拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年9月25日金曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その9)

瀬戸弘幸さんは無事に退院されたようで何よりです。

入院されたという報告を受ける直前に少々取り扱いがデリケートな情報を入手していたのですが、退院されるまでは触れないでおこうと考えて、資料整理等の時間に充てさせて戴きました。

時間を空けた理由は主に2つです。

入院中は、十分な反論もできないだろうという事で、退院をお待ちしたというのが第一点。また、私が追求する問題の範囲が瀬戸弘幸さん個人の問題では収まらなくなる見通しになって来ていたので慎重に取り扱おうと考えたというのが第二点。

瀬戸弘幸さんの過去を調べていく中で、どうしても実名を出さざるを得ない一部の人たちの名誉なども考えると、調べずにフカシ記事を適当に書いて、間違っても訂正しない、謝らない、そのまま投げっぱなしにするといった、報道倫理のカケラもない態度は避けるために、ある程度、手元に集めた情報について更に調べて整理する時間が必要でした。

それでも完全に裏が取れていない部分はあります。そういう部分は正直にそのように書きます。相手の実名を出して批判をする以上は、その程度の配慮は当然するべきだと思うのですが、瀬戸弘幸さんには、そうした倫理観が欠如しているように見えます。

また、今後調べていく中で、私の推論に誤りがあることが分かれば速やかに訂正します。疑惑を並べるだけ並べて間違っても(故意にミスリードする記事の方が多いみたいですけどね)謝罪しない無責任な詐称ジャーナリストと一緒にならないためにも。

では、本題に移って行きたいと思います。

『徐才喜冤罪事件』の全文を読むにはどうしたら良いだろうかと、前回エントリーを書き終えてから何となく考えていました。「政経東北」という雑誌はマイナーで、国会図書館に行ってもそれほど古いものまで遡って探すことは出来ませんでした。

これはさすがに手詰まりだろうかと思いつつも、色々探してみました。東北地方の経済雑誌なんだから、向こうの図書館には置いてあるんじゃないだろうかという発想で、瀬戸弘幸さんのお膝元で探してみると・・・

福島県立図書館の蔵書には、かなり古いバックナンバーから全部揃っています。ついでに、この図書館の蔵書から瀬戸弘幸さんの著書を探してみました。割と良く見かける著書に紛れて、初めて見かけるものがありました。

[郷土資料の雑誌詳細表示]
月刊ルポルタージュ 昭和54年8月15日[号] 特集記事:なぜ?小針批判キャンペーンなのか!!
二本松タイムス 昭和54年9月1日[号] 特集記事:淀む市政・驕る石川市長!

こんなものを出していたんですね。これも是非読んでみたいと思いました。

また、瀬戸弘幸さんが徐才喜冤罪事件と称している事件の引き金になった、福島市太田町婦人殺人事件についての当時の福島の新聞報道がどうなっていたかも、この図書館に保管されている新聞を見れば調べられそうです。

もう1つ、調べてみたいことがありました。瀬戸弘幸さんは、ヤクザ者との刃傷沙汰で9ヶ月獄中に居ました。その間に、徐才喜さんが(殺人容疑についての)無罪を勝ち取って出所した事を聞かされて出所後の正月頃から取材し、記事の売り込みをしてジャーナリストデビューしたと自身で述べています。

また、この傷害事件について市議会で追求されたために福島市役所を懲戒免職になったということだったので、当時の市議会会議録を見れば、傷害事件のあらましが分かる可能性があります。福島県立図書館には昭和52年3月分以降の議事録が保管されている事が分かりました。

これより古いものは、福島市立図書館に保管されているのですが、そこまで回るとさすがに時間がありません。

こうして下調べをして行くと、福島県立図書館だけでもかなりの情報が得られることが判ってきました。東村山の街宣や裁判傍聴などに欠かさず出かけているブロガーの方々の労苦などを考えると10回分の金銭や時間の出費を1~2回でまとめて注ぎ込んだと思えば、そんなに無茶な事をするわけでもありません。

2日間ばかり悩みはしましたが、福島行きを決断しました。

首都圏在住の私は、自分の生活を崩さずに日帰りで調べものに行くとなると5~6時間の滞在が限界です。出来るだけ効率よく調べものを片付ける必要があります。

どんな情報を掘り出すか、ある程度のアタリをつけるため、現地に行く前に拾える情報の手探りを開始しました。

遠藤文子さんについては、ネット上で情報があまり拾えないのですが皆無というわけでもないので、ここから有力情報が手繰り寄せられないかトライしてみました。

遠藤文子さんは、福島県内の小中学校の何校かの校長を務められて定年退職しました。退職金を有効に使おうと、海外視察の旅行に出かけて、日航機ドバイハイジャック事件(昭和48年7月20日発生)に巻き込まれて生還。

この貴重な体験を度々公演でお話なさっていたようです。

というわけで、Google先生で検索してみると、「ふくしま教育データベース」内で何度か遠藤文子さんのお名前が出て来ます。そこで、このデータベース内の情報を色々読み漁っていました。

すると、ハイジャック事件が少し前、福島県教育委員会の主催で、こんな公演があったことに気づきました。

昭和48年5月14日(月)~5月16日(水) あずま荘
福島県知事 木村守江 「海外を視察して」

対象者は、県立学校長全員となっていました。遠藤文子さんが前年度末あたりで定年退職して福島県教育委員会の関係者になっていたら、この公演を聴いていたのではないでしょうか。

また、木村守江知事は教育畑で熱心に活動していて政界に引っ張りあげられた人です。この公演抜きにしても、折に触れて教育問題、海外に目を向けた話をされていたはずなので、これに感化されて遠藤文子さんは定年後に海外を見に行こうと考えたのではないかな・・・ と私は感じました。

そこで、木村守江県知事に関心が移って少し調べ始めたんですが・・・ 昭和51年に贈収賄で逮捕され県知事を辞任しています。その後有罪。現職の県知事が立件され辞職というのは異例中の異例です。

そして、この贈収賄の相手というのが、セマウル運動に絡んで何度も私が取り上げてきた猛牛(ファンソ)こと、町井久之氏の東亜相互企業でした。

またしても、町井久之氏の影です・・・ 気になったのでWikipediaを見直すと確かに、この件について書いてあります。もっとしっかり読んでおけって事ですね。

早速、この贈収賄事件についてもっと掘り下げて調べることにしました。ネット上で詳しく調べてみたかったのですがあまり詳しく解説しているところがないようなので書籍を探してみたところ、「木村王国の崩壊」という本が見つかりました。

近所の図書館に置いてあったので早速借りてきて読みました。福島県に対する私の印象は、この本を読んでかなり変わりました。実際に出向く前にこの本を読んでおいて良かったと思います。

少し長くなりそうなので、続きは次のエントリーに回します。



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2 コメント:

杉山真大 さんのコメント...

「木村王国の崩壊」ですか・・・・・自分も大学生の頃に図書館で読んだのですよね。

そもそも福島の自民党というより保守政界って、木村守江と(その前任者の)佐藤善一郎の系統が保守合同以来確執を続けていますからね。前者には(佐藤の前の知事)大竹作摩に天野光晴・更には渡部恒三に繋がるし、後者には(木村の次の)松平勇雄更に佐藤栄佐久・その娘婿の玄葉光一郎に連なる訳で。

そう言えば、佐藤も知事になって汚職で捕まったんですな。

2009年9月26日 22:51  

ワールドワイドウェブ さんのコメント...

瀬戸弘幸さんと、昭和50年代初頭の福島県の汚職が結びつくとは考えてもみなかったんですが、色々と根は深いみたいです。

お名前を並べて戴いたお歴々についても、追々出てくる方がいらっしゃいます。

どこまで掘り起こすことになるか分かりませんが、瀬戸弘幸さんに対する世間の理解が多少は進むよう頑張ります。

2009年9月29日 21:50  

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