この宿題遺棄事件シリーズ冒頭で、瀬戸弘幸さんが赤報隊襲撃事件に絡んで「統一戦線義勇軍」との関係について回想?している記事を紹介しました。
また、瀬戸弘幸さんが「セマウル運動」に参加していたのは1980年代初頭からで、これは全斗煥政権の頃だというお話を何度か念押しして来たことに読者の方々は気づいておられると思います。
「セマウル運動」は統一協会が韓国農村部に反共宗教として浸透していった事以外にも、利権問題その他きな臭い部分が眠っているようです。
私が紹介した回だけでなく、『日本よ何処へ』の連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』シリーズは、確か12回ほど続いたのですが、週刊新潮の実名告白手記に対して、再三懐疑的な論調の評論をしています。
そこで、週刊新潮の記事内容が読めるように紹介してくれている日々研鑽さんのブログ記事などを眺めて戴きたいと思います。
朝日新聞阪神支局“襲撃犯”が週刊新潮で実名告白
1987年5月に、朝日新聞阪神支局に何者かが押し入り、散弾銃を乱射して記者1人が死亡した「警察庁指定116号事件」(時効)の実行犯を名乗る男が、29日に発売される週刊新潮に、実名で犯行を告白する手記を寄せていることが分かった。
記事によると、男は都内の元右翼団体構成員で、誰もが知る“公的な組織に属する人物”から「朝日を狙ってくれ」と金で依頼され、東京本社、阪神支局、名古屋本社寮、静岡支局の順で 襲撃したと告白している。動機については、怨恨や思想的背景はなく記者1-2人を殺害するのが目的だったとしており、「赤報隊」を名乗る犯行声明は、別人に書かせたという。
同事件は、87年5月3日午後8時すぎ、朝日新聞阪神支局で男が散弾銃を乱射し、居合わせた小尻知博記者(当時29)が死亡。もう1人が重傷を負った。2002年5月3日に公訴時効が成立している。
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1987年5月、朝日新聞阪神支局を襲撃し、一人を殺した実行犯が、実名告白した記事を、日付変わって今日1月29日発売の『週刊新潮』2月5日号に掲載されているという。
先ほど私は、近所の潰れそうな本屋に行ってみたら、なぜか既に1月29日発売の『週刊新潮』2月5日号が置かれていたので、早速購入した。
ほんの一部だけ紹介しよう。
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『週刊新潮』2月5日号
[第1回]【実名告白手記】島村征憲
私は朝日新聞「阪神支局」を襲撃した!
私が実行したのは、「東京本社」「阪神支局」「名古屋本社寮」襲撃と、「静岡支局爆破未遂」の4つ。それに続く中曽根元首相脅迫や、リクルート元会長宅銃撃事件というのは、私は関係ない。そして、「赤報隊」を名乗る声明文を書いたのも、私ではない。背景は追ってお話ししますが、私が頼んで、ある人に書いてもらったのです。それから、一番大事な点は、私はあくまで「実行犯」だということ。私は、ある人物から「朝日を狙ってくれ」と頼まれて実行しただけ。頼んできたのは、ある公的な組織に属する人物です。誰もが知っているその組織とは、何なのか。朝日を狙えと頼まれたのは、いつだったのか。なぜ、殺人という大それたことを引き受けたのか。その辺りのことは後で詳述しますが、正直に言うと、動機は金だった。そして、別に小尻記者や犬飼記者を狙ったわけではない。さらに言えば、阪神支局でなければない理由もなかった。ともかく、私は結果を出す必要があったのです。記者を1人か2人殺す、という結果を。
P29
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ということで、実行犯の実名などは判ったのだが、肝心の首謀者である「誰もが知っている公的な組織」が何かは今回判らない。
しかし、これに関しては、外国の組織であることが以前より指摘されている。
次に抜粋するのは、1994年に書かれた木村久著『疑惑人らがつくった関西国際空港』という本だ。
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朝日新聞襲撃事件
本の画像
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(一部抜粋)
こうした想像を巡らせると、ある1つの結論に達した。犯行グループは日本人ではなく外国人の可能性という結論だった。グループを外国人とした場合、さまざまな問題がクリアできた。
(中略)
このように日本の右翼が演じた過去の事件と比較してみると朝日新聞襲撃事件は、犯行グループが右翼を装いながら、右翼らしくない犯行の手口をのぞかせている。はやり、これは、日本人ではない犯行と考えられた。そして、この偽装がどこからきたものかを併せて考えてみた。結果はある組織に近いグループになった。
坂上のこの意見と同じ見解を示したのが東京在住の政治評論家だった。評論家は某政治家の話として、朝日新聞襲撃犯は”ある組織”という意見を述べた。もっともこの話は坂上が直接聞いたわけではなく、東京の出版社を通じてのものだった。しかし、評論家が同様の見解を示していたことで坂上は自信を持ち、記事を書いた。
それでも夕刊紙の連載には、余計な危険を避けるため、このある組織を、ある組織ともせず、また固有名詞を全く使わないで表現した。しかし、ある組織がこの記事を読んで怒った。逆鱗に触れたのだ。そして夕刊紙の役員室に殴り込む結果を招いたのだ。
戦闘服をまとったある組織の男らは、榎本社長と激論を交わした末、「坂上を2週間以内に組織の本部へ出頭させろ」と言い残して建物から去った。朝日新聞襲撃事件の発生後、1週間目の5月9日のことである。
そして約2週間目の同20日、坂上は東京都内の、ある組織の本部を予告なしに訪れた。ある組織は大きなビルの1室に本部があった。予告なしに訪れたのは、危害を恐れてのことだった。つまり、危害の準備ができない内に出頭したのである。
部屋の中には数人の男がいた。緊張した坂上には、その男らのどの顔も赤報隊に見えた。ある組織の追及は厳しかった。「何の根拠である組織のことを書いたのか」など、あらゆる怒声と罵詈雑言が浴びせられた。その場で危害が加えられるのを待つ以外に方法はなかった。救われたのは、その組織の中に幹部として1人の日本人が居たことである。
その日本人は「ただでは済まさないぞ」とたけり狂う男らを制して「二度とこんなことは書くな」という警告を発してその場を収めた。救われたのである。
当の日本人は、額に収められた外国大統領の写真の下で、
「私は大統領からの信任を得ている。この時計は大統領からいただいたものだ」と、得意そうに腕時計を見せた。しかし、左手の小指の先はなかった。
(中略)
――韓国・全斗煥大統領の実弟、全敬煥が3月18日に来阪、藤田永中や日本土地の木本社長ら6人と日航ホテルで密談している。そして全敬煥は帰国後、韓国当局に逮捕された。
『疑惑人らがつくった関西国際空港』木村久著(1994年)
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これらの情報から、「誰もが知っている公的な組織」は韓国に関係する組織のようだ。
具体的に何かを推測するに、いくら何でも「韓国大使館」ということはないだろうから、そうなると、民潭(在日本大韓民国民団)か、統一教会(世界基督教統一神霊協会)あたりのことを言っているのだろうか。
統一教会を「公的な組織」というのも考え難いので、おそらくは、「民団」だろう。
ちなみに、現在は多くの日本人が「在日韓国人=極悪人」と認知しているが、この本が書かれた1994年当時はまだそれほど広く認知されていない時代だったかもしれない。
「どうして朝日新聞が韓国批判?」
「どうして韓国が朝日新聞にテロ?」
などと不思議に思う人も多いかもしれないが、事件当時の1987年はまだ冷戦真っ只中であり、北朝鮮を「地上の楽園」と讃えていた朝日新聞と韓国(民団)は対立することもしばしばあったようだ。
(参考)
告
われわれは日本人である。
日本にうまれ 日本にすみ 日本の自然風土を母とし日本の伝統を父としてきた。
われわれの先祖は みなそうであった。
われわれも われわれの後輩も そうでなければならない。
ところが 戦後四十一年間 この日本が否定されつづけてきた。
占領軍政いらい 日本人が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮が、世の隅隅にまでいきわたっている。
およそ人一人殺せば死刑となる。
まして日本民族全体を滅亡させようとする者に いかなる大罰を与えるべきか。
極刑以外にない。
われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。
一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である。
これまで反日思想を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。
特に 朝日は悪質である。
彼らを助ける者も同罪である。
以後われわれの最後の一人が死ぬまで この活動は続くであろう。
日本人のあるかぎり われわれは日本のどこにでもいる。
全国の同志は われわれの後に続き 内外の反日分子を一掃せよ。
二千六百四十七年 一月二十四日
日本民族独立義勇軍 別動
赤報隊 一同
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_303111.html
『韓国・全斗煥大統領の実弟、全敬煥が3月18日に来阪、藤田永中や日本土地の木本社長ら6人と日航ホテルで密談している。そして全敬煥は帰国後、韓国当局に逮捕された。』とあります。
全斗煥大統領の実弟、全敬煥氏は、全斗煥大統領が新設した「セマウル運動本部」の理事長に就任してました。彼を始めとして、全斗煥大統領の親族5名で計78億ウォンの横領が発覚。この記事にあるのは、その端緒になった逮捕です。
そして、この大規模横領事件のマネーロンダリングは藤田永中氏(許永中氏と言った方が通りが良いでしょう。イトマン事件でも有名な、在日大物フィクサー)が行っていたとされています。
金で頼まれて動く、外国の公式団体(統一協会or民団)に依頼されるような、民族派右翼を自称する人物で、「セマウル運動」などを通じて、許永中(在日フィクサー)や全斗煥大統領の実弟、全敬煥氏あたりとつながって居そうな人物・・・ さてはて、誰だろう(笑)
瀬戸弘幸さんが、「統一戦線義勇軍」の名づけ親は自分だと手柄横取りの名乗りを上げたロジックを使うと、何だかとっても・・・
冗談です。日本刀でヤクザ者(※私はヤクザ相手ではなく非勝共な民族派右翼さんだと思ってますが)と斬り合う血気盛んな頃の瀬戸弘幸さんだったとしても、丁度この頃警察にいろいろ聞かれたと御自身で書かれていたとしても、やはりそこまでする度胸をお持ちだったと私は考えてはいません。
ともかく、したり顔で週刊新潮の記事を検証なさっている以上、全斗煥大統領や、実弟の全敬煥氏の名前が書かれているのを見たときに胸にズキンと来るものはなかったのでしょうか?
瀬戸弘幸さんが全くの善意・善行として「セマウル運動」に熱心に参加していたという仮定で想像してみますね。
瀬戸弘幸さんが熱心に参加していた「セマウル運動」を裏側で不当に食い物にしていた大統領で、そのために失脚し、日本でも大々的に報道されました。熱心に参加していただけに、その経緯が胸に深く刻み込まれていたはずですね?
だったら、週刊新潮が指摘している事の背景に「セマウル資金横領疑惑」がそのまま直結していることに気づかず読み飛ばすわけがありませんね。自分の善意を食い物にした悪い大統領や、その弟を忘れるわけがない。
瀬戸弘幸さんは、「セマウル運動」自体が決してクリーンなものではなく、裏には不透明なお金が流れていたことも知っていたはずですし、瀬戸弘幸さんはタッチしていないのかも知れませんが、民族派右翼や民団あるいは在日などが絡んだマネーロンダリングなどの問題があることもご存知だったのではないでしょうか?
少なくとも、「セマウル資金横領疑惑」で全斗煥政権が失脚する大スキャンダルに発展したのを見守って来たはずですから、それ以降については、そうした事実があることを知ったはずですよね?
ネトウヨや嫌韓厨たちが最もヘイトするエッセンスが、瀬戸弘幸さんが愛した「セマウル運動」の裏側にはドロドロと流れている事も、その本質も、瀬戸弘幸さんは確実に知っていたはずです。
ところが、それら一切合財を隠して、『セマウル運動は反共のために韓国の農業を近代化する運動で、ボランティアみたいなものです。』としか紹介しない。クリーンなイメージだけを流して、韓国の反共戦士(=統一協会)とオルグしようぜと呼びかける。
実際のセマウルでは、様々な利権問題が渦巻いていて、民族派右翼の皆さんにとっては格好のビジネスチャンスが転がっていたはずです。
瀬戸弘幸さんは確実に汚い部分を知っていて、それを隠して勧誘行為を行っています。韓国の反日感情の源流、統一協会というカルトの問題、在日や右翼が結託して不正利益を得たりマネーロンダリングしている実態。
そういうもの一切合財を知らせずに仲間に誘うのが、瀬戸弘幸さんという人のやり方です。
どこか間違っていたら、反論して戴きたいところです。
瀬戸弘幸さんが誠実にこのテーマに向かい合うことで、これまで光が当たらなかったこの分野の解明が進むので、私の指摘に間違いがあったなら、それはそれで素直に受け入れますし。
セマウル問題は、次回で取りこぼした分の紹介と軽いまとめをします。
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