拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2008年11月23日日曜日
ワールドワイドウェブ的近代史観(追記あり)

右派左派ともに、近代史というと太平洋戦争だけ注目する傾向があるように思いますので、今回はワールドワイドウェブ的に近代史に触れてみます。主に日本人のメンタリティーを軸にお話します。限られたボリュームでざっくりと書くので説明不足、誤解を招く部分などもあるでしょうし、私が浅学であるが故に基本認識部分で色々な異論が噴出することもあるとは思います。批評は批評として受け止めますのでよろしくおつきあい下さい。

近代史を眺めて、日本人のメンタリティーを大きく変えたのは『明治維新』と『太平洋戦争敗戦』だと私は考えています。これ自体にはさほど異論を持つ人も居ないでしょう。

江戸という封建制社会は、自由に自分の地位役割を決められない代わりに、個人間の競争は、その決められた枠内に抑制されていました。また、朱子学や仏教は、そうした決められた枠内で誠実に生きることを美徳としました。キリスト教は封建社会の社会システムを否定するものとして禁教とされ、その伝播を封じるために庶民はいずれかの仏教宗派の檀家である証明を必要とされていました。仏教側から見れば食い扶持の安定確保が出来た反面、社会システムを精神面から支えるためのものであることが期待されていました。

こうして、江戸時代には個人間の競争には社会システム上の制約という枠がはめられて、良い意味での「ゆとり」があったこと、朱子学や仏教などが社会のために勤勉につましく生きることを推奨した事なども相まって、日本人の美徳とされる精神は大きく伸びました。制度的なプロテクトと精神的なプロテクトが、人の欲望に一定の制限を加えて、そこで生まれた「ゆとり」が、他者への思いやりや労わり、譲り合うといった方向に振り分けられていたという見方も可能です。

明治維新によって、日本は『開国』という西欧列強との国際競争と、『自由と平等』という、裏を返せば個人間の競争を促す仕組みを選択しました。それが良いか悪いかという後世的な評価は別として、競争しないorゆるやかな競争で永い太平の世を謳歌してきた日本が、西欧合理主義的な競争社会に身をおくという選択をしたのですから、これまでの気持ちの持ちようではとてもではありませんが太刀打ちできません。

そこで明治政府は、『王政復古』の大号令により、天皇陛下を『現人神』と明確に位置づけ、日本人の心、価値観、倫理観などを集約し、まとめ上げようと考えました。この流れに伴い、『廃仏毀釈』などが起こり、江戸時代のモラルを下支えした仏教が受難(というか法難?)の時代を迎えます。あまり注目されませんが、いわゆる神社仏教以外の民間宗教的な色合いが濃かった教派神道や、神道と仏教を習合していた山岳信仰なども仏教と同じく激しく弾圧されました。

日本人の心を1つにするために、天皇陛下の神格化とは関係が薄い神様仏様は少し脇に押しのけて天皇陛下こそ神であるという国のデザインを目指したということと、旧体制を精神的に支えた価値観との決別という2つの側面が仏教等に対する弾圧の意味するところであったのではないでしょうか。兎も角、天皇陛下を神格化するとともに他の神様仏様が冷遇され、庶民と切り離そうとする動きがあったことは間違いありません。

その後の日本は、太平洋戦争突入までは産業においても軍事面においても大躍進を遂げましたし、『王政復古』から昭和天皇の『人間宣言』までの期間にある種の魅力があることは事実です。が、『日本人らしさ』の喪失は、この期間に進行したということも言えるということを忘れないで戴きたいのです。そして、太平洋戦争に負け、昭和天皇が『人間宣言』をした時点を持って、天皇陛下という神様も日本人の心から切り離されました。

日本人は近代、二度に渡って精神的な拠り所を失ったわけです。先にも述べましたが、『自由と平等』は個人間の競争を促すシステムですし、それを『自分のため』に追及することを認めるものでもあります。江戸時代に培ってきた『社会のために』という価値観は、明治以降かなり衰退したものの、神仏から遠ざかる代わりに『天皇陛下のため』という新しい精神的支柱を与えられたことで、やはり西欧諸国の人々よりは高い位置を確保しました。

それが、敗戦による2度目の価値観喪失により更に壊れてしまいました。『自由』と『身勝手』の区別がつかない人が増えましたし、『個性を伸ばすための競争』を目指す西欧と違い、突出しないことを美徳としてきた日本人は『落ちこぼれないための競争』という、西洋合理主義的な競争の枠組みとはかけ離れた劣化コピーの中であえいでいます。2度に渡る神様の喪失によって、雨後の竹の子のように新興宗教が乱立するようになったといったこともあるでしょう(全てが問題のあるカルトだとは言いませんが)。

小泉八雲の『日本人の微笑』という随筆があります。新潮社文庫の『小泉八雲集』が安価で入手しやすいと思います。日本人が無くしかけている美徳を護ろう、取り戻そうと主張する右派の人たち、今の日本が天皇制のせいでおかしくなったと主張する左派の人たち、どちらにも読んでもらいたいです。小泉八雲が今のあなた方を見たら、さぞかし落胆するでしょう。

というだけでは反感を買うだけだと思いますので、故三島由紀夫も、小泉八雲を愛読していた事を紹介しておきます。八雲が日本人の中に見た美点は、三島由紀夫にとっても好ましく見えたものだったようです。

日本人らしさ、日本人の美徳といったものは、江戸から明治へ移行した辺りから崩壊が始まっています。日本は、恐らく『開国』して正解だったと思いますし、『開国』して国際競争に負ければ西欧列強に飲み込まれるという当時の社会情勢があったこと、そのためには『日本人らしさ』というか奥ゆかしさみたいなものを後生大事に抱えているゆとりがなかったことは想像に難くありません。

そうした国難を乗り越えるための天皇制ナショナリズムであったと思いますので、現代の価値観をもって当時の選択を断罪すべきではないと思いますが、明治政府の選んだこのやり方で、取りこぼされたものがあるということはきちんと認識すべきです。

これからの日本が、日本人らしさを見失わずに西洋合理主義や国際競争とどう向き合うか、現在を生きる私たちの価値観で考えていく際に、そうした見識を持つことは非常に大切なことだと思います。

【追記】
『現代の価値観で過去を断罪すべきではない』というのは、櫻井よしこさんが好んで用いるフレーズですが、『当時の世相で必ずしも悪とは言えなかったことが、現在の世相でそのまま通用するとは限らない』ということも失念してはならないと思います。

現在の国際世論に照らして、江戸時代のような封建制度は通用しないし、太平洋戦争終結までは必ずしも悪ではなかった列強主導の帝国主義や植民地政策も現在の価値観には馴染みません。存命の人間を神格化して国家を1つに束ねることも、北朝鮮を見れば分かるように現在の価値観ではNGです。

過去を断罪するために振り返るのではなく、現代の価値観や世相において、日本が歩むべき道を見つめなおすために振り返るということが必要な姿勢だと私は考えます。



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