になります。

これは、戦後生まれの宗教が好きか嫌いかといった瑣末な次元の話ではありません。GHQが策定した戦後体制は、そういう枠組みであって、その枠組の中では、「靖国神社公式参拝」が違憲になり、「宗教政党」は合憲になる。それが、現在の日本国憲法だということです。

『国のために殉じた英霊を、国の代表が公式参拝するのは当然である。それが出来ないのであれば、歪んでいるのは戦後体制であり、現憲法である。』と、極右らしく堂々と言えばいいのに、どうして出来ないんですか?

「政教分離の原則」を使って、公明党は違憲であるというビラをまくということは、以下のように主張しているのと等しいんですよ?

『靖国神社公式参拝を阻む「政教分離の原則」を、瀬戸弘幸は全面的に受け入れた。この憲法は素晴らしいものだ。この条文に合致しない公明党を批判する!』

しかも… 前述のとおり、この原則は靖国公式参拝は憲法違反扱いにしても、公明党を違憲にすることはありません。

保守言論家として、致命的すぎませんか?

こんなアホすぎる主張のビラを、靖国反対を表明する左翼市議や、天皇陛下を三権から切り離そうと考えている戦後生まれの宗教団体と結託しながらせっせと市中にばらまいて、極右を自称…

私が極右を自称する立場の人間だったら天皇陛下にも国民にも顔向けできませんね。

自称右翼の瀬戸弘幸さん、自分が何をしているのか、極右の本分・本懐・矜持たるものは、一体どこに行ってしまったのか、一度立ち止まって考え直してみては如何でしょうか?



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2009年8月13日木曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか?

大変ご無沙汰しています。瀬戸さんの凋落ぶりを眺めていると、呆れを通り越して気の毒になっているところですが、少しだけメッセージを送っておきたいと思います。

極右その他戦前を肯定し、戦後体制を打破するぞと喧伝する団体さんはいくつも存在しますが、大雑把に言うと

司法立法行政の三権の頂点に天皇陛下が立つ、「主権在君」の戦前体制を支持し、GHQの押し着せである「主権在民」の戦後体制を否定するものである。と私なりに理解をしています。

もう少し理解を深めるために、軽く歴史のおさらいをします。今回は特に宗教関係にスポットを当て気味にしてみます。

倒幕後、薩長を主力とする維新政府は天皇陛下が主権を持ち、国民はその下で平等であるとする国家を作りました。

天皇陛下は天照大神の子孫で万世一系の系譜として絶対的な権威であるとされました。(元々そういう触れ込みなのですが、再確認され、きわめて強く補強されました。)

神様が国家元首の権威を決定付け、神話がそれを補強するので、「神道」は当然のように破格の厚遇を受けることになります。特に「国家神道」は建前的には宗教ではないものとされましたが、「国教」そのものと見て間違いないと思います。

逆にすさまじく冷遇されたのが仏教です。江戸時代は、隠れキリシタン対策という意味もあり、檀家制度(事実上の戸籍制度)が発展し、各宗派はそれなりに潤っていましたが、明治になった途端に、明治政府の覚えめでたい神道の顔色を伺って、神州日本の神道が廃れ、仏教が超え太っているのは怪しからんという輩まで出てきたために、廃仏毀釈運動で理不尽に焼き討ちにあったり、積極的に神社に転換するよう迫られた寺院も少なくありません。

戊辰戦争で巨額の戦費を薩長に提供した東西の本願寺だけは別格扱いだったようですが、他の宗派には辛い時期が明治初期にはありました。

そういえば、不勉強な瀬戸弘幸さんは本願寺系のお寺の放火未遂犯を褒めちぎっていた事がありましたね。本願寺がなければ神州日本は実現してなかったと思いますよ。

仏教以外にも、山岳信仰、古神道、江戸末期から明治初期に興った民間信仰などは、神道を重視する明治政府が徹底弾圧したために、「教派神道」を名乗る許しを得ようとするものが多く、第1次新興宗教ブームのような状況になりました。金光・黒住・天理などは、この時期に発生した宗教です。

靖国神社は、戊辰戦争以降の戦没者を慰霊するためのもので、「国家神道」のシンボル的存在です。

このように、大日本帝国は、「国家神道」という「国教」による「政教一致」の国家でした。

太平洋戦争敗戦後、GHQは日本の「政教一致」を解体しようと考えました。そこで、「神道指令」を公布し、「国家神道」を解体。靖国神社は一介の宗教法人になるということで落ち着きました。

天皇陛下は「人間宣言」し、「日本国憲法」では「政教分離の原則」が明記され、「信教の自由」が保証されることになりました。

これによって、「国家神道」のように、国家権力と直結した宗教、他の宗教よりエコひいきされる宗教も憲法違反というレールが敷かれました。

GHQは、戦前の「政教一致」体制を壊し、それが復活しない枠組みも作り上げた。ということです。

余談ですが、江戸幕府が倒れて、仏教が冷遇され神道がもてはやされていく過渡期の中で第1次新興宗教ブームが興ったと紹介しました。太平洋戦争後も、社会の仕組み、宗教界の激変という意味では同等以上の衝撃があったため、第2次新興宗教ブームが始まりました。第1次の際は、新興宗教は明治政府に弾圧されて苦しむ運命にあったのですが、第2次の世代は違います。いきなり「信仰の自由」が保証されていましたし、国が宗教関係に口出しすべきではないという空気があったのでしょう。好き放題で問題を起こす教団も多々あったように思われます。

話を戻します。ここまでが、大雑把にみて極右が受け入れ難い戦後体制、つまり現代日本です。

もう少し時間を進めます。

GHQの「神道指令」その他によって、第2次新興宗教ブームが始まり、その中から政界に進出してくる教団が現れました。更に、彼らは政権与党と連立を組むまでになり、遂には極右の精神的支柱である靖国神社に対する公式参拝に苦言を呈したり、靖国神社以外に戦没者慰霊施設を作らないかとまで言うようになりました。

極右の気持ちをフェムト読みすると、GHQがちょっかいを出して国体をガタつかせた結果、日本人の心の隙間をついで出てきたぽっと出のカルトに過ぎない連中が図に乗って、こともあろうか日本人の心のよりどころである靖国を否定しようとは何事か!? となります。

この辺りが、戦前の体制を愛する人たちが創価学会を攻撃する本音だと、私が勝手に思っているところです。極右の矜持から見て、こうでないとおかしいです。

証拠は全然足りないけど創価は殺人者集団だから~という視点だけで闘争をしているのであれば、瀬戸弘幸さんは、ただの頭の悪いおっさんです。

戦前体制に関心を持たない一般層の支持を取り込むために、創価は犯罪集団殺人集団ってキャンペーンを張ってみたかった。だけど失敗して引っ込みがつかなくなった。で、どんどん悪い方向に転げ落ちている真っ最中。に見えます。

結局、靖国参拝に反対している左翼市議や、三権と天皇陛下を切り離して文化的には尊重しますって新憲法草案を作っている幸福実現党みたいなところと肩を組んで、創価学会の中傷ビラまきをするところまで落ちぶれてしまったんですよね?

極右の矜持を貫くならば、靖国を否定する者、天皇陛下を貶める者は、何者であろうとも断固として対峙する。「神道指令」によって生まれた、戦後育ちの新興宗教や左翼勢力と手を結んだりしない。GHQが日本に打ち込んだクビキである「政教分離の原則」という言葉など唾棄する。

一貫した姿勢で臨んでいれば、それなりの支持はついて来たでしょうに、今ではくだらない勢力同士の小競り合いの中で中傷ビラをまいて満足するつまらないおじさんになってしまっていますね。



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