拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

>>全文はコチラ
2009年10月31日土曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その21)


なるほど。瀬戸弘幸さんはこんな疑問をお持ちですか。「韓日」ではダメだと。


上記の通り、瀬戸弘幸さんは国際宗教連盟に所属しています。


これ、瀬戸弘幸さんが所属している国際宗教連盟のHPから拾いました。『日韓』と書いてない理由を尋ねたいところですね。他でもない瀬戸弘幸さんの所属団体ですよね?


「韓日友好」という表現は、右翼団体の街宣車にも書かれているとネット上で紹介されているんですか。その説を瀬戸弘幸さんは根拠もウヤムヤニ否定するんですか? ごく一部がやってるだけだと。

瀬戸弘幸さんは、国際宗教連盟に在籍している理由を下記のように説明しています。


行動右翼時代の知り合いのよしみで名義貸しなさっているそうです。間違いありませんね?

行動右翼時代のお知り合いのよしみで名義貸しするような団体が、黒塗り街宣車さんと同じように「韓日友好」を掲げているんですね。

キレイに繋がっているようですが。インターネットで流れている説は正しいんじゃないですか? 根拠も示さずに否定している瀬戸弘幸さんが間違っているように思えますけど。

他にも国際宗教連盟の役員さんを見ていくと、韓国との友好関係を構築することに熱心な団体の方が結構多いようです。普通、団体の趣旨くらいは把握してから加入するものだと思いますが・・・

国際宗教連盟が掲げる核廃絶とか、瀬戸弘幸さんの政治的スタンスと折り合いがつくんですか?


過去のエントリーを見ると、こんな事も書いていますよね? 黒塗り街宣車に乗っている右翼さん達の実情が必ずしもクリーンでないと、他でもない瀬戸弘幸さんが解説してるじゃないですか。


こんな事も書いておられますよね? 行動右翼時代のよしみで「韓日」なんて表現を喜んで使う団体に在籍する瀬戸弘幸さんですから、『私は10年前にこのような行動右翼と呼ばれた人達との交際が途絶えているので現在の状況は分かりません。』と説明されているのも、にわかには信じ難いです。

文鮮明が北朝鮮を電撃訪問した後も、勝共理論を捨てておらず、日本のネトウヨに対して、韓国農村部(=セマウル)の青年(つまり、統一協会に思想洗脳された青年)と共闘するよう呼びかけている瀬戸弘幸さんです。

言行不一致があまりに多いので、ご本人の説明はそのまま鵜呑みにせずに慎重に吟味する必要があります。

一事が万事とは言いませんが、こんな風に瀬戸弘幸さんの主張は、矛盾に満ちています。

私は、そういう矛盾を1つずつ丁寧に検証しているだけです。大半が、瀬戸弘幸さんの過去の主張の矛盾点の検証に過ぎません。

この時のshinok30さんとのやり取りを読み返すと、瀬戸弘幸さんが否定したかったのは、『瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む』と銘打った本シリーズ全体に見えます。

私に噛み付いて来た時には、話がすっかり変わっていて、

1)徐才喜さんが実在しないっぽいと言っている
2)瀬戸弘幸さんが、瀬戸孝一さんの親族っぽい言っている

以上2点だけでも、ワールドワイドウェブがデタラメばかり言っているのは明白。というような形になっていました。

反論できそうな部分はここだけだったんでしょうね。良く意図が分からないので、何が不服なのか再三意図を聞いたのですが一切回答なし。情けない人です。

自分が何について不服なのかすら、私にきっちり意思表示できないんですか?

しかも、この2点についても発言が二転三転します。

『30年前の記憶が鮮やかに蘇る』程の一級品の資料が出てきたならば、それを公表して、私の記事が全てデタラメだと立証すれば良いはずですが、『30年前の記事にそこまでする必要はない』と尻すぼみになって逃げ出しました。

そもそも、『30年前の記事にそこまでする必要はない』って理由になっていません。私がデタラメばかり書いていると断定したくてたまらなかったのは瀬戸弘幸さんだったはずです。

手元に資料があると公言している以上、それを出さない理由もないでしょう。何故逃げるのですか?

そもそも、事件番号や判決文は私が出せと言い出したものではなく、瀬戸弘幸さんが勝手に言い出したものです。

私は、『徐才喜さんが逮捕された事が新聞で大きく報じられたと記事に書かれているのに、肝心の新聞記事がどこにもないからフカシっぽい』と判断したに過ぎません。

何月何日の何新聞に掲載されたか適示するだけで、私の調べ方が甘かったと証明することが出来るはずです。何故それをしないのか、私には理解できません。

私は新聞記事を基準に判断し、断定はしていません。

公的機関に一切記録が残っていない事件番号、公印のない判決文正本と証する1枚紙等をもってきて、動かぬ証拠と次々に主張されても、どれも第三者が本物か確認する手段がない。

私の努力が足りないと言いながら、毎回正しい情報に辿りつけない誘導を繰り返す瀬戸弘幸さん。こんな不誠実な態度では、事の成り行きを見守っている人たちも不信感を募らせるだけでしょう。

明らかに説明がつかない矛盾だらけの主張を繰り返しているのは瀬戸弘幸さんではないでしょうか。

今回見せて戴いたエントリーも酷い矛盾だらけでしたね。

【追記】
瀬戸弘幸さんが国際宗教連盟に加入するきっかけになったのは、まきやすともさんが話を持ってきたからではないでしょうか?


このお話を見ると、五味武という方と、まきやすともさんが知己であった事が分かります。


西村修平さんとも縁が深い「國民新聞」が、デヴィ夫人らの訪朝計画をすっぱ抜く記事を上げていらっしゃるんですが・・・

赤軍派(※新左翼ですね。日本赤軍とは同系列ですが、必ずしも全く同じ組織ではないので混同しないよう注意が必要です。)の元議長である、塩見孝也さんの訪朝の仲介しているのが五味武さんですか。

この方は、北朝鮮に対する米支援などでも保守の方々の非難をかなり浴びていたはずですね。


瀬戸弘幸さん、まきやすともさんは、五味武さんと同じUNHUNGOAという肩書きです。何の略称かは全く分かりませんが、五味武さんの縁故で加入されたという事で、同じ役職についたのでしょう。

この方の海外協力事業の欄を見ると、確かに北朝鮮関連の事業が多いようです。「國民新聞」にも書いてあるぐらいですし、北朝鮮と何らかの不穏なパイプがある方と見て間違いなんですよね?

そういう方と、まきやすともさんは知己であり、そのツテで瀬戸弘幸さん共々国際宗教連盟に加入。なるほど・・・

また『デタラメだ!』とか伝家の宝刀、『訴えられるか検討してみます!』を振りかざしてみますか?

ニュースソースとして「國民新聞」は全くアテにならないと仰るなら別の切り口からの解釈を試みますけど。

【追記2】
瀬戸弘幸さんの文筆業、ジャーナリストの支障師匠(※Tomatotic-jellyさんが誤変換を発見して下さいました。)である岩崎定夢さんと、五島武さんは随分昔からのお知り合いなんですね。しかも「福島県」つながりですか。これは興味深い。


ところで、「優健美館」と言えば、ナノテクゼリーを販売しようとした時に、効能等について科学的に説明して欲しいという要望が殺到してブログが機能不全に陥って、質問は全てこの「優健美館」で受け付けると瀬戸弘幸さんが立ち上げたものでしたよね?

健康食品会社のブログという形を取っていましたが、統一協会との関係を質問されて、乗っ取られたという謎の回答を残されていたと記憶していますが。ここはShinok30さんに解説をお願いしたいところです。

岩崎定夢さんの「岩崎企画」、ナノテクゼリーの「優健美館」、瀬戸弘幸さんの「世界戦略研究所」などは、全部同じ住所なんですよね? 松沢呉一さんが、この辺りについては丹念に調査をされています。



福島県の郷土資料はもっと徹底的に洗うと面白いものがどんどん出て来るんでしょうね。


凪さんも、ブログ上で丹念に瀬戸弘幸さんや有門大輔さんが関与した会社整理などについて調査をしていますし、そうそう隠しおおせるものではないでしょう。

瀬戸弘幸さんの現在の活動に、右翼としての矜持が微塵も感じられないのは、これまでの人生をどう歩んで来られたのかとも深い関係があるんじゃないですか?

【追記3】
調べたら、コメ支援の件もアッサリ見つかりました。五味武さんとデヴィ夫人で120トンのお米を北朝鮮に送ってるんですね。しかも北朝鮮による拉致問題が発覚した後で。保守派の方々の受けが宜しくないのは当然だと思います。


朝鮮日報で取り上げられていますね。瀬戸弘幸さんと同じUNHUNGOAという肩書きの故・五味武さんは、北朝鮮には相当感謝されているんじゃないでしょうか?

ついでと言っては何ですが、こんなのも見つけましたよ。


国際宗教連盟の中井天山さんが実質的には取り仕切っているんですかね? 瀬戸弘幸さんの師匠である岩崎定夢さんと、五味武さんのお名前が並んでいます。平成12年6月2日に正式発足だそうで、結構以前からおつきあいがあるんじゃないですか?

瀬戸弘幸さんが名義貸しする渡世の義理は色々とありそうですね。みんな繋がっていらっしゃるようです。

それにしても、拉致問題が発覚しても北朝鮮に米支援するような方、新左翼の赤軍派の元代表を北朝鮮にお連れするような方とお知り合いで、その顔繋ぎで国際宗教連盟に加入したとまきやすともさんが説明してしまっているんですよね。

この件は、そのままにしておいて宜しいんでしょうか? 瀬戸弘幸さんの普段仰っている事から考えると相当まずいと思うんですが。



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2009年10月19日月曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その20)

切葉鳩@Free Tibetさんが久々に更新しておられました。

ちょっとその絡みで、と言うほどでもないのですが、瀬戸弘幸さんが、しつこく同じウソをつき続けるので、1回分のエントリーを使って再度丁寧に検証してみたいと思います。


・日本の生存権を、アメリカと中国のどちらに委ねるべきか?
・アメリカとは『自由と民主主義、基本的人権の尊重という人類の普遍的な価値』を共有出来る。
・日米関係を危うくするなら、日本民族の将来の運命こそ、第二のチベットや東トルキスタンである

要約としては、大体合っていますよね? 間違っていたら指摘して下さい。


この記事を覚えておいでですか? 2006年01月26日のエントリーです。この25年前というと、1981年前後です。

まず、『「自由VS共産」というイデオロギーの厳しい戦い』という虚偽説明をなさっていますが、実際は「軍事独裁VS共産」ですね。まぁ、とりあえず置いておきましょうか。


Wikipediaで調べてみると、全斗煥(チョンドファン)大統領就任前後だということが分かります。まだ韓国々内は「夜間外出禁止令」が解けるかどうかという物騒な時期で、韓国人の対日感情が良い悪いなどというお話をしていられる状況でなかった事も分かります。

更に、全斗煥大統領が民主化運動を武力鎮圧して、市民に大量の犠牲者を出した「光州事件」を中心に紹介します。



瀬戸弘幸さんが、左派として忌み嫌った金大中(キムデジュン)氏の名前がありますね。

この頃から金大中氏は民主化運動で人気がありました。逆に、民主化運動を押さえつけておきたい全斗煥氏にとっては、これほど邪魔な人物は居ませんでした。

この後、鎮圧軍と市民が衝突・・・



1979年12月27日、抗争指導部を率いていたユン・サンウォンを含む市民軍の多くが射殺され、鎮圧作戦は終了しました。

こんな事件があり、軍事独裁政権という形で権力を手中にした全斗煥政権を瀬戸弘幸さんは支持したんですよね。

さて、冒頭の瀬戸弘幸さんのご高説に戻って考えてみましょうか。

当時の韓国には『自由と民主主義、基本的人権の尊重という人類の普遍的な価値』は存在しましたか?

反・共産主義という旗印は掲げていましたが、保安司令官全斗煥陸軍少将率いる新軍部は、民主化を求める市民を武力鎮圧し、従わない者を虐殺しました。

瀬戸弘幸さんは、そういう政権を『反共の同士』として支持して、わざわざ現地に赴いてまで支援していたんですよね?

そんな人が、当時の軍事独裁政権に問題があったと一定の反省や批評もすることなく、共産主義国家だけを『人類の普遍的な価値』とやらを尺度にしてご高説を垂れ給うというのは、一体どういう了見なんでしょうか?

私には全く理解出来ません。

『人類の普遍的な価値』に照らして、瀬戸弘幸さんは最低の人間だと言われかねないのでは?

フリーチベット運動の方々などは、政治運動のために利用しようという下世話な考えで活動していなかったと思うのですが、「行動する保守」の方々は違いましたよね。

最初から、中国共産党批判などが主目的で、チベットと関係ない主張もバンバン言う。

周囲の保守層の方々から批判されたら「キレイ事保守」と逆ギレなさっておられましたが、こうやって瀬戸弘幸さんの過去を遡って調べていくと、元々がおかしな人だったと言わざるを得ません。

共産主義国家は、自国民を抑圧したり虐殺してはいけない。だが、反共国家がそれをやるのは大いに認める。

瀬戸弘幸さんは、そういう人なんですよね?

どこが間違っていましたら、きっちりご説明戴きたいと思います。



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2009年10月17日土曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その19)

「除才喜冤罪事件」の裁判資料の公開はもうないと思っていたら、何だか微妙なものが公開されました。


瀬戸弘幸さん、反論になっていません。最低限、以下のような部分は提示すべきではないのですか?

他裁判の資料提示の時は、全文公開で、上記のように裁判所の公印が押されていることが確認できるようになっていました。

今回お見せ戴いた資料は、裁判所が出したものかどうかすら判断できません。

再度言いますが、資料の公開は、必ずしも私を納得させるためだけにすることではありません。

誰もが納得する資料を出すことで、瀬戸弘幸さんの名誉が守られます。そのためにするという意味合いの方が強いでしょう。私に対して『どうだ、参ったか!』という態度を見せつけても全く意味がありません。

誰もが納得するような形で資料を出すことが大事です。手抜きをしては、見ている人たちの心象を悪くするだけですよ。

この資料を見た人が『ああ、これは間違いなく徐才喜事件の判決文なんだ』と納得できるような形で全文公開して下さいね。そうすることで、疑念は解消されます。

1週間お待ち申し上げましたが、どうも分かっておられないようなので再度説明しますね。

瀬戸弘幸さんが前回ご説明下さった日付けから考えると、初公判から判決まで時間がなさすぎます。お手元の裁判資料がどのようになっているか分かりませんけれど、被告(=徐才喜さん)が、起訴事実を全面否定していたら、国選弁護士しかつけられないような苦しい立場の人だったとしても、そんなに簡単に決着するわけがないと思うんですが。

(※追記:瀬戸弘幸さんの記述に合わせるなら、『詐欺容疑での起訴に対して「やっていない」と冤罪を主張した事件』として記事ということになる。しかし、否認していたら初公判から判決まで3~4ヶ月で済むわけがない。つまり、初公判の時点で全面的に起訴事実を認めていたでしょうという事。)

それでも、「徐才喜冤罪事件」の連載記事と一切矛盾せず、被告は精一杯戦った記録が残っているというのなら、見せてください。お手元の裁判記録からそれが読み取れるんですよね?

あと、被告が遠藤文子さん殺しの嫌疑をかけられていた事が大きく取り上げられていた新聞記事もスキャンして公開してください。当時の資料が出て来たのだから、お手元にあるのですよね?

出し惜しみするべきではありません。それを全部出せば、私が大きな勘違いをしていただけで、瀬戸弘幸さんが正しかったのだと皆が納得するんじゃないんですか?

私も、納得できる資料がきちんと提示されれば然るべき対応をしますよ。

何度も言わせないで戴きたいのですが、事実関係を全く確認できない状態で、謝罪せよとか、認めろとか、おかしな事を言われても、私はそれを受け入れることは絶対にありません。

今のところ、反論になっていません。前回もそうでしたが、これなら黙って居られた方がずっとマシだったと思いますよ。

瀬戸弘幸さんは、自分で自分の名誉をボロボロに傷つけていらっしゃいます。

1.対話も議論もせずに訴えると騒ぐ
2.事件番号と日付を公表するも、時程上の不整合から逆に不信感増大
3.公印すらない1枚紙を「判決文」と主張/新聞記事は出さず

資料を出す心積もりがあるなら、最初からきちんとしたものを出すべきです。誠実な対応をお願いします。

【追記】
論点は最初から全く変わっていません。「徐才喜冤罪事件」がフカシ記事かどうかです。

その裏を取ろうと、『大きく報じられた』はずの新聞記事を探して複数の新聞を1日も飛ばさずに読んだのに該当記事がないので、『限りなく架空人物の疑いが強い』と結論づけました。これは、確認手段の1つに過ぎません。

未だにそれを覆すまともな証拠な何一つ提示されませんね。

仮に実在したとしても、記事の内容と実際の事件の内容がかけ離れていれば『フカシ記事である』という指摘はそのままです。

もし、新聞にも載らないような犯罪者の事件を、冤罪のように捏造して「フカシ記事」に仕立て上げていれば、それを誇らしげに掲げて私に謝れというのは、誰が見たっておかしいですね?

瀬戸弘幸さんは、そのような姑息な記事は書いていないのでしょうから、手元にある資料をきちんと公開して白黒つけた方がよろしいかと思います。

また、私が農業事情に明るくないから、適当なお返事で十分とお考えのようで、非常に残念です。せっかくですから、浅学な私に色々教えて戴けると幸いに存じます。



GHQが農地解放する以前は、地主、自作農、小作農と、大きく3つのスタイルがありました。しかし、作付面積が小さな農家は収益率が低いので、土地を借りてまで農業を続ける人は東北以外ではどんどん淘汰されて行きました。

ところが、特に東北地方では、他の産業の発展が捗捗しくなかったこともあり、むしろ農業人口が増加する地域なども。これにより、労働単価が下がり、地主は安定的に大規模農業が営めたのでした。

安定収益を確保していた地主と対照的に、低賃金で困窮した農民たちは、女を身売りに出さなければならなくなったりもしたようで、東北地方各地には遊郭が点在しています。

リンゴ栽培発祥の地である瀬上町も、戦後しばらくは瀬上町遊郭が存在しました。



ここなどは、「石倉作り」の立派な建物だったようですね。(※私が知る限り、瀬戸家が遊郭の経営をしていたという記録は見ていないので誤解はしないで下さい。)

私なら、堅牢な「石倉」を建てる経済的なゆとりがあれば、少しでも早く自分の土地を持って「自作農」になるという選択肢を選びますけど・・・ どうしても倉が必要だとしても、当座をしのぐ、普通のを建てます。

農家なら、例え小作でも「石倉」をお持ちですかそうですか。瀬戸弘幸さんの珍奇な説明を鵜呑みにすると、東北の農家って頭がおかしな方の集まりに見えてしまいます。

戦後、農地解放で自作農になってから建てたとご説明になるのかと思っていたら、どこの農家でもと仰られたのでびっくりしてしまいました。

今更撤回できませんよ。

東北の困窮には様々な要因がありますが、瀬戸弘幸さんが先日触れた戊辰戦争にも、その要因の一端が垣間見えます。薩長主体の官軍将校の誰かが、『白河以北一山百文』と、東北地方を侮蔑する言葉を吐きつけています。(※この白河は、私が本シリーズで取り上げている「白河高原」でもあります。)

その言葉を裏付けるように、戊辰戦争で明治政府に逆らった土地として、ことごとく冷遇されたのが東北地方です。

瀬戸弘幸さんは、新しい維新を東北からと仰っているようですが、「二・二六事件」や「五・一五事件」の遠因は、こうした不当とも言える過度の貧困に追い込まれた農民の不満を背景に受けていたと言われています。ご存知ないというか、そうした実感をお持ちでないようで・・・

そうした辺りからも、瀬戸弘幸さんの家柄からは、東北の小作農民が抱えていた塗炭の苦しみの記憶が全く感じ取れないのです。

明治30年頃からは、白虎隊の忠孝の美徳などが高く評価されるようになったものの、それまでの扱いの酷さは筆舌に尽くしがたいものがありました。

戊辰戦争の会津藩側の戦没者は、埋葬どころか移動すら認められず、半年もの間城下に野ざらしで放置させられ、嘆願の末ようやく埋葬が許可されるという有様でした。同じ日本人がこういう蛮行をしたんですね。

幕府転覆を目論むテロリスト扱いだった薩長、取り締まる側だった会津の正邪が、時代の流れで逆転しました。その途端に、人を人とも思わないような扱い。

しかも、戊辰戦争が終わった後、会津藩のお侍だけでなく白河以北に住む全ての人々を不遇の扱いとする。ひどい話ですね。

(※追記:補足になりますが、生き残った会津藩の方々も北海道の開拓地送りなど、事実上の国替えになった方々が多かったようで、会津に残って不遇な境地においやられていたのは、むしろ農民など戊辰戦争に直接関わりのない方々でした。)

こうして振り返ってみると、明治政府のやった事も許しがたいものがあります。そして、蓄積した不満が「二・二六事件」や「五・一五事件」の青年将校を動かす原動力になりました。

地方の鬱屈した不満を利用して、政治をひっくり返す試みは、既に過去にも何度も起こっているんですよ。

瀬戸弘幸さんは、もう少し歴史のお勉強もした方がよろしいのではないでしょうか。大事な視点がかなり抜け落ちていらっしゃるようにお見受けします。

【追記2】
今回は、親愛なる『日本よ何処へ』コメント欄住人の皆さんに対してもお返事をしておきます。当該エントリーのコメント欄に感想を書き加えてみました。

コチラからどうぞ。

【追記3】


瀬戸弘幸さん、鏡をお持ちでないのですか? 都合の悪い話題から、みっともなく逃げ回っておられるのは、他でもない瀬戸弘幸さんではないですか。


手元に、冤罪であることを証明する資料をお持ちですよね。そう公言なさったはずです。

それを出せない合理的な理由を全く説明もせず、公印すら判別できない1枚紙だけを公開して胸を張っているのは、非常にみっともないとお思いになりませんか?

また、私が質問した事に対して、これまでろくに回答なさっていません。何度質問しなおしても、その度に無視してお逃げになる。

瀬戸弘幸さんが今回持ち出した理屈によれば、瀬戸弘幸さんは創価学会員だという事で間違いないですね?

毎度の事ながら、言論家としては幼稚すぎる物言いが多すぎるように思います。

差し出がましいようですが、鏡の前できちんと襟を正して、身なりを整えてからディベートに臨まれた方がよろしいのではないか。

【追記4】


全斗煥の犬ブログである『日本よ何処へ』に、こんな記述がありました。

自分の事は棚に上げてしまう態度も実に見事なものがあります。まるで、ネトウヨが嫌う特定アジア諸国の人々のメンタリティーをそのまま投影しているかのようです。

『主張の多少の間違いがあっても、それ以外の部分は認めろ』と言っているようですが、この人物が当ブログに対しては、『1~2箇所の間違いを指摘すれば、デタラメばかり書いていることは明白である。』と主張しています。

見事なダブルスタンダードぶりです。開いた口が塞がらないとは、こういう事を言うのでしょう。

自分の都合がよさそうな部分のみを切り取って騒ぎ立てて、それで勝ったかのように騒ぎ立てるのは、創価学会の得意技と吹聴なさってますが、明らかにそれを言っているこの人物が、当該エントリーで鮮やかにそれを実演なさっているという。

ギャラリーの皆さんも、それに気づいてしまっている。こんな恥ずかしい記事を書いて、普通の神経していたらブログごと畳みたくなりますけど、この方は、半島や大陸的なメンタリティーをお持ちなので、きっとまた逆恨みされるんでしょうね。

困ったもので。



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2009年10月15日木曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その18)

瀬戸弘幸さん、色々考える時期を迎えているようですね。

マキャベリーの「君主論」で言うところの、駄目な君子の典型が「行動する保守」をリードしている面々ではないでしょうか。

『政治的に最大限の効果を上げると判断した時には、悪評を恐れてはいけない。』
『世間の評判を良好に保つことだけに心を砕き、政治的選択肢を自らつぶしてはいけない。』

これらは、自分達が行う政治的手法がどういった成果を挙げるか、的確な判断が出来ていて初めて意味を持ちます。

『一部の聴衆の喝采と支持を得る』代わりに『大部分の国民の支持を無くす』行動を取り続けたツケは、自ら払うことになります。

マキャベリーが理想の君主と考えていたであろうチェーザレ・ボルジアは、領土や資金を得る等、具体的かつ大きな利益と引き換えに悪評を恐れず大胆な振る舞いをしていました。

瀬戸弘幸さん達は、最初から世間や支持者の風評頼みで、広範な支持か一部の先鋭的な支持者を取るか、いずれかという時に後者を選んだに過ぎません。「君主論」で述べられている『悪評を恐れてはならない』とは違うでしょう。最初から目線が低すぎたんじゃないでしょうか?

ルネサンス期のイタリアとは事情が違うとは言え、戦略的目標を立てて、そのためにという具体性があまりになさすぎますね。支持者に喝采浴びるための街宣を繰り返し、それが先鋭化していただけです。

あと、民族虐殺がどうのと言っておられますが、瀬戸弘幸さんは「光州事件」の事をどう思われているのですか?

瀬戸弘幸さんは、全斗煥(チョンドファン)政権発足直後辺りからセマウル運動に参加されているようです。つまり、反共の同胞として全斗煥政権を発足当初から全面支持されていたと私は解釈しています。

1980年の5月の起こった事件ですね。市民軍の多くが射殺され、人口75万人の光州市に投入された総兵力数は2万に至った。

その前段階として、保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。これに対し、全国各地で民主化要求デモが巻き起こっていました。

結局、自国民を大量虐殺、武力鎮圧して全斗煥は軍事独裁政権を確立したわけです。

瀬戸弘幸さんは、民主化を求める自国民を武力行使によって大量虐殺した政権を支持して「セマウル運動」にせっせと参加なさっていた。

そんなお方が、天安門事件だ、チベット、ウイグルだと言っても何の説得力もありません。

反共の旗を掲げていれば、軍事独裁政権で自国民を大量虐殺していても大歓迎。共産国家だと許せないと仰る。

この手の問題は、イデオロギー抜きで一貫して『許せない』と言える人でなければ信用ならないと私は考えます。

いつだったか、従軍慰安婦の展示会を左翼系の方々がやろうとした時に、『日章旗で取り囲め』ってやられてましたね。あの時、さりげなく「光州事件」についての特別企画を韓国の方を招いて開催するってなっていたんですよね。

そうしたら、瀬戸さん達はそっちの話題はスルーしとけばいいのに「光州事件」の展示まで非難。多分Google先生に質問したらすぐ見つかりますよ。

こんな態度で、中国共産党の虐殺や少数民族、マイノリティーの差別などを非難できるんでしょうか?

特に、フリチベ系の人とかこういう実態を知ったら心底ムカつくんじゃないかと思いますよ。

これも、ちょっと「セマウル運動」から派生した話題でした。

次回あたりから昭和50年頃のお話に戻りたいですね。

【追記】
昼間は時間が足りなくて検索が出来なかったので、改めてGoogle先生に尋ねてみました。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52179875.html



kwoutも初めて使ってみました。思った以上に快適ですね。

ご覧のとおり、左翼系の人たち、従軍慰安婦問題などを取り沙汰している人たちへの不満は分らなくもないんですが(※でも、彼らにも「言論の自由」は認めるべきです)、「光州民主化闘争当事者」の方々まで一緒に不逞朝鮮人にしてしまっているんですね。

で、別にこの人たちは反日的な主張を持って日本にやってきたわけでもないのに日章旗を持って取り囲んでしまうと。

共産主義の対極は自由主義だと瀬戸弘幸さんは仰りたいようですが、当時の韓国は延々と軍事独裁政権が続いていました。国民は民主化を求めていました。

ただそれだけなのに、弾圧されて虐殺されました。共産主義国家は自国民を虐殺してはいけないけど、反共という看板を掲げている国は、軍事独裁政権で国民を苦しめて虐殺しても許されると瀬戸弘幸さんは考えているんですよね?

瀬戸弘幸さんは、反共のパートナーとして国民を弾圧する軍事独裁政権の指導者こそふさわしいとお考えだったのでしょう。民主化を主導した金大中(キムデジュン)氏や盧武鉉(ノムヒョン)氏が大統領になったら、彼らは左派政権で反日教育を行っているから韓国人の反日感情が一気に膨れ上がったと主張しました。

実際は、歴代の軍事独裁政権の大統領が反日教育を脈々と続け、政権が交代するたびに謝罪と賠償のお代わりニダと繰り返してきたことを嫌韓厨は知っています。

2ちゃんねるで、よーめん閣下の理想とする軍事独裁政権が笑いの種になることが多々ありますが、実は瀬戸弘幸さんの理想とする政体こそ、軍事独裁政権ではないかな、と思うことが多々あります。

少なくとも、中国共産党のマイノリティー弾圧を非難する資格など全く備えていないですね。

【追記2】
「マンガ嫌韓流」などでも、常識外れの遡及法として紹介されている所謂「韓国法」という法律があります。ある時点まで、その国の憲法や法律で罪でなかったものを、後付けの法律で裁こうというのは国際的にもナンセンスだというものです。



これも、「光州事件」辺りから端を発しています。軍事独裁政権下では真相解明が進まずに、そのまま時効を迎えてしまった案件を、民主化実現後に究明しようとしたのが始まりです。

真相解明が進み、今度は補償を請求する権利があったのにその時期を逸した人たちに権利を認めようではないかと言う法律が続々と作られた。

賠償責任を加害者本人だけでなく子孫にまで負わせることが行き過ぎかどうかという部分で是々非々の論争はあるかも知れません。

ですが、全斗煥ファミリーのように「セマウル運動」の資金横領など、一族全体で大規模な不正蓄財をしていて、肝心な全斗煥氏は死去というケースなどもあることは当然考慮すべきです。

全斗煥氏に傾倒していたであろう瀬戸弘幸氏らは、子孫に対する責任追及に猛反対なさるのでしょうが。


(※杉山真大さんの指摘で気づきましたが、全斗煥氏はご存命でした。死刑判決後、特赦されています。)

(※訂正文:軍事独裁政権時代の方々の中には、既に死去されている人も居ます。その方の一族全体で不正蓄財をしているケースの場合、賠償請求は宙に浮いてしまうのでしょうか? 軍事独裁政権下で請求する機会すら得られなかった権利は、そのまま諦めよと言うのでしょうか? 韓国の国民が民主的なプロセスで選んだ政権下の手続きでなら、時効切れで諦めろというのは正論ですが、この場合は一定の議論の余地があるのではないでしょうか?)

これを十分に理解せずに非難してしまっているのが嫌韓厨を始め、大半の日本人。そして、こういう誤解が定着しているのを喜んでいるのが「行動する保守」を牽引する排外主義者の方々。

kwoutのリンク元を辿って、解説をきちんと読んでみることをお勧めします。



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2009年10月14日水曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その17)

瀬戸弘幸さんはまともな対話や議論をすっ飛ばして『訴える!!』とまで息巻いていたのに、事件番号と日付の公表のみで、肝心の裁判資料や新聞記事をまだ公表されていません。

訴訟を起こさねばならないほど深刻な事態に陥っていると主張しながら、ご自身で容易にできる名誉回復手段を講じることもせず、中途半端な情報提示によって、却って状況を悪化させ、そのフォローもまともに出来ない。

今のままだと、『徐才喜さんは、逮捕当初から詐欺罪について容疑を全面的に認め、初公判でほぼ決着していた』と考えるしかありません。それでもギリギリ間に合うかどうかというスピード結審です。つまり、記事の内容と実際の事件の顛末はまるで異なるフカシであったという疑念が晴れません。

これについては、ご自身の手元にある資料で疑念を晴らして戴く他ないはずです。東京にお戻りになっておられるなら、最優先で関係資料をスキャナで取り込んでアップすべきです。これは私のためにすることではなく、瀬戸弘幸さん自身のためです。

あれほど大騒ぎしながら放置する神経が分からない。もしかして、私を訴えると仰ったのは、恫喝訴訟の類ではないか?と訝っている人も居るようですから、今になって、この問題はどうでもいいんだという、いい加減な態度はお取りにならない方が良いと思いますよ。

ますます、世間様の印象がそうした方向に傾いてしまいます。抗議を取り下げるなら取り下げる、保留するなら保留するで、意思表示をきっちりなさることが大切です。

私としても『訴える』とまで言われているわけで、抗議の意思を突きつけるだけ突きつけて中途半端で放り出されるのは大変遺憾に思う次第です。

また、刑事事件なので、裁判所ではなく検察が保管ところまではすぐ気づいたのですが、凪さんが保管期限が5年であることを教えて下さいました。これで福島に無駄足運ばずに済みました。感謝です。

で、裁判所に見せてもらえと仰られた瀬戸弘幸さんは、意地悪だったのか無知だったのか、いずれにしても恥ずかしい丸投げをなさいましたね。私には確認手段がないことが確定しましたので、勝手に調べろという言い草はもう通用しません。

「徐才喜冤罪事件」が書かれたタイミングがあやふやである事は、shinok30さんが鋭く指摘を始めています。私も、福島県立図書館に出向く前から、調べ物用に年表を作り始めています。瀬戸弘幸さんの思い出話の『昭和○○年ですから、○○才の頃』といった表現は、実年齢とも数え歳とも合わないことが多々あります。

平気で2歳くらいは食い違うので、検証の際は『○○才の頃』は過信せず、『昭和○○年』又は、その年に起こった事件に触れて書かれた記述で整合を取り直すという作業をしています。これは割と手が掛かります。ご自分の年齢くらいはしっかり書いて戴きたいものです。

で、瀬戸弘幸さんが削除しまくったshinok30さんの指摘をGoogle Docsでまとめておいたので、リンクしておきます。真っ当な指摘に対して、ろくな反論もせずに削除して逃げるのが保守原論家の看板を掲げている方のすることですか?

Shinok30氏の「徐才喜冤罪事件」時系列分析レポート抜粋

この指摘を見ても、やはり時系列上の無理、不整合があると考えられます。これまでの説明に誤りがあったのなら、説明しなおして戴く必要があるでしょう。いずれにしても今のままゴリ押しというわけには行かないですよね。

明らかに、おかしな説明を繰り返しているのは瀬戸弘幸さんですから、shinok30さん等に『妨害だ』と言い放つのは幼稚な言い草です。

私などに対して『でたらめだ』と逆ギレする事についても、私の指摘の主要な部分は、瀬戸弘幸さんのこれまでの主張を元にしているんですから、自分の反論しやすそうな部分だけ選んで言いたい事だけ言いっ放しにしようというのは幼稚すぎます。

ここまでに、私の問いかけに殆ど何もお答えになっていませんね。その時点で議論に負けてるとは思わないんですか? ご自分では相手の一番弱そうな所をガンガン攻めてるつもりになっているんでしょうが、それですら、まったく攻めきれていない。

で、自分は相手の問いかけに全く答えられない醜態を晒している。いつまで、こんな無様なやりとりを続けるおつもりですが?

瀬戸弘幸さんは、柳原さんや、最近参戦した、りゅうさん達一部の創価学会員の方々以外の、東村山関係でご自身に批判的なスタンスのブロガーを片っ端から創価系と決め付けています。

そして、創価学会が故朝木明代さんを謀殺したと決め付けているようですから、瀬戸弘幸さんにレッテルを貼られたブロガーは人殺しの片棒を担いでいると決め付けられているのと同じ誹謗中傷をされていることになります。

私のような匿名ブロガーだけでなく、商用誌に連載を持つ松沢呉一さんや、おはら汁こと荒井さんなどに対しては、匿名者に対する誹謗中傷では済まされないでしょう。それなりの根拠を示さなければならないはずです。

更にブロガーだけではなく、元東村山署の副所長や、ライターの宇留嶋さん、万引き被害にあった洋品店の方まで、みんな瀬戸弘幸さんに人殺しの共犯者だと言われている格好です。

で、私がこれまで何度も指摘しているのにシカトなさっている件ですが・・・

瀬戸弘幸さんは、万引きが捏造されたという結論に持っていくために、『遺族らが洋品店を訴えた』とだけ紹介し、『だが、洋品店が勝訴した』という一番大事な情報を読者に伝えませんでした。

司法判決が不服なら不服なりに記事を書けばいい。判決が下っていることは正直に書かないと偏向報道と言われても仕方ないですね?

ご自分がやっている事こそ何なんですか? でたらめもいい所じゃないですか。大事な情報を伏せて自分が望む結論へ意図的に誘導する。間違いがあっても謝罪もしない。気に入らないなら訴えろの一点張り。

自分の事になったら、根拠を添えた指摘がされているのに、慌てふためいて、全く対話や反論というプロセスを介さずに、いきなり「訴える!」と騒ぎ出す。

きちんと対話する。で、納得行くところまでお互いの主張をすり合わせる。その際、ダブルスタンダードは恥ずかしい事だときちんとわきまえる。

これだけで十分なはずですが? 自分の言いたい事を言いっ放しにしているのは瀬戸弘幸さん側で、こちらはきちんと話し合えれば柔軟に対応する用意があると最初から申し上げているのに、どうして見苦しい態度ばかり取っておられるのでしょうか。

「徐才喜冤罪事件」で瀬戸弘幸さんが県警に疑われる理由、何かおかしな事が書かれていましたか? 補足しておきましたが、取材活動で太田町界隈に出向いたら、瀬戸弘幸さんはすぐに任意同行させられたんじゃないですか? 覆面かぶって取材は出来ませんし。

名字だけで判断して恥ずかしい間違いを犯すというのは、コシミズさんのご尊父を日中友好協会関係者と誤認した暴徒たちみたいな方々向けに贈るべき評価です。

加害者の人権にも配慮せよという趣旨をお持ちだろう「犯罪報道被害者の会」主催の瀬戸弘幸さん、いい加減逃げずにコメントして下さい。法務省などにも抗議して行こうというご立派な会なんでしょう?

『傘で目を突いたわけじゃなかった事件』の抗議でお忙しいこととは存じ上げていますが、関係資料の公開はお早めによろしくお願いします。他ならぬ瀬戸弘幸さんご自身の名誉のために必要な手当てだと存じます。

ところで、少し話が横道に逸れますが、この傘事件は故意に傘で目を突いて失明寸前に追い込むという凶悪犯罪だからこそ、徹底究明しようっていうのが当初のお話だったような?

探偵ファイルの語り口では、被害者も加害者も分かっている風ですし、傘はどこかに消えうせて、単なる傷害事件になっています。

もちろん、『たった1人を多人数で取り囲んで怪我を負わせる凶悪犯罪』という事は言えるのでしょう。批判は大いに結構です。

これをもってカルト集団と言うなら類似事件を起こした団体は、同じ評価をされることになるでしょうね?

秋葉原で、プラカードを用意して立っていた【日本人男性】を、よってたかって暴行していた「行動する保守」の方々は、紛れもないカルト集団ですよね、瀬戸弘幸さん。

結局は、「行動する保守」が『残忍極まりないカルト集団』だと認定するための評価判定基準を自分たちでせっせと作られているわけですね。ご苦労様です。

割と気長にお待ち申し上げたつもりですが、特に返事がないようでしたら私への抗議は尻すぼみで断念してしまったと判断して、本題に戻って行きます。

何卒ご了解下さい。



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2009年10月11日日曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その16)

瀬戸弘幸さん、事件番号を提示して頂けたようで感謝致します。

ですが、凪さんを始め、各方面から疑問の声が寄せられているのも又事実です。時系列的に整合が取れていないのではないかとの疑問は、残念ながら私も同様の見解です。

徐才喜さんが、詐欺の嫌疑をかけられた事について、事実関係を徹底的に争う構えを見せていたならば、瀬戸弘幸さんが示したタイミングでスピード結審することは有り得ないのではないですか?

仮に、徐才喜なる人物が実在したとしても、詐欺の容疑を最初から認めていた人物で、そのまま有罪判決を受けただけという疑念が沸いてしまいます。お手元の裁判資料には、被告が短期間に徹底的に無罪を主張し争った痕跡が勿論残っているんでしょうね? そうでないなら、フカシ記事だった事になりますが。

また、当時の取材記事が見つかったと仰るからには、新聞記事も見つかったことでしょう。裁判記録だけでは、徐才喜さんが遠藤文子さん殺しの疑いで取調べを受けた事が分かりません。単なる詐欺罪で捕まった人を適当に関係あるように書き立てることも出来ます。

事件番号と日付から得られる情報からは、逆に疑問が深まったという印象です。勝手に福島地裁で見ろと仰るなら、やっぱり怪しいという判断のまま先に進めます。

福島のご実家には、たまたまスキャナがなかっただけという好意的な解釈をしておきます。東京にお戻りになってから、裁判記録と新聞記事のアップが遅滞なく行われるものと信じています。そういう解釈で間違いありませんよね?

瀬戸弘幸さんのお手元にある情報の真贋を確かめる術がこちらにないのに、記事を訂正せよとか撤回せよと言われても、応じることは出来ません。きちんとやりとりをして、納得した上でと申し上げているのに、どうして理解して戴けないのでしょうか。

ところで、瀬戸弘幸さんが憤慨されている理由は確定したんですか? 『徐才喜冤罪事件が限りなくフカシっぽいと言われた』という点に絞った抗議なのか、セマウル運動の裏側や、町井久之氏と児玉誉士夫氏がコリアンマネーで白河高原買収と開発をしていた事も、否定するつもりですか?

児玉系右翼の瀬戸弘幸さんは、郷土福島を朴大統領の肝入りで買収されていたのに見過ごして、勝共思想どっぷりの行動右翼をなさっていたんですよね。「木村王国」という、朝日新聞社が作った造語を瀬戸弘幸さん自らがお使いになっておられるのを、私は確認しています。

町井久之社長、児玉誉士夫会長の東亜相互企業が福島県の政官財が癒着した汚職の一翼を担っていたことは重々承知して支持していたわけですね。昭和51年のロッキード事件発覚で全国的に風当たりが強かった上に、福島県では、こんなひどい有様。

それでも児玉系右翼で勝共。朴大統領のために福島県の白河高原を割譲しても構わないというのが、瀬戸弘幸さんだったのでしょうか?

瀬戸弘幸さん、郷土愛ってお持ちでないのですか?

話が逸れましたね。まずは、裁判資料と新聞記事の公開をお待ちしています。

追伸:流石は瀬戸家、立派な石倉をお持ちですね。GHQの農地解放前は、さぞかし立派な大地主だったことでしょう。福島市には、親戚血縁関係など全くない「瀬戸家」がゴロゴロしていて、私が誤認すると、そう仰る。

なるほどなるほど。



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2009年10月9日金曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その15)

社会活動家であり、「犯罪報道被害者の会」という立派な名称の会を主催する、みなし公人の瀬戸弘幸さんが、何やら騒ぎ始めました

ボチボチこういう反応をするだろうと予想はしていました。予想外の攻撃に驚いてひるむだろうと瀬戸弘幸さんは期待しているようですが、訴えるぞというのは既に1年前に1度やられてますよ。

ブログを立ち上げた頃から予測していた事ですから、今更何を驚けと仰るのかと。きちんと根拠を添えて反論して戴きたいのですが。訴える訴えない以前の問題です。

まず、最初に確認しておきますが、瀬戸弘幸さんの憤慨は『徐才喜冤罪事件がノンフィクションなのにフカシ記事だと決め付けられた』ことに対するものですね? 今後勝手に理由を書き換えないように、きっちり確認しておきます。

少なくとも、次回辺りまでに理由を確定させて下さいね。後になって理由を変えてしまうインチキにはつきあいきれませんので、最初にお断りしておきます。

徐才喜さんが逮捕された記事が掲載された新聞の写し、裁判記録などをアップして戴ければ万事解決です。瀬戸弘幸さんの書いた「徐才喜冤罪事件」が事実に基づいて書かれたノン・フィクションであることが即座に証明されます。

当時の取材記録が既に散逸しているとしても、福島県立図書館に当時の新聞が保管されている事は確認しています。山本弘幸さんという新進気鋭のルポ・ライター氏によれば、徐才喜さんが逮捕された時には大きな記事になったとの事ですから、すぐ見つかるはずです。

私は福島民友と福島民報を、一日も飛ばさずに読んだにも関わらず該当記事を見つけられませんでした。通名報道の可能性も疑いましたし、山本弘幸さんがプライバシーに配慮して、徐才喜さんの名前も、日本人名として書いた名前も仮名にしている可能性まで考慮して、それらしい経緯になっている事件を探したのですが、それすら見つかりません。

遠藤文子さん殺しについて10日間以上も続けて記事を載せる地元紙を選んで、これだけ丹念に探しても痕跡すら見つからない。

百川六郎さん逮捕に絡んで遠藤文子さんの名前が出ているのを発見したのを見ても分かるとおり、私は朝刊だけでなく、夕刊まで丹念に読んでいるんですが、そこまでしても見つからないんですが、これ以上、どこをどう探せと仰るのか私には理解できません。

30年以上保管された新聞からは、記事が消えうせるとでも仰るのでしょうか? 福島県立図書館で当時の新聞そのままの情報を読んだのに、こんな幼稚な反論しか出来ないこと自体が信じられません。

あと、所詮はペンネーム。編集長がつけてくれたものだろうが何だろうが実名で書いた記事ではなかったのですよね? そこに権威主義を吹かせても意味はありませんよ。実名では書けないようなフカシ記事であったという私の感想は全く揺るぎがありません。

逆に、「政経東北」という雑誌が持ち込まれた原稿やライターについて、きっちり裏取りもしないでフカシ記事を世に送り出してしまった事に大きな疑問を感じざるを得ません。

私の匿名を非難する前に、「徐才喜冤罪事件」が匿名で世に送り出されたものであるという前提をまずお認めになるべきです。

次に、当時の状況をもう少し掘り下げてみましょう。昭和52年の正月頃、瀬戸弘幸さんは「徐才喜冤罪事件」に取り組み始めたとブログで説明しています。

ですが、瀬戸孝一さん任意出頭と百川六郎さん逮捕を報じた昭和52年1月14日付の夕刊を見ても分かるように、当時の福島市太田町には、遠藤文子さん殺害事件の捜査員、天野派選挙違反の捜査員がウロウロしていました。

瀬戸弘幸さんは、ほんの9ヶ月前に県警に日本刀の刃傷沙汰で逮捕されたばかりの前科者です。

遠藤さんの事件で有力な容疑者を挙げられずにいる県警が焦っていたというのは、瀬戸弘幸さんも認識していたはずですね。前科者の瀬戸弘幸さんが、こんな微妙な時期に太田町界隈をブラブラ歩き回っていたら、一体どういうことになるでしょうか? しかも、遠藤文子さん殺しについて、あちこち嗅ぎまわるという行動を取る。

新聞記者が、その肩書きで取材するのとは訳が違います。瀬戸弘幸さんは「政経東北」に原稿を持ち込んだんですから、取材時には出版社の後ろ盾もない全くのフリーです。しかも県警から見れば、こないだ逮捕したばかりの前科者。

遠藤文子さん殺害事件と半年も離れていない時期に、日本刀で傷害事件を起こしたような人物が、遠藤文子さん殺しについてご近所様に聞いて回っているという情報を聞きつけたら県警はどういう動きを取ると思いますか?

連載記事中で、遠藤文子さんが必ずしも善人ではなかったという情報を取材中に得ていたとルポライターの山本弘幸さんは述べています。この方が本当に瀬戸弘幸さんで、実際に取材活動をしているのなら、県警が聞き込み捜査をしている人と範囲がかぶっている人たちに取材活動をしたのでしょう。

すると、得体の知れないルポライターに根掘り葉掘り聞かれたことをいぶかしく感じたご近所様の1人が、うっかり県警さんに『遠藤文子さん殺しについて嗅ぎまわってる人がいますよ』なんて洩らしたら、それだけで瀬戸弘幸さんは、あっという間にピンチに。

私は、瀬戸弘幸さんの反論では、瀬戸孝一さんの親族ではないという説明になっていないと考えています。そちらの面からも問題が発生すると思うのですが、現時点では、『当時の瀬戸弘幸さんが前科者として県警さんにバッチリ顔を覚えられていた』という状況だけでも、まともな取材など不可能だったと推察できるので、まずは、それを疑問点として挙げておきます。

そもそも『名字だけで判断』したわけではないですよ。きっかけにはなっていますが。

『名字だけで判断』して、コシミズさんのご尊父を「日中友好協会」の関係者と即断して罵声を浴びせていた襲撃犯の皆さんがやった事が、批判に値するという事でよろしいんでしょうか、『犯罪報道被害者の会』主催の瀬戸弘幸さん。

私が『名字だけで判断』して暴れる人たちについて質問したことについては無回答じゃないですか。恥ずかしくないですか? 自分の事になると曲解してまで訴えると大騒ぎ。情けないにも程があります。

私は、事実誤認があれば、そのように仰って戴き、瀬戸弘幸さんのご説明に説得力があれば訂正にも謝罪にも応じると本シリーズの始まりで予めお断り申し上げています。瀬戸弘幸さんが反論できないようなタイミングでの記事の投稿も控えるようにしています。

こちらは、最初から議論できるよう配慮していますし、準備も整えています。これに対して『無視する』か『訴える』かの二択しかないというのは、言論者として致命的じゃないでしょうか。まともに『対話』や『議論』が出来ない人なんですか?

私は、断定できない部分は、正直にそのように表現していますから、読者もそのように理解してくれていると思います。自分が判断した根拠なり理由なりも、出来るだけ示すようにしています。自分にとって不利な情報も隠さず出しています。

瀬戸弘幸さんは、東村山の洋品店での万引き問題について、『亡くなった市議の遺族らが訴えた』とだけ紹介しました。実際には『亡くなった市議の遺族らが訴えたが、洋品店側が勝訴した』と紹介すべきでしょう。

万引き捏造という結論に導きたいがために、肝心の情報を一部欠落させて紹介する。ジャーナリストしてやってはいけないことをしています。非難されるべきは、こういう態度を言うのではないですか?

私は、こういうデタラメな事はしてませんよ。自分が調べられる範囲で丹念に調べ、それでも断定できない部分は断定できないものと正直に書いていますから、訴訟に持ち込んでも特に問題にはならないと確信しています。

瀬戸弘幸さんは、自分が書いたデビュー作が真実であると立証したいのですよね? 冒頭で述べたとおり、徐才喜さんが逮捕された新聞記事を見せてください。それで、瀬戸弘幸さんの名誉は完全に守られますし、きっと私は「穴があったら入りたい」恥ずかしい気持ちになるでしょう。

私を訴えるにしても、記事の真実性や相当性を争う上で決定打になる上に、立証が最も容易な部分ですから、すぐに証拠そろえをしてビシっと叩きつけて私を凹ませてみては如何でしょうか。

私は、間違いが指摘されても絶対に謝らない誰かさんとは違いますから、訴訟をチラつかせるまでもなく、きちんと手順を踏んで戴くだけで十分ですが、訴訟に拘るしても、口先ではなく、必要な証拠ぞろえなどは避けて通れませんよ。

まずは、きっちりとやるべきことをやって戴きましょうか。

瀬戸弘幸さんに言いたい事は大体こんなところですね。反論その他言いたいことがあれば、いつでもお待ちしております。

さて、エントリーをこれだけのために1回分消費して終了では読者の皆さんに申し訳ないので、少しだけ本題も少しだけ前に進めておきますね。

鳩山総理の故人献金問題などを問題視する瀬戸弘幸さんですが、確かに「政治資金収支報告書」などの記載が正直に行われていないと、『政治と金』の問題が適正に処理されていることを確認することが出来ませんから、クリーンな政治を担保するものがなくなります。

昭和51年暮れに天野光晴さんが衆議院議員選挙に絡んで選挙違反容疑をかけられた問題は、正にこうした要素を含むものです。当初は、票買いの賄賂が問題になり、天野派運動員が次々と逮捕されていたのですが、昭和52年1月14日の瀬戸孝一県議任意出頭と百川六郎さんの逮捕は、新しい嫌疑の浮上によるものでした。

『選挙運動費用収支報告書』に記載されていた出納責任者の名前が、でっち上げである疑惑が浮上。この人物が、この選挙には全くタッチしていなかったことが確認されたのでした。故人が献金できないのと同じように、選挙運動に全く無関係だった人が、出納責任者のはずがない。

このように、無関係の人の名前を勝手に拝借して、出納簿の類をチョロまかす犯行は古典的なもののようです。瀬戸弘幸さんが血縁関係を否定していらっしゃる、瀬戸孝一県議は、天野派の選挙運動を仕切っていたので任意出頭という事になってしまったようです。

この後も野党からの批判が止まず、県議会の副議長を辞任していらっしゃることまで以前紹介していました。

その後の展開ですが、賄賂のばら撒き、収支報告書デッチ上げなどの疑惑で、天野光晴さんの夫人、マサさんまでもが逮捕され、取調べを受けます。

赤の他人だそうですから、私がいくら瀬戸孝一さんや天野光晴さんの過去について書いても、瀬戸弘幸さんは一切文句は言わないでしょう。他人ですから。

鳩山首相の故人献金と同じく、過去のこうした問題も許されざる犯行ですよね。地元福島で行われた、このような不正について、郷土を愛する瀬戸弘幸さんが当時、どのような思いでニュースを見て居られたのか、感想を聞いてみたいものです。

たまたま名字が一緒だったせいで、色々迷惑したりすることもあったのでしょうか。

さて、ここまでの流れを新聞で追いかけて、これ以上は時間が足りなくなると判断した私は、郷土の政治家に関する資料だから、探せば見つかるだろうと蔵書検索コーナーへ向かいました。

自伝の他にもう一冊、興味深い本が見つかりました。「ずんねえ男一代記」という表題の本ですが、なかなか恐ろしいことが書いてあります。

簡単なメモ書きしかして来なかったのですが、こんな感じのことが書いてありました。

天野光晴氏は、県議会議員選挙立候補を決意し、妻のマサさんが収監されている拘置所前に立つとハンドフォンで出馬を報告。粘り強い選挙戦を展開して、県議会議員選挙に当選。手元の資料と照らし合わせると、多分、これが昭和54年4月8日。

県議会議員になると、自分の妻に対する県警の厳しい取調べが人権侵害ではないかと、審査機関の設置を要求し、自らその長に。県警トップを呼びつけて丸2日間こってり油を絞った。

これ以降、選挙違反の追及がピタリと止んだ、といったようなことが書かれていました。

昭和54年10月7日には衆議院議員選挙(公示は9月7日)なので、ごく短期間、県議会議員になって足元の火消しをしたということでしょうか。この本に書かれていることが事実なら、恐るべき豪腕だと言えますね。これについては、もう少しきっちり裏取りをして、また報告したいと思います。

今回は無駄話で長くなったので、「月刊ルポルタージュ」と「二本松タイムス」の紹介は次回にします。



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2009年10月4日日曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その14)

今回は、西村vsコシミズの決戦について触れながら、宿題遺棄事件シリーズ前半のおさらいと絡めたお話をします。

雑感としては、案の定まともなお話し合いは出来なかったし、ご近所迷惑でしたね。

西村修平さんの宣戦布告文からすると、『統一教会から資金提供を受けている』と誹謗中傷された事が発端だったはずです。瀬戸弘幸さんの工作で、「そよ風」への誹謗中傷への抗議にすり替え。

コシミズさんは脇が甘い上におバカさんだったようで、この挑発に乗って、「そよ風」の女性陣の写真にコラージュして誹謗中傷。黒田大輔さんと同じような幼稚なことをしてたらダメでしょう。瀬戸弘幸さん達は勝ち誇っていますが、相手が自分たちと同じレベルに堕ちただけなので、あまり自慢にはならない。

で、当初の抗議理由については全く解決していません。それをすっかり忘れたかのように瀬戸弘幸さんは、鳩山由紀夫総理の献金問題の追及をすると息巻いています。

例えば、小沢一郎氏が会計責任者を連れてきて『西松建設との関係は無問題』って説明させたら疑惑は全解消したと瀬戸弘幸さんは認めますか? 『国民を舐めるな!』と仰るんじゃないでしょうか。

鳩山由紀夫総理の場合でも、『秘書が処理したことですから』で済ませたら、やはり許さないんじゃないですか?

西村修平さんが、会計担当者を連れて行って、その場で口頭で統一教会との関係を否定させて胸を張って見せたパフォーマンスは、それと何が違うのでしょうか? 国民を舐めるのも大概になさった方が宜しいかと。

あれでは、何も説明しなかったのと同じですね。ゴネて穏やかに討論するのを拒む。そよ風コラ問題発生より前から街宣許可を取って居たことも判明しているようです。瀬戸弘幸さんの虚偽説明も破綻しています。

最初から、脅したり嫌がらせをすることで、『統一教会から金をもらっている疑惑』を蹴散らしに行ったんですね。そうとしか解釈のしようがありません。

瀬戸弘幸さんは、現地で穏やかに話をしようという姿勢が若干見られたものの、西村修平さん登場後は完璧に嫌がらせ街宣で相手を黙らせる作戦に終始していました。瀬戸弘幸さんは、終了後も西村修平さんの姿勢について何ら疑問を呈することもなかったようです。

もちろんコシミズさん達の態度も全く褒められたものではないですが、「行動する保守」の金銭面の疑惑はますます濃厚になったと言わざるを得ません。

『まともに情報を開示して話し合うことは出来ず、嫌がらせや脅し、家族まで狙って押しかけるという行為で黙らせる方法を取るしかない程、裏側は真っ黒なんじゃないか?』と多くの人が再認識したと思います。

また、「犯罪報道被害者の会」主催の瀬戸弘幸さんは、この分野においては卓越した知見や倫理観を持ち合わせていることが期待される「みなし公人」です。そういう基準で評価し、批判させて戴きます。

加害者にも人権があり、報道の過熱によって、家族に対する行き過ぎた取材などを制限しようという動きが一時期あって、「人権擁護法案」にマスコミ規制条項として盛り込まれかけた時期もありました。

現在は、報道業界が自主規制の枠組み内で行き過ぎをなくす取り組みをしています。瀬戸弘幸さんは、もちろん立派な趣旨の会を主催しているんですから、こうした流れをご存知ですよね?

然るに、『写真を使って名誉毀損する』という、黒田大輔さんと同種の犯罪ですが(※コシミズさんの方が悪趣味だとは思います。)、これに対してコシミズさんの実家に押しかけて嫌がらせをするのは行き過ぎだとお思いになられませんか?

マスコミの取材過熱による『加害者家族に対する取材』ですら、人権侵害の疑問が持たれている昨今だというのに、殺人事件等の重大犯罪ではなく、誹謗中傷レベルで実家に押しかけてご近所様に迷惑が最大限かかるように抗議街宣。マスコミによる人権侵害の比でないことはお分かりになるはずです。

加害者の人権にも配慮するよう求める団体の主催者として、どう思われるのですか? これが許されるなら、黒田大輔さんのご尊父の事務所に抗議街宣なども当然許されることになりますよね?

また、コシミズさんの実家が日中友好協会と縁があるとの誤報が飛び、それを根拠にコシミズさんのご尊父に暴言を吐いている方まで居られるようですが、こういうのを放置しておいて許されるんですか?

だったら、こういう情報は如何でしょうか?

瀬戸孝一さんの自伝の巻末に「わが人生の足跡」という年表があります。昭和53年8月22日、「日中友好県民の翼訪中(副団長)」と書いてありました。

私は県議として日中友好の架け橋となられた瀬戸孝一さんは間違ってないと思いますけど、コシミズさんの実家を襲撃した暴徒の方々の理論だと、国賊という事になりますから、ご子息である現福島市長の瀬戸孝則氏宅辺りが街宣対象になってしまいそうな気がします。

実際は、似非愛国者でしょうから、瀬戸弘幸さんの親類は襲わない。コシミズさんのご尊父は誤報でも襲う。日中友好は口実に過ぎないってところでしょう。

(※似非じゃない証拠に福島市長を襲えと言っているわけではありませんので誤解なきよう。法治国家日本で人様を襲おうなどとは絶対に考えてはいけません。)

私は、偏狭なナショナリズムで煽動を持ち込んで、自分が抗議したい人の家族まで巻き込んで『お灸を据える』だか何だか知りませんが、無茶苦茶な私的制裁を加える「ならず者」には、問題があると感じています。

こういう「ならず者」に限って、自分たちが加害者側になっている時は、無茶な事をする正当性ばかり説き、同じ事を自分たちがやられそうになった途端に泣き言を並べ立てたりする情けない人達だったりするものです。

どうしても、あれは西村修平さん達が勝手にやった事という扱いにしろというなら、客観的に見て、あの行動をどう思うのか「犯罪報道被害者の会」主催、または普段からジャーナリストを名乗る瀬戸弘幸さんの報道倫理が、どの程度のものか世間に知って戴くためにも、きちんと表明して戴きたいものです。

ノーコメントでは、あまりにお粗末でしょう。それこそ何も答えられないのは「逃げた」と言われても仕方がない。

また、リアルの衝突が済んだ後も、瀬戸弘幸さんは言論でコシミズさんに追い討ちをかけようと考えたのでしょう。色々言い始めましたが、虚偽説明のオンパレードになっています。

統一教会の文鮮明氏が金正日と会談したのは1991年の12月で、それ以前に民族派右翼活動している時期に勝共連合と関係があったからと言って文句を言われる筋合いはないというような事を言いたいのでしょうが・・・

宿題遺棄事件シリーズ(その2)で説明させて戴きましたが、瀬戸弘幸さんは2006年01月26日付のエントリーで、セマウル運動について紹介しつつ、勝共理論丸出しで、『私は韓国における「反共・自由の青年戦士」達との共闘を呼びかけたい。』と呼びかけています。

文鮮明が北朝鮮訪問をした後も、瀬戸弘幸さんは勝共理論を捨てていません。その後のエントリーで嫌韓に転じた理由を盧武鉉政権などに押しつけています。

反日教育は、李承晩軍事政権以降ずっと行われて来ました。瀬戸弘幸さんが反共パートナーと認めてきた歴代政権がどれもやって来た事です。盧武鉉政権が急に反日教育を始めたかのように紹介しても騙されませんよ。

そして、セマウルに居るのが統一教会に思想洗脳された農民たちだという事はネトウヨに教えずにオルグしようと画策。文鮮明が金正日と会談した後にこういう事を平然とやっていたのが瀬戸弘幸さんです。

次回は、瀬戸孝一さんの自伝から天野光晴さんに関する話、更に選挙違反を天野光晴氏が豪腕で処理した話、瀬戸弘幸さんが発行していた「月刊ルポルタージュ」などの紹介に充てたいと思います。

【追記】
新エントリーを起こすほどの事ではないので追記にしておきますが…

瀬戸弘幸さんがコシミズさんへの反論として、「北朝鮮偽装右翼説と左翼偽装転向説に反駁する」なんて事を言い出しました。

『ヒトラー思想のススメ : 自然と人類を救済するナチス・ヒトラー世界観の120%肯定論』によると、瀬戸弘幸さんのネオナチの師匠であり、児玉誉士夫系民族派団体として師事した「民族思想青年会」代表の篠原節さんは、社民党系… つまり左翼からの転向組ですよね?

瀬戸弘幸さんも、この本で対談していて共同執筆しているんですから重々承知しているはずです。非常に身近なところじゃないですか。どうして自分と遠そうなところから左翼転向組の話題を持ってきて「他山の石」みたいなフリをなさるんですか?

そういうみっともない真似は、やめた方が宜しいかと。国会図書館の蔵書にある瀬戸さんの著書は、時間がある時にパラパラと読み始めてますから、ウソをついてもすぐ分かりますよ。



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2009年10月1日木曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その13)

徐才喜さんという在日韓国人が限りなく架空の人物らしい事は、福島県立図書館での調査でも確認できました。

そうなると、瀬戸弘幸さんが匿名のルポ記事で警察が不当逮捕や不当捜査をしているといった怪しげな印象操作をして世間に何を伝えたかったのかという点に興味を持った人も居るでしょう。

フカシ記事を書いても、ライターとしてもらえる原稿料はたかが知れているでしょうし、お小遣い稼ぎとしては妙な感じがします。

私は、この事件について調べるために昭和51年10月末~昭和52年の春先辺りまでの新聞をしらみつぶしに読んでいました。偶然、この時期には調べてみたかった事柄が集中的に起こっていたという事もあり、かなり丁寧に眺め回していました・・・

すると、遠藤文子さんの名前をとても意外なところから拾ってしまったのです。

新聞記事のコピーをとって来たので、興味のある方はコチラを見て下さい。

昭和52年1月14日 福島民友新聞 夕刊 

瀬戸弘幸さんの親族(多分、いとこおじ)の瀬戸孝一氏が、天野光晴氏選挙違反に絡んで任意出頭という記事が出ています。この中で、運動員の百川六郎氏という方が逮捕されたという記事があるのですが・・・


百川の自宅は福島駅西口の東北新幹線高架橋工事現場の近く。太田町の元女性校長殺しの現場から約五百メートル離れた住宅地の一角にある。


被害者宅と500メートルしか離れていないところに住んでいて疑われた太田町内の住人というと、徐才喜さんと全く条件が同じですね。逮捕された時期と、瀬戸弘幸さんが、「徐才喜冤罪事件」に取り組み始めたという時期はピッタリ同じです。

瀬戸弘幸さんは、天野派の県議会議員で、当時は県議会副議長だった瀬戸孝一さんの親族。そして、遠藤文子さんが殺害されて半年もしない時期に日本刀で傷害事件を起こして9ヶ月も拘留されています。

出所して早々、瀬戸孝一さんが任意出頭となり、天野派運動員の百川六郎氏が逮捕され、天野派と遠藤文子さん殺害が何となく関連づけられている空気が見えるや否や、全く違う作り話をこさえて世間に発表しようと動き出しています。

架空の在日韓国人である徐才喜という人物が冤罪でハメられて逮捕され、警察に人権を無視した不当な捜査をされているというフカシ記事を匿名ライターとして寄稿。

この「徐才喜冤罪事件」を瀬戸弘幸さんが実名で書いていたら、警察はどういう動きをしたでしょうか? また、山本弘幸というペンネームのライターの正体が、天野派県議の瀬戸孝一さんの親族で前科者の瀬戸弘幸さんで、迷宮入りしかけている遠藤文子さん殺しの捜査をかく乱するような記事だと認識したとしたら・・・

第一級の容疑者として浮上したんじゃないでしょうか? 絶対に堂々と実名で書けるわけがない連載だったはずですよ。誰が考えたって怪しすぎます。瀬戸弘幸さんが遠藤文子さんを殺したとまでは断定出来ないものの、何が事情を知っている可能性があると警察に判断されてマークされてもやむを得ないでしょう。

これは、「東村山の闇に光りを」などとバカげた事を言っていられませんね。東村山市議転落死問題と違い、遠藤文子さんは確実に殺害事件です。事故死や自殺といった疑問が入り込む余地は皆無です。

カビが生えたような古い話の裏を取る物好きが居ると瀬戸弘幸さんは考えなかったのでしょうし、万が一調べられても遠藤文子さん殺害事件は時効が成立していますから気が緩んだのでしょうか。記事が掲載された雑誌名や時期を得意げにお話してしまったのが運の尽きでしたね。

また、瀬戸弘幸さん達の東村山での活動を見ていると殺人事件等の重大犯罪については時効撤廃を求める姿勢のようです。

どれだけ古い問題であっても巨悪は眠らせてはならないと仰っているようですから、私が福島市太田町の殺人事件について何十年経っても追求し続けようと考えても一切文句を言うことはありませんね?

私が本件について拾ってきた情報は、まだ終わりではありません。むしろ序の口だと考えてください。まだまだ掘り下げていけるネタを持ち帰っていますので、追々取り上げて行きます。

瀬戸孝一さんは、この選挙違反問題を県議会で野党に徹底追及されて副議長の罷免要求まで出されますが辛くも否決。翌日に辞任して、福島県政は何とか平静を取り戻したようです。

これが、私が福島に行く前の調べ物で見つけていた、昭和52年3月5日の辞任の真相でした。色々ご苦労なさっていたんですね。

それにしても、この天野光晴氏の選挙違反問題、全国紙で拾おうとするとほとんど情報が見つからないんですね。福島に行って初めて色々知りました。

それまでは、木村守江県知事の逮捕劇の余韻が1年後もくすぶっていて・・・ くらいの予測しか出来ていませんでしたが、天野派が片っ端から逮捕や任意出頭という事態にまで追い込まれ、県議会がストップし、蜂の巣をつついたような大問題になっていたとは・・・

地元新聞を読まないと分からないことってあるんですね。

次回に続きます。



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