統一協会の御用聞きブロガーの瀬戸弘幸さん、ジャーナリストの執筆したものは、読者から評価される運命にあり、結果的に、執筆者の意向に関係なく、対立する複数勢力のうちの特定の側を支持する傾向にあると評価されることも珍しくないという事で宜しいんですね?
今後、瀬戸弘幸さんが他のブロガーさんを「○○の犬」と呼称し続けるなら、瀬戸弘幸さんを「チョンドファンの犬」とか「文鮮明の犬」と親しみを込めて呼ばせて戴いてもよろしいですね。
そもそも、ご自分がやられて嫌な事を他人にしてるわけではありませんよね? ジャーナリストを自称されている以上、正当な言論たるものと自負されてやっておられるのでしょうから、相手が同じことをした場合も、それが正当な言論だと認めなければなりませんよ。
とりあえず、福島市長選挙も無事に終わったことですし、私も少し具体的なお話などさせて戴こうと思います。私は瀬戸弘幸さんが脳梗塞だと言うなら退院まで待ちますし、ご親族だと私が考えている方が選挙なら、終わるまで踏み込んだ発言は控えますよ。卑怯なやり方は好きではないので。
会津藩の什の教えに『卑怯な振舞(ふるまい)をしてはなりませぬ』とあります。他にも『嘘言(うそ)をいう事はなりませぬ』や『弱い者をいぢめてはなりませぬ』なども瀬戸弘幸さんには是非とも守って戴きたい教えです。
では、本題に入りましょうか。
瀬戸弘幸さんが、ご自身のルーツについて語っているエントリーです。リンゴ栽培発祥の地は、以前も述べましたが瀬上です。瀬戸弘幸さんが昭和54年頃配布していた怪文書、「月刊ルポルタージュ」に記載されていたご住所は、調べてみたところ、瀬上小学校の西側でした。
1980年の住宅地図を見てみました。瀬戸という名字はいくらでも居ると仰っていたとおり、確かにこの辺りには瀬戸姓の方は多いですね。そして妙なことに瀬戸姓の方が多いこの土地を突っ切るように東北新幹線が・・・
東北新幹線の敷設ルートの決定には不透明なところがあったと何かで読んだ気がしたんですが、記憶違いだったでしょうか・・・ 用地買収や、騒音に対する補償などで、相当なお金が動いてるはずなんですよね。これは後で調べてみる価値がありそうです。
少し話がわき道に逸れますが、敷設ルートについて強く意見が言えそうな方々同士が、結構仲良しですよね。瀬戸孝一県議は、建設族議員の天野光春さんが政治家を志す前から親交があったと自伝に書かれています。
このご住所ですが、Google Mapだけでは良く分からなかったので、国土地理院の地図も併せて確認したところ、周辺は住宅の中に果樹の地図記号が沢山書かれていました。
瀬戸弘幸さんが、御実家の周辺についてご説明なさっているのと同じような風景が広がっているようです。
江戸時代から続いている農家で、本家と分家に別れて、分家が養蚕農家ですか。偶然、そういう来歴の瀬戸家を私は知っていますので、紹介します。
瀬戸孝一著 ごんけやん「半百の歩み」より抜粋
私は、大正八年六月二十五日に、父瀬戸栄五郎、母ツナの長男として信夫郡瀬上町字本町三十四番地に生まれた。勿論、これは戸籍上のことで、当時の風習として最初の子のお産は母方の実家ですることになっていたから、私も実際は信夫郡清水村大字御山字壁谷沢、白坂織之助宅で呱々の声をあげたのである。
私の家は、過去帳でみると瀬戸要吉(嘉永四年四月三日死去)を祖として、瀬戸良助(明治三十一年旧十二月十五日死去、七十七歳)→瀬戸榮之助(大正十二年一月二十六日死去、七十四歳)→瀬戸幸七(昭和六年四月十七日死去、七十三歳)→瀬戸榮五郎(昭和五十二年一月二十二日死去、八十三歳)そして私と続くのであるが、長寿の家系のようであった。
私の知っているのは曽祖父、栄之助からで、私が満四歳の時に死去しているが、祖父母に子供が無かったため、曽孫として生まれた私は、跡取り息子として一番だいじに可愛がって育てられた。
納戸の炬燵でよく「だっこ」されたことや、帳場にあった和紙で綴った大福帳に墨で落書きをしてよく叱られたこと、「煙管」を持って、うしろから曽祖父の頭をたたいては逃げ廻ったことが思い出として残っている。
曽祖父栄之助には二人の娘があったが、男の子がなかったので、姉「てる」には下飯坂の片平家(現戸主幸衛)から祖父 幸七を、妹「ぎん」には保坂の須賀家より、茂三郎を婿として迎え入籍した。
姉の「てる」(祖母)には夫幸七とのあいだに子供が無く、妹「ぎん」と茂三郎には七男四女の子供があった。
曽祖父栄之助は、姉より妹の方を可愛がったとかで、妹夫婦を新宅に出すときは財産を半々にして分家さしたと聞いている。
分家「ぎん」の長男、栄四郎は蚕物商として家を継ぎ、次男の栄五郎は請われて、本家幸七の養子として入籍した。これが私の父栄五郎であった。
瀬戸弘幸さんが仰るには、赤の他人だそうですので、登場人物の名前を仮名にする、伏字にする等の作業は一切していません。赤の他人の名前を、不必要にいじり回すのは不自然ですから。
自伝に進んで書かれたものですから、瀬戸孝一さんは広く世間の人に見られても問題ないものとして書かれていると思います。
それにしても、偶然の一致でしょうか・・・ 瀬戸弘幸さんから数えて5代目。一世代上の瀬戸孝一さんだと曽祖父栄之助さんの代で本家と分家が別れているからピッタリ同じ代ですね。
この本の血縁関係図によると、分家の栄四郎さんの跡を継いだのが洪亮さん。瀬戸孝一と瀬上小学校で同級生のいとこ同士でした。
瀬戸弘幸さんのご尊父も『日本よ何処へ』で折々触れられている年齢を逆算してみると、大正八年生まれの瀬戸孝一さんと同学年らしい事が分かります。
瀬上で、りんご栽培の普及活動の先頭に立っていたのが瀬戸孝一さんが理事を勤めていた、「瀬上町りんご技術研究協会」です。昭和二十二年発足。瀬戸弘幸さんは昭和二十七年生まれ。
瀬戸弘幸さんのご尊父は、リンゴ栽培技術を瀬戸孝一さん達と一緒に確立して行ったのではないんでしょうか?
養蚕業 - Wikipedia via kwout
養蚕農家についてGoogle検索すると、Wikipediaの農産業の項目がトップに出てきます。そこを見ると、瀬上地区などを含む信夫郡は日本屈指の養種産地だった事が分かります。
明治時代の富国強兵を支えた、日本の主力輸出品は生糸でした。外国に売って現金収入が得られたので、それで武器を買い、軍備を強化していたんですから、養蚕業に携わっていた瀬戸家には相当な現金収入があったはずです。
明治にはいると、養蚕景気をあてこんで信達地方には100以上の銀行が乱立し、日本銀行福島支店も設立された(福島支店は東北地方では初の日本銀行出先機関である)という位ですから、瀬戸弘幸さんの実家に石倉があるのは不思議ではないです。
江戸時代からルーツを辿れる時点で立派な家系であることが示唆されていますし、養蚕農家であり蚕物商であったのでしょう。それなりに裕福だったんじゃないでしょうか? 小作だったと言う説明は、虚言にしか見えないのですが。
私は、決して名字だけで瀬戸弘幸さんと瀬戸孝一さんを親類だと決めつけているわけではないのですが。出てくる資料や、瀬戸弘幸さんのご説明等から、ますます親類である可能性が高いと感じるようになっています。
瀬戸孝一著 ごんけやん「半百の歩み」より抜粋
瀬上宿は、福島と桑折の中間にある宿場町であった。宿駅の取締りは本陣の検断が行ったが、代官の監督下におかれた。瀬上には、木下領の陣屋があったが、小藩の飛び領であり、奉行塩見様が民政に殊に意を用いられた方で、その取締りも緩やかで、ある種の庇護を宿場に与えていた。旅籠屋・茶屋・花街の飯盛女は徴税の対象とされていたから特に藩の財政上そうした処置をとったのかも知れない。城下町の福島宿や、天領の桑折宿は取締が厳しかったから、瀬上宿は利用され易い宿場であった。
飯盛女は、遊女兼女中のようなもので、大半の者は売笑を行っていた。飯盛女は年季奉公で、前借金の額と年齢によって奉年限が契約されてつとめた。
記録によると、明治五年十月二日に人身売買禁止「芸娼妓解放令」が出されている。福島町では一三九人の飯盛女が解放されたとあるが、現実にはザル法であった。女たちの出身地は新潟県(浦原郡)、宮城県が多く、年齢も七歳(子守)から二十五歳まであり、十六歳から二十二歳までが多かった。これは、生活困窮からくる人身売買、年季奉公のためである。
飯盛女の出身職業別では、百姓の外士族の子女の数も多くみられ、武士階級の困窮も推測される。
年季奉公の制度は法的には禁止されたが、飯盛女ばかりでなく、普通の家庭にも年季奉公の師弟は男、女を問わずおり、戦前まで普通にみられた制度であった。私の家でも昭和の初め十二歳から二十一歳までの男、女四名が子守、女中、作男として年季奉公している。私を子守してくれた人は年季があけると、遊女となって瀬上遊郭で働いていた。
前述の「芸娼妓解放令」の出たあと、旅籠・茶屋・妓楼に飯盛女・娼妓をおく場合、貸座敷業の許可が必要となり、鑑札を交付するようになった。(営業許可証)
そして無鑑札営業を取締るため、同業者から監督世話人が選ばれ、県を通じ警部出張所(警察)から辞令が交付された。私の曽祖父名の辞令書を、父が死亡した時書類を整理して見たことがあった。
瀬上宿には明治二十六年の信夫郡統計書によると、八十四軒の営業許可証(貸座敷)を得た家があって娼妓・飯盛女の数は五百二十七名とあるから相当の数であった。
(中略)
明治三十五年(一九〇二年)奥州街道にあった花街は、風俗を乱すという理由から移転が命ぜられ、今まで宿場に散在しておった妓楼を、一ヶ所に集めて、営業するよう政令が発布され、瀬上花街は瀬上の東裡と言われた薬師前に移転することになった。
(中略)
私の家では、明治三十五年の新町移転前は貸屋敷業の鑑札を得て営業し、農地も多く持ち(七町歩)百姓と兼務であったが移転のとき鑑札を返納して廃業した。
(※Tomatotic-jellyさんが誤変換を見つけて下さったので直しておきました。今後とも宜しくお願いします。)
瀬戸家が遊郭の経営に携わった証拠は目にしてないと以前のエントリーでお話しましたが、ここだけはウソをついていました。
思いっきり、経営してますと自伝に書いていらっしゃるのを見ていたのですが、コレを紹介して良いものかどうか少し躊躇していたので・・・
以前のエントリーで紹介した石倉造りの建物などが並んでいる瀬上町遊郭は、明治三十五年に移転したもので、瀬戸家は移転時に遊郭からは手を引いたそうです。
年季奉公で子守をしてくれていた人が、年季明けで遊郭に・・・ 何だか現代人の私には受け止めにくいお話ですが、当時は割とこういう話はあったんでしょうね。
七町歩の百姓というのはピンと来ないでしょうから補足しておくと、東京ドームの1.5倍ほどの作付面積を所有する百姓だったということです。
富国強兵のための外貨獲得源であった養蚕業のメッカの信達地方は、極めて短期間で戊辰戦争後の復興がなされました。会津藩は1年近く藩士の亡骸を埋葬どころか移動すら許されず野ざらし。片や、コチラは2年くらいで復興し、更に銀行はどんどん建つ。
同じ福島県とは言っても、廃藩置県で1つになっただけで、会津とは全く状況が違いますね。
東北は全体的には明治政府に逆らった土地として冷遇されましたから、産業などのテコ入れがあまりされていませんでした。そのため貧困に喘ぐ農民や士族の子弟が身売り同然の年季奉公に出される。
雇用者側から見れば、安い労働力が安定供給されます。東北は、農業以外の自活手段が乏しいために、不利な条件の小作農を受け入れる者が多かったので、地主に有利だったという事も、以前紹介しました。
冷遇され続ける東北にあって、ごく限られた土地だけが富国強兵の国是国策に乗って重点的に厚遇を与えられていれば、安い労働力を獲得しながら、高く買ってもらえる生産物を作れるんですね。
更に、安く獲得した労働者が年季明けには遊郭へ。それも管理して、しっかり利益を上げる。そういう事が可能な時代だったんですね。
で、そんな素晴らしい追い風に乗っていたのが当時の瀬戸家ではないのですか? 不遇に晒された会津藩を引き合いに出して、自分は東北人の苦しみを理解する代表者だというようなエントリーを立てる瀬戸弘幸さんの神経が私には理解出来ません。
他方、瀬戸孝一さんは、世間の批評に晒されるリスクは十分予想したでしょうに、瀬戸家が歩んできた歴史の一端を正直に書き綴っておられます。
自分たちの過去と向き合うことは、なかなか大変な作業です。これには一定の評価をしなければならないと思います。
瀬戸弘幸さんも、そろそろ貯めに貯めた宿題と向き合った方が良い頃合いではないでしょうか?
24 コメント:
今イザベラ・バードの「日本紀行」を読んでいますが、たまたまこの地方の養蚕農家のことが載っています。
ああ当時はこういう雰囲気だったんだなぁと、このブログと対比しながら興味深く読んでます。
>瀬戸弘幸さんも、そろそろ貯めに貯めた宿題と向き合った方が良い頃合いではないでしょうか?
現職警官の内部告発者の件も,うやむやにしたいみたいですし,
正式に刑事告訴すると言っていた「偽ウンコ事件」の報告もありません
瀬戸さんの場合,宿題と向き合うのではなく,次々と新たな宿題を出されている状態ですよね
「ドラマや映画」のイメージだけを根拠に
ヘンテコな推理を発表したところで裁判で認められるわけがないでしょ
とコメントしたところ,2009年11月13日 <活動報告>西村修平VS千葉英司(2)
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52374471.html
のコメント欄も閉鎖されてしまいましたね
http://s02.megalodon.jp/2009-1118-0901-02/blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52374471.html
=================================
>退き時を知らない人って、ほんと可哀想だねぇ。
>
>Posted by 暇な仔猫。 at 2009年11月16日 03:44
そのセリフは,
「現職警官の内部告発者がいる」なんて言っちゃって
http://pullman.blog117.fc2.com/blog-entry-123.html
引っ込みがつかなくなって,いまだに
「ウソつきました」とも「ガセネタ掴まされました」とも言えずにいる
瀬戸さんに言ってあげて下さいよ
ちなみに,「偽ウンコ事件」については
shinok30は,
(猫さんのように)「西村さんの自作自演」と決めつけることはしていません
もちろん,「全てが自作自演」という可能性はかなりあるのですが,
最初から悪意に満ちた,うがった見方をして,
瀬戸さんや西村さんの更生の芽を摘むようなことはしたくありませんからね
shinok30の立場は,とりあえず,
「ベランダにウンコのようなものがあった」という点は認めましょう
しかし,仮にそこまでは認めたとしても,
その「ウンコのような」がハクビシンなどの動物の糞である可能性は否定できないでしょ
というものです
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081118/1227019426
このshinok30の疑問に答えるためにも
瀬戸さんが持ち込むと言っていた「検査機関」の結果を明らかにする必要があるんですよ
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:56
昨年も同じ事を言いましたけど,
瀬戸さんたちの「偽ウンコ認定」には説得力はなく,
糞分析の専門家としての天皇陛下に対する敬意の欠片も感じませんね
>>天皇陛下が国民を代表なされて、自然の恵みに感謝して神にお祈りを捧げる日でもあります
>
>陛下はタヌキの糞を分析して季節変動を報告していらっしゃいますが,
>瀬戸さんの「偽うんこ」認定を知ったらどういう感想を述べられるでしょうかね?
>
>>shinok30 11 月 19th, 2008 at 6:22 am
>>
>>ちなみに,最近発表されたタヌキの糞分析の研究は陛下御自身も担当されています
>>タヌキの糞の中にも季節によっては「カキの種子」はかなりの割合で含まれますが,
>>「カキの種がたくさん入っていたから糞のイミテーション」なんて言ったら,
>>動物学者である陛下にも笑われますね
>>
>>>皇居におけるタヌキの食性とその季節変動
>>>平成20年6月23日付で発行された国立科学博物館研究報告A類(動物学)34巻2号
>>>(Bulletin of the National Museum of Nature and Science, Series A(Zoology),34(2))
>>>に,論文「皇居におけるタヌキの食性とその季節変動」が掲載されました。
>>>
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:56
>>>本論文は,宮内庁管理部庭園課と国立科学博物館動物研究部が共同で実施してきた
>>>皇居のタヌキの生態に関する調査結果に基づき,特に糞の分析を中心にタヌキの
>>>食性とその季節変動についてとりまとめたものですが,天皇陛下も共著者に
>>>なられています。<他の共著者は,酒向貴子(宮内庁庭園課),川田伸一郎
>>>(国立科学博物館),手塚牧人(フィールドワークオフィス),上杉哲郎(宮内庁庭園課)
>>http://www.kunaicho.go.jp/ronbun/ronbun-4.html
>http://www.pot.co.jp/matsukuro/%e3%81%8a%e9%83%a8%e5%b1%8b1703%e5%a4%a7%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%8f%b3%e7%bf%bc%e3%81%af%e3%81%93%e3%81%86%e7%99%ba%e6%83%b3%e3%81%99%e3%82%8b.html
>Posted by shinok30 at 2008年11月23日 09:11
>
>
>>どうしても、狸の糞にしたい奴がいるが、二つの形状の違いと、
>>同じ箇所に関しての説明はなしか?
>>Posted by 形状の違い at 2008年11月23日 09:48
>
>形の異なる糞があったことも,同じ場所で連続して糞が見つかったことも
>「動物の糞である可能性」を排除しませんよ
>糞は動物の生態と餌の種類を推測する材料になりますし,
>このことはすでに説明していますよ
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:57
>
>>shinok30
>>
>>天皇陛下に失礼な事をいうな、糞韓!
>>Posted by 憂国者@本人 at 2008年11月23日 10:35
>
>自分の家の庭のタヌキの糞の中身を年間を通して分析し続けたのが陛下です
>自分の家のベランダに2日続けて糞があっただけで「創価の脅しだ」と恐れて
>警察を呼んだ西村さんとは大違いですね
>
>というか,専門家の鑑定を待たずに匂いを嗅いだだけで「偽物だ」と断定してしまった
>瀬戸さんや西村さんの言動の方が
>野生動物の糞分析についても専門家である陛下に対して失礼だと思いますよ
>Posted by shinok30 at 2008年11月23日 16:39
http://s04.megalodon.jp/2008-1129-0446-58/blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52096508.html
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:57
[2009年11月14日 06:23][06:24]のカキコで紹介した
「警察犬の臭気選別で陽性と出ただけで犯人と決めつけて
『偽計による自白』させたため,無罪となった判例」の
事件番号は「昭和60年(合わ)第182号」で,
東京地方裁判所の昭和62年12月16日の判決
(【裁判官】高麗邦彦,反町宏,平木正洋)で確定しています
『刑事訴訟法判例百選 (別冊ジュリスト (No.174))』のp.164-165に詳しい解説がありますね
また,同じ本のp.158-159では
「警察犬による臭気選別」の証拠能力について
「条件付き肯定説」と「全面否定説」の間で対立があることが解説されていますよ
>1 警察犬による臭気選別は,概ね,上記<事実の概要>にあるような手順で検査を行い(詳細
>は,警察庁「警察による物品選別実施要領」[臭気選別事件弁護団編著・臭気選別と刑事裁判
>(2002)93項以下に所収]),そこでの犬の選択行動を通じて,原臭と対照臭との同一性を,
>ひいては,被告人等と犯人との同一性を証明しようとするものであり,その原理は,他の
>いわゆる科学的証拠(指紋,DNA,筆跡,声紋,足跡等の鑑定)のそれと異ならない。
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:58
>ところが,これらにおいて問題なく存在するいくつかの重要な「保障」が,臭気選別には欠けて
>いる。すなわち,臭気選別においては,まず,臭気の一致が人物の同一性を保障することの証拠
>が乏しい。また,選別の対象とされる臭気は,可視的でもなければ数値化もできず,選別が
>行われているときに,その臭気が事実そこに存在しているのかさえ,厳密には確認できない。
>これに加えて,選別に際して,犬が,人間が望んでいるとおり,原臭と対照臭との同一性を判断
>してくれているのかも定かではない(木谷明「いわゆる臭気鑑別書の証拠能力」判タ 546号37項
>以下)。
>このように,臭気選別は,臭気の存否や,犬の選別行動の基準等,証拠価値の根幹に関わる要素
>について,客観的な事実に依拠することが困難な証拠方法である。このため,これにどの程度の
>証拠価値を認めるべきかをめぐって,まず弁護人によって主張され,また学説上も一定の支持を
>得た全面否定説(臭気選別の証拠能力を一切否定する)と,下級審判例が採り,また学説上も
>広い支持を得た条件付き肯定説(一定の条件の下で,証拠能力,証明力を肯定する)とが激しく
>対立していた。
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:58
>
>このような状況の中,全面否定説の視線は,犬が本当に臭気の同一性を基準として選別を行って
>いるのかという,根本的な疑問に改めて向けられるようになった。そして,最近になって,この
>疑問は,「濃度コントラスト論」,および,「クレバー・ハンス現象」という具体的な仮説を
>伴って主張されるに至っている(抽象的な主張としては,岐阜地判昭和54・2・8判時936号138項
>や,本件の上告趣意においてすでに見られる)。
>3 「濃度コントラスト論」は,犬が,臭気の同一性ではなく,濃度の違いを手がかりとして
>選別を行っているとする仮説であり,「クレバー・ハンス現象」は,犬が,指導手等,周囲の
>人間の意識的・無意識的な動作等から,自らに選別が期待されている臭気を判断して選別を
>行っているとする仮説である(詳細は,後掲の京都地判,大阪高判等参照)。これに関連して,
>最近,興味深い判例が現れた。事案は,時限発火装置を用いた寺院放火等事件であり,捜査段階
>において,被告人が犯人であることを示唆するほぼ完璧な臭気選別結果が得られていた(これが
>事実上,唯一の証拠であった)。
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 08:59
>1審判決(京都地判平成10・10・22判時1685号126項)は,警察犬の能力や臭気の存在に対する
>疑問を提起するとともに,弁護人が主張するクレバー・ハンス現象の指摘や濃度コントラスト論
>にも一定の理解を示し,上記のような完璧な選別結果はむしろ不自然であり,犬が臭気の同一性
>を基準に選別を行ったのか疑問であり,捜査官等の作為的操作があった可能性さえ否定できない
>として臭気選別結果の証明力を低く評価し,被告人を無罪とした。これに対して検察官が控訴
>したところ,控訴審裁判所は,同じ犬および指導手を用いて,対照臭と誘惑臭の濃度差を排除
>し,また,原臭を1回ごとに取り替えるなど,犬が,原臭と対照臭との同定を事実行っている
>のでなければ選別が不可能になると考えられるような条件を慎重に設定した上で選別実験を
>行った。すると,犬は,ほとんど選別ができなくなってしまったのである。この結果を受けて,
>控訴審判決(大阪高判平成13・9・28[掲載誌不明。TKC法律情報データベースで取得]は,犬が,
>原臭と対照臭との同一性を判断しているのではなく,選択肢の中でひとつだけ性質が異なる臭気
>を選択し,結果的に対照臭を持来していたに過ぎない疑いがある等として,臭気選別結果の
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 09:00
>「信用性が高いとはいえず,……被告人の犯人性の根拠とすることはできない」と結論づけ,
>控訴を棄却した。
(p.158-159,刑事訴訟法判例百選 (別冊ジュリスト (No.174)),2005/03,有斐閣)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4641114749
現状では,警察犬の臭気選別に一定の証拠的価値を認めるとしても,
それはあくまでも「条件付き」の「限定的」なもので,
警察犬の臭覚を絶対的に信用したものではありません
足跡追跡についても同様で,千葉さんの
「そのように臭いを辿れない警察犬もいます」
というのが現実なのでしょう
>マスク効果
http://kunren.a-thera.jp/category/39003-1.html
> 警視庁鑑識科の鑑識犬
>
>この警察犬達は、匂いの訓練専門です。
>足跡追求
>犯人の残した臭気を、追う犬
>現状のアスファルトだと、匂いが残りずらく追求が難しいです。
>臭気選別
>多数の物品の中から、犯人の残留物品を、嗅ぎ分ける。
>裁判の時に、臭気の説明が難しい。
http://www.kagurasow.com/shurui.htm
瀬戸さんのように,「映画やドラマ」だけの印象で
「警察犬は足跡を辿ることが出来なかった」というネガティブな結果を
「裸足で歩いてきたのではないから臭いをたどれなかった」根拠とするというのは
裁判では認められないでしょうね
Posted by shinok30 at 2009年11月18日 09:00
>匿名さん
コメントありがとうございます。
イザベラ・バードの「日本紀行」、遅ればせながら私も読み始めました。
養蚕農家の話もですが、情死についての話などもかなり興味深いですね。
小泉八雲も、日本人の情死などについて紹介していますが、概ね同様の見解を示しているようです。
貧困、飢餓、身売り、情死、間引き、暗いテーマですが、機会を設けて少し触れておこうと思っています。
>shinok30さん
瀬戸弘行さんの迷走、支持者の方々は誰も止めないんですね。
残ってる人も限られているようですが…
粘り強く、何がおかしいのか懇切丁寧に説明して差し上げるしかないのでしょうね。
> ワールドワイドウェブ さん
> 瀬戸弘行さんの迷走、支持者の方々は誰も止めないんですね。
とても難しいことだと思います。
私が師事した先生は事毎に、「私に悪いところがあれば何でも言いなさい」と仰っていましたが、進言をすると怒りました・・・・(笑)
その辺りが、人としての度量なのでしょう。(自分には見ない振りします。)
>ワールドワイドウェブ さんのコメント...
>
>瀬戸弘行さんの迷走、支持者の方々は誰も止めないんですね。
>
>粘り強く、何がおかしいのか懇切丁寧に説明して差し上げるしかないのでしょうね。
>2009/11/20 7:55
警察犬による足跡追求については
『別冊判例タイムズ No.12』でも触れられていて,
「足跡追求」の場合,足跡追求によって発見された犯人等を
犬の臭覚判断以外の根拠によって証拠化することができるので,
臭覚による判断そのものを証拠とするわけではないのに対して,
臭気選別の場合,犬の臭覚による判断そのものを証拠とするので
(「別冊ジュリスト (No.174)」で議論されているような)
様々な問題があると記されています
つまり,証拠となりえるのは「犯人等が発見された場合だけ」で,
発見できなかった場合は何も言えないということですから,
「足跡追求ができないこと」をもって何かの根拠としようとする
瀬戸さんの議論は最初から成立していないということなんですよね
>1,問題の所在
> 警察犬を捜査に利用する形態としては、(1)足跡追求、(2)物品発見、
>(3)臭気選別の三種類がある。このうち(1)、(2)については、犬が直接、
>目的の犯人や物品を発見すれば、あえて警察犬の臭覚による判断でその
>ものを証拠化する必要はないのに対し、(3)においては、現場遺留品に
>付着した体臭と検挙被疑者の体臭が同一であることを犬の臭気選別に
>よって証明し、その結果、被疑者が真犯人であるということを立証しよう
>とするものである以上、犬の臭覚による当該物品の選別がどれほど信頼を
>置けるものであるかが問題となってくる。
(p.76-78, 警察犬による臭気選別.和田昭夫.
『別冊判例タイムズ No.12』警察実務判例解説(取調べ・証拠篇))
http://www.fujisan.co.jp/Product/1281683539/b/289097/?ncp=1
http://www.hanta.co.jp/hanta/bessatsu12.htm
>富国強兵のための外貨獲得源であった養蚕業のメッカの信達地方は、極めて
>短期間で戊辰戦争後の復興がなされました。会津藩は1年近く藩士の亡骸を
>埋葬どころか移動すら許されず野ざらし。片や、コチラは2年くらいで復興
>し、更に銀行はどんどん建つ。
>
>同じ福島県とは言っても、廃藩置県で1つになっただけで、会津とは全く
>状況が違いますね。
瀬戸さんは小針暦二さんの使途不明金問題を糾弾した著書の中で
「福島県は産業資本がない」と書いてますね
>織田大蔵,飛鳥定城(福島民報社会長),小針暦二,この三人は福島が生ん
>だ特異な人物であろう。範囲をもっと広げるとロッキードの超大物,児玉誉
>士夫もいるが,それは例外として,この三人は福島の気候風土,福島の土壌
>でなければ大成しなかった人物である。織田,小針は福島の生まれ,飛鳥は
>津軽の生まれだが,気の大きい小さいは別として,極めて酷似したところが
>ある。織田は小学校卒,小針は安積中学中退,飛鳥は東大卒で,その教養は
>それぞれ違うが,本質は全く同じといってよい。第一点は血族のほかは信用
>せず,織田大蔵に至ってはその血でさえも,拒否するところをもっていた。
>第二点は,拝金主義の固まりであり,すべての法律,すべてのしくみは,自
>らの財をふやすために利用するものと徹していた。第三点は,他人は絶対に
>信用せず,部下は全て使い捨て。従って,終世の友人は皆無であった。第四
>点は,自らはカリスマであり,世界中で自分が一番偉いものと確信。飛鳥,
>小針が権力に迎合したり,織田が権力に抵抗したりしたのも,裏をかえせば
>互いにそれを利用して,地域社会にカリスマぶりを見せる表現の違いに過ぎ
>なかった。
>こうした人物の排出を許した福島県の背景は,まずその経済風土によるもの
>が最も大きな原因であろう。
>福島県には,まず,産業資本がない。明治以来,東京,大阪で成功した財界
>人はいるが,福島の風土をバックにし,その中から培って登場した産業資本
>が育たなかったのである。この原因は,種々あるだろうが,徳川幕府以来の
>東北経営と維新後のめぐりあわせによるものだろう。つまり,幕府が仙台の
>伊達藩を仮想敵国とした場合,福島県には大藩を置かずに小藩を分立させ,
>その間に天領を織り交ぜて分断,合併を繰返し,さらに会津に親藩を置いて
>監視対策をとったわけだが,維新の際,その会津藩が朝敵となり,東北全体
>が薩長人の蹂りんするところとなった。以後,原敬をはじめ,東北から名宰
>相があらわれたものの,基礎がなく,せまい地域社会だけで逼塞してきた福
>島県に産業が発達するわけはない。産業といっても蚕業が中心で,郡山が昭
>和に入ってから工都の名乗りをあげたが,その大部分は,日東紡を中心とす
>る製糸業であった。従って,福島には,商業資本,金融資本しか育たなかっ
>たといって良い。
(p.41-43,使途不明金. せと弘幸. 自由公論社. 1984/01)
http://www.amazon.co.jp/dp/4905587840
一方,瀬戸さんの著書でも紹介されている,織田大蔵さんによると,
「東北の実業家は信州の実業家に比べて政治にばかり気がいっててダメだ」
ということだそうですが……
> どうも東北の実業家というのは小理屈ばかり知っていて、商売のことと
>なると、サッパリわかっていないのが多いナ。だから東北からは政治家とか
>軍人の偉い人は出ても、大実業家は出ない。
> 戦前の話だが東北には製糸工場がたくさんあった。福島県なども数の点
>では多い方だった。
> あるとき全国の製糸工場の社長達が集まって会議を開いた。
>東北の社長たちは、政治問題になると、ギャアギャア騒ぐのだが、こと商売
>の話になるとチンプンカンプン。何も分かっていないから、すべて支配人や
>随行員にまかせて発言しない。
> そこへいくと、信州の社長達は、政治の話のときは黙って聞いているが、
>商売の話になると真剣に討議をする。
> しかもその服装たるや、いかにも信州商人らしく着物をきて、前掛けを
>しめている。これに対し、東北の社長達は、洋服にネクタイをしめて、胸に
>金側の時計などをぶらさげて、いかにも大実業家のような格好をしている。
> その心構えがすでに服装にあらわれている。実業家は、信州商人のように、
>服装も地味に、商売のことだけを語るようにしないと大成しない。
> 政治の話にうつつをぬかし、本業の商売は部下まかせ。こんなことでは、
>信州商人にくわれてしまうのはあたりまえだ。
> だからオレは、この話を聞いたときに、ああこれではやがて、東北の
>製糸工場はつぶれるぞと予言した。当時としては、だれもこのことを信用
>しなかった。また大蔵のホラ吹きがはじまったぐらいにしか受けとめて
>もらえなかった。結果はどうだ。ごらんの通り、地元資本の工場は全部
>つぶれるか、信州財閥に吸収されてしまった。
(p.56-57, 前だれ精神に徹せよ. 大物になる本―見栄も外聞も捨ててこそ.
三笠書房.1984/10)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/483790016X
>以前のエントリーで紹介した石倉造りの建物などが並んでいる瀬上町遊郭は、
>明治三十五年に移転したもので、瀬戸家は移転時に遊郭からは手を引いた
瀬上町は遊郭の町として有名で,織田大蔵さんもおおいに遊んだそうですね
>オレの学歴は、瀬上遊蕩女学校卒業ということになるかナ。福島市のはずれ
>の瀬上町は、むかし遊郭の町としてにぎわった。オレはこの女たちと遊んで、
>大いに修行した。 ここは公立(?)ではあったが、卒業証書などは
>くれなかったから、正式な学歴にはならぬナ。アハハ……
(p.220-221, 勲章はクツべらのアクセサリー.大物になる本.三笠書房.1984/10)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/483790016X
この織田大蔵さんと,(瀬戸さんが糾弾した)小針暦二さんの関係なのですが,
瀬戸さんの著書「使途不明金」にもあるように,
福島電気鉄道(1962年(昭和37年)7月に福島交通に社名変更)
http://www.fukushima-koutu.co.jp/x/modules/TinyD4/index.php?id=21
は,労使紛争が長期化したことから,
1968年(昭和43年)頃には織田一族から小針一族へと経営の実権が移ったようですね
>1967年 11月8日 - ★福島交通社長織田大蔵、450人解雇
>12月6日
>★福島地裁が福島交通に対し解雇者24人分の給料支払の強制執行 毎日671206
>1968年 2月5日 福島県 ★福島交通織田大蔵退任、小針暦ニが社長就任 日経680204
http://web2.nazca.co.jp/zz1564/page262.html
>福島交通(株)
>会社更生開始申立
>
>福島交通は明治40年8月創業のバス事業会社。戦後より織田大蔵氏が経営
>を担ってきたが、昭和47年から労使紛争が長期化したことから、小針暦二
>氏が代表に就任。61年には使途不明金問題が発生したため、行政当局指導の
>もと、61年7月に新会社として設立。平成9年12月には小針一族から
>経営を分離し、現在の体制を確立した。
http://www.tsr-net.co.jp/new/sokuho/1178116_717.html
http://f.hatena.ne.jp/shinok30/20091206201538
=================================
事件番号:昭和40年(ホ)第162号
事件名 :緊急命令不履行事件
裁判所 :福島地方裁判所
判決日 : 昭和40年12月16日 (1965-12-16)
判示事項:
1、団体交渉を命ずる緊急命令に基づく団体交渉に際し、組合側が当該命令に示された交渉事項以外の事項をも交渉の対象とすることを要求した場合における団体交渉拒否の正当性
2、緊急命令に従って開始された団体交渉において組合側が右緊急命令に示された交渉事項以外の事項についても交渉を要求したところ、会社側がこれを拒否し、緊急命令に示された交渉事項についての会社側の見解を一方的に通告して退場したことが団体交渉の拒否に当たり緊急命令の不履行であるとして、金30万円の過料に処した事例
判決要旨:
1、使用者の団交応諾義務は、それを命ずる緊急命令で始めて生ずるものではなく、労働組合法第7条第2号は、使用者に団交応諾義務があることを一般的に明示しているのであるから、緊急命令に基づく団体交渉の機会に当該命令に示された交渉事項以外の事項をも団体交渉の対象となしうることは当然であって、使用者は正当な理由なしにはこれを拒むことはできない。
掲載文献:
労働関係民事裁判例集16巻6号1136頁
主 文
被審人を過料三〇万円に処する。
手続費用は、被審人の負担とする。
理 由
被審人は、福島県下においてバス交通事業を営む株式会社であるところ、その従業員をもつて組織された福島交通労働組合は、被審人を相手方として福島県地方労働委員会に対し不当労働行為救済の申立をなしたが、同委員会は、右救済申立事件(同委員会昭和四〇年(不)第四、六、七号事件)につき、昭和四〇年一〇月二六日付で「被申立人(本件被審人をいう。)は、すみやかに申立人組合(福島交通労働組合をいう。)と、申立人組合が被申立人に対し昭和四〇年八月二〇日付をもつてなした支部役員、組合活動家に対する昇格配転撤回申入及び同日付をもつてなした組合費の賃金からの控除廃止に対する異議申立につき、団体交渉を開始しなければならない。」旨の命令主文を含む救済命令を発した。そこで、被審人は、福島地方裁判所に対し、右命令の取消を求める行政訴訟(昭和四〇年(行ウ)第六号事件)を提起したが、これに対し前記労働委員会は、同地方裁判所に対し労働組合法第二七条第八項に基づく緊急命令を求める申立をなし、同裁判所は、同年一一月二九日「被申立人(本件被審人をいう。)は、当裁判所昭和四〇年(行ウ)第六号不当労働行為救済命令取消請求事件の判決確定に至るまで、申立人(福島県地方労働委員会をいう。)が昭和四〇年一〇月二六日被申立人に対してなした命令につき次の限度で従わなければならない。被申立人は、すみやかに申立外福島交通労働組合が被申立人に対し昭和四〇年八月二〇日付で申し立てた組合費の賃金からの控除廃止に対する異議につき団体交渉を開始すること」なる旨の決定をなし、この決定は、同日被審人に送達された。
この決定に従い、翌三〇日午后五時一〇分から福島交通株式会社本社三階会議室において、被審人側から専務取締役織田鉄蔵、近藤、長沢、山本、亀岡各部長ほか六名が、福島交通労働組合(以下「組合」という。)側から福沢中央執行委員長、橋本、相山副委員長、渡辺書記長、・小柳書記次長、国分中央執行委員ほか六名がそれぞれ交渉委員として出席し、団体交渉が開始された。この席上、組合側から「本日の団体交渉は、裁判所の緊急命令による、いわゆるチエツク・オフの問題に限らず、現在労使間に山積している諸問題をも併せて交渉事項とすべきである一旨の主張がなされたが、被審人側は、「裁判所の緊急命令によるチエツク・オフの問題だけの話し合いに止めたい」との態度を終始固執して譲らず、四十数分に亘り両者間に平行線を辿つて応酬がくりかえされるうち突然、被審人側織田専務取締役が「チエツク・オフについて会社の態度を組合に通告する」と前置きして長沢勤労部長をして裁判所の緊急命令主文を朗読させたうえ、「組合では、会社の諸規程を守らないといつてきているから、このように会社を破壊するような活動をする労働組合のためのチエツク・オフはしない」旨述べた。そして被審人側交渉委員は、直ちに一斉退場した。
ところで、従来労使間に承認され、実行されてきたいわゆるチエツク・オフの制度は、被審人と組合間の労働協約第三五条に根拠をもつものであるが、被審人会社代表取締役織田大蔵は、昭和四〇年八月一七日団体交渉の席上で一方的にその廃止を通告したので、組合側は、同月二〇日以降この問題の解決について数次に亘り団体交渉を申し入れたにもかかわらず、被審人は頑としてこれを拒否してきた。しかして、被審人のなしたチエツク・オフの一方的な廃止通告は、労働協約の事実上の改廃にすぎないものであつて、法律上何らの効力を生じない無効のものであることは明らかである。したがつて、チエツク・オフに関する団体交渉においては、その結果、存続、廃止いずれの帰結をみるにせよ、被審人としては協約違反状態のすみやかな是正を求めて団体交渉を誠意をもつて進めることが要求されるのであつて、組合側との間に合意が成立するように努力を重ねることが、今次団体交渉の本旨であるといわなければならない。しかるに、団体交渉の対象たるチエツク・オフの問題につき、あくまで使用者の一方的決定権を固執し、誠意をもつて団体交渉を進めようとせず、単に団体交渉の形式を履践したにすぎない被審人の態度は、まさに団体交渉の拒否とみるべきであるから、結局、緊急命令は、いまだその本旨に従う履行がなされていないものである。
以上の事実(当裁判所の判断部分を除く。)は、証人長沢正夫、同渡辺国衛の各証言のほか、一件記録により充分に認められる。
なお、本件において問題となるのは、組合が緊急命令に示されていない現在労使間に山積する諸問題についても併せて今次団体交渉の対象とするよう被審人側につよく要求し、その主張を譲らなかつたことが被審人側の団交拒否を正当化するかどうかである。しかしながら被審人の団体交渉に応ずる義務は、本件緊急命令をまつて始めて生ずるものではなく、労働組合法第七条第二号は、「使用者が雇用する労働者と団体交渉することを正当な理由がなくて拒むこと」をもつて不当労働行為とし、使用者に団体交渉に応ずる義務があることを一般的に明示しているのであるから、緊急命令に基づく団体交渉の機会に当該命令に示された交渉事項以外の事項を団体交渉の対象とすることは、当然にこれをなしうるものであり、使用者たる被審人はこの義務を正当な理由なくて拒みえないこと多言を要しない。そして、団体交渉を命ずる緊急命令は、当該命令に示された交渉事項につき使用者が団体交渉に応じないときは、それが法律上不当労働行為としての評価並びに不利益を受けるほか、進んで命令違反として労働組合法第三二条により過料の制裁が加えられることによりその義務が間接的に強制されるということであつて、緊急命令に示された交渉事項以外の事項につき団体交渉をなすべきことを免除し、ないしはその回避を正当化するものでないことはいうまでもないところである。
よつて、当裁判所は、本件にあらわれた一切の事情を考慮したうえ、労働組合法第三二条所定の過料額の範囲内で被審人を過料三〇万円に処するを相当と認め、非訟事件手続法第二〇七条により主文のように決定する。
(裁判官 橋本享典)
>少し話がわき道に逸れますが、敷設ルートについて強く意見が言えそうな
>方々同士が、結構仲良しですよね。瀬戸孝一県議は、建設族議員の天野
>光春さんが政治家を志す前から親交があったと自伝に書かれています。
瀬戸孝一さんの自伝「ごんけやん」を読んでいないので
その中に書かれているかどうか知らないのですが,
「福島交通」の実権が織田大蔵,正吉親子から小針一族に移る前に,
「月刊福島評論」や「日刊おさらぎ新聞」が,
織田親子らの名誉を毀損する記事を掲載した際には,
「徹底的に取り締って貰いたい」と
瀬戸孝一さんは県議会で県警察本部長に対して要望したようです
その結果,名誉毀損罪をとわれたことを恨みに思った「日刊おさらぎ新聞」に
その後,「女性関係の噂」を掲載されています
しかし,これに対しても名誉毀損罪と公職選挙法違反が成立していますね
http://f.hatena.ne.jp/shinok30/20091119152204
=================================
事件番号:昭和39年(う)第155号
事件名 :名誉毀損、公職選挙法違反
裁判所 :仙台高等裁判所
判決日 : 昭和40年4月9日 (1965-04-09)
判示事項:
1 名誉毀損罪の成立を認めた事例
2 候補者に関し虚偽の事項を新聞に掲載して頒布する行為と公職選挙法第225条第2号の選挙の自由妨害罪の成否
被引用判例: (この判例を引用している判例一覧)
最高裁判所第1小法廷 昭和44年2月6日 名誉毀損、公職選挙法違反被告事件
参照条文:
刑法230条-1
公職選挙法225条
公職選挙法235条
掲載文献:
下級裁判所刑事裁判例集7巻4号543頁
主 文
被告人の本件控訴を棄赳する。
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
但し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理 由
被告人の本件控訴趣意は、弁護人安田覚治、同毛利将行共同名義の控訴趣意書、検察官の本件控訴趣意は、福島地方検察庁次席検事菅原弘毅名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、いずれもこれを引用する。
弁護人の控訴趣意第一点および第二点の(一)(訴訟手続の法令違反および法令の解釈適用の誤り)について、
本件記録中の原審における弁護人の弁論要旨によれば、論旨の指摘する部分で、所論のように「本件は被告人が事実を真実と信ずるにつき相当の理由があり、又は真実と信ずることにつき過失のない場合に該当する」旨の主張をしているものであることは必ずしも明白とはいえない。しかし、該部分がかりに所論の主張を含むものとしても、右主張は、論旨で引用する各高等裁判所の判例と同一見解に立ち、これを前提とするものであるところ、昭和三四年五月七日最高裁判所第一小法廷の判決(集一三巻、五号、六四一頁)によれば、刑法二三〇条ノ二の「真実なることの証明ありたるときはこれを罰せず」というのは、いわゆる処罰阻却事由を規定したものと解され、そして同判決は、被告人について事実が真実であることの証明がなされない限り被告人はその刑責を免れることができないとしているのであつて、前記各高等裁判所の判例は、右最高裁判所の判決と抵触する限度で変更された趣旨と解せられる。原審も右最高裁判所の判決を引用し、これとまつたく同一の見解の下に、弁護人の主張に対する判断の項の第三で、所論のように説示しているのであつて、いやしくも被告人において真実の証明がなし得ないのであるから、かりに被告人が事実を真実と誤信し、しかもその誤信が相当な資料に基づくもので、過失がなかつたとしても故意を阻却し、または違法性を阻却するものではない。これを要するに、所論は原審と異なる見解に立つて原判決を論難するに帰するものというべく、当裁判所も原審の右見解を正当と認めるので、原判決にはこの点に関し、訴訟手続の法令違反、または法令の解釈、適用の誤りはいずれも認められない。論旨はすべて理由がない。
弁護人の控訴趣意第二点の(二)(法令の解釈、適用の誤り)について、
しかし、原判決は原判示第一の二の(ニ)の事実摘示部分のみが独立して名誉毀損罪の構成要件に該当するとしているのではなく、原判示第一の二の冒頭において、被告人が昭和三六年六月二日付の日刊おさらぎ新聞の第一面に「織田ゴマ蔵親子は電鉄から手を引け云々」と題し、以下(一)、(ニ)、(三)、(四)の各記事を執筆掲載してこれを頒布したことの全体をもつて一個の名誉毀損罪が成立するものとしていることは、原判決自体によつてまことに明らかである。したがつて、論旨が、右原判示の一部分のみを摘出して該部分の記載が毀損罪を構成するものでないかのように主張することはあたらないものといわなければならない。そして、原判示第一の二の全体をみれば優に織田大蔵の名誉を1損するものであることは言をまたない。原判決には所論のように刑法二三O条一項の解釈適用を誤つた違法は認められないので、論旨は理由がない。
検察官の控訴趣意第一の一(法令の解釈、適用の誤り)について、
原判決は、本件昭和三七年六月三〇日付起訴状記載第一の織田正吉および児玉貫一の名誉を毀損した旨の公訴事実に対し、原判示第二の一において、織田正吉に対する関係では、右公訴事実と同旨の認定をしたが、児玉貫一に対する関係では、自己の妻が他の男から情交を求められた旨の事実の公表は、その妻自身の名誉は別としてその夫そのものの名誉を害するものではないと解すべきであるとしこの点について犯罪の証明がないと判示している。これに対し論旨は、原判決は刑法二三〇条の解釈、適用を誤つたものであると主張するので、以下これを考察する。児玉貫一の名誉がはたして毀損されたものか否かが問題とされている原判示昭和三六年九月一七日付日刊おさらぎ新聞(証第三号)の記事の内容を検討すると、その第一面の右半面には、原判示第二の一のような見出しを掲げ、そして本文中には、福島電気鉄道株式会社の社長織田正吉が「同和興業からつれてきた幹部社員の妻くんをめざして、酒の力を借りて、貸せ、サセロと真よ中の午前零時すぎ、しかもカヤのなかに無断でモグリ込み、犬畜生にもおとる行為に出た。驚ろいたのは自動車局長という男、いくら社長でも俺の前で家内を自由にされては人間として生きちやいられないとあつて、死にものぐるいでカヤの中で正吉をつかまえ、別室に引出して冷や酒をコツプにつぎ、どうか真よ中のこととて、これにてお引き取り願いますとやつた、云々」とあり、さらに第一面の左半面にも、織田正吉が、同じ大学を卒業して同和興業につとめていた鈴木自動車局琵こと児玉貫一を、本人にぼれたのではなく、その妻君にほれ、将来専務にするという約束で福島電気鉄道株式会社に連れてきて、初代自動車局長にした。児玉は真よ中に訪ずれた織田正吉から、妻君を貸せ、サセロといわれ、同人が妻に手をかけたので、驚ろきあわてて正吉を別室に引き出し、平謝りに謝つて冷酒を出し、漸やく引き取つて貰つた旨の記事が掲載されていることが明らかである。右記事内容は、単に児玉貫一の面前で、その妻か上司から情交を求められた旨の事実を公表しただけに止まらす、児玉が周章狼狽して、上司に対し冷酒を出し、謝罪する何の理由もないのに平身低頭して謝り、引き取つて貰つた様子を興味本位に公表したもので、これにより児玉が人の物笑いの対象とされるような卑屈な人格の所有者である事実を摘示したものというべく、福島電気鉄道株式会社の自動車局長としての児玉貫一の社会的地位を害し、その名誉を毀損するに足るものであることはいうまでもない。原判決が前記のように児玉貫一自身の名誉はこれによつて毀損されたものとは認められないとし、この点に関し被告人は無罪であると判断したことは、結局刑法二三〇条一項の解釈適用を誤つたもので、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
検察官の控訴趣意第一の二の(一)、(ニ)(法令の解釈、適用の誤り、および事実誤認)について、
原判決は、本件昭和三八年五月二日付起訴状記載の瀬戸孝一の名誉を毀損し、選挙に関し不正の方法をもつて選挙の自由を妨害した旨の公訴事実に対し、原判示第五において、右名誉毀損については公訴事実と同旨の認定をしたが、選挙の自由妨害については被告人の所為は公職選挙法二二五条二号の「不正の方法」ということはできないとし、さらに、昭和三九年二月一三日付訴因、罰条の追加請求書による右公職選挙法違反の予備的訴因についても、被告人に犯意がなかつたものとし、この点につきいずれも犯罪の証明がないと判示している。これに対し論旨は、原判決は、右本位的訴因については、同法二二五条二号の解釈、適用を誤つたものであり、右予備的訴因については、事実の誤認がある旨主張するので、以下順次これを検討する。
(一) まず本位的訴因につき、原判決が、公職選挙法二二 条二号の規定は、選挙人が自己の良心に従つてその適当と認める候補者に対して投票する自由と議員候補者およびその運動員 がその当選を図るために法令の範囲内で行う選挙運動の自由とを保護している規定であることからして、同号の「不正の方法」は無限定のものではなく、右の選挙の自由に直接影響を与えるような形態の不正の方法に限るものと解すべきであるとし、本件のように、候補者に関する、同人に不利 な虚偽の事項を新聞に掲載して領布することは、選挙人をしてその公正な判断を誤らせる原因を作出することがあつても、選挙の自由に直接影響を与えるものではないから、同法条二号の「不正の方法」ということはできないとしているのであつて、原判決の右見解は正当と認められる。もし、かりに所論のように、同条二号の「不正の方法」とは、いやしくも広く公の秩序、善良の風俗に反する一切の方法をいうもので、本件のような候補者に関して虚偽の事項を新聞に掲載して領布することも含むものと解するなら、右二二五条の規定のほかに、同法二三五条のいわゆる虚偽事項の公表罪のような特別の規定を設ける実益は失なわれるものというべく、右両者の刑を対照してみるなら、後者の虚偽事項の公表罪の刑は、前者の選挙の自由妨害罪のそれよりはるかに軽いのである。すなわち、両者はいずれも選挙の自由と公正を確保するための規定であることに変りはないが、一は直接に選挙の自由を妨害する行為を排除し、他は選挙人をして公正な判断を誤らせる原因を作出する行為を排除するために設けられた規定と解せられる。以上の次第で、原判決はこの点に関し、所論のような法令の解釈、適用の誤りは認められないので、論旨は採用の限りでない。
(ニ) つぎに、予備的訴因の点につき、原判決は、公職選挙法二三五条二号に該当する外形的事実を認定しながら、被告人において公にした事実が虚偽であることの認識を欠く旨判断しているのであるが、記録、ことに被告人の司法警察員に対する昭和三八年四月一二日付、同月一七日付各供述調書、ならびに検察官に対する同月一九日付、同月二二日付、同月二七日付各供述調書によれば、被告人が瀬戸孝一に関する記事を、被告人の編集し、発行にかかる「日刊おさらぎ新聞」に掲載した経緯は、被告人が昭和三七年六月二〇日織田大蔵、織田正吉等に対する本件の名誉毀損罪で身柄を拘束された頃、当時福島県議会議員瀬戸孝一が県議会で、被告人のような男は徹底的に取り締つて貰いたい旨県警察本部長に対し要望したことを、保釈になつてから聞知したので、被告人は瀬戸議員に対し恨みを抱き、いつか瀬戸議員に関し不利益となるような記事を書いてやろうとその機会を狙つていた。ところが、昭和三八年四月一七日施行の福島県議会議員選挙に瀬戸孝一が立候補したので、今こそ報復する絶好の機会とばかりに、瀬戸に関し不利益な材料なら何でも記事にしておさらぎ新聞に掲載し、同人の得票を減らし、選挙を不利にしようと考えていた矢先、たまたま瀬戸に対する女性関係の噂を耳にしたので、その真偽のほどを確かめもせずに、同年四月九日付および一一日付のおさらぎ新聞に、原判示第五のような記事を執筆掲載して頒布したものである。そして、被告人が検察官の取り調べに対して認めているように、被告人に対し瀬戸の右女性関係の噂を提供した者は、本田栄一と阿部強の両名で、本田の話は高橋からきいたというのであるが、具体的なものではなく、しかも高橋はでたらめをいう信用のできない男だというのであり、阿部強の話も、これまた具体的なものではなく、同人も信用できない男だというのである。のみならず、記事内容については、瀬戸氏の武勇伝とか、慰藉料の点も、女性の年令や、選挙用自動車中のできごとも、告訴云云の点も、すべて被告人の作り出したものであるというのであるから、被告人において、執筆したおさらぎ新聞の該記事内容が虚偽の事項であることの認識は十分にこれを有していたものといわなければならない。もつとも、被告人は原審公判廷でこれを否定する趣旨の供述をするが、右各供述調書の供述に照らしてとうてい信用できない。してみれば、原判決が、被告人において公にした事実が虚偽であることの認識を欠くので、被告人は前記予備的訴因について犯意を有しなかつたものと認定したことは事実の認定を誤つたものというべく、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点における原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
ところで、原判決は、前記児玉貫一に対する名誉毀損罪と一所為数法の関係に立つ原判示第二の一の織田正吉に対する名誉毀損罪、ならびに前記公職選挙法二三五条二号違反の罪と一所為数法の関係に立つ原判示第五の瀬戸孝一に対する名誉毀損罪とその余の原判示の各罪とがすべて併合罪の関係にあるものとして併合加重をし、一個の刑をもつて処断しているので、結局原判決はそのすべてについて破棄すべきものである。
なお、弁護人の控訴趣意第三点の量刑不当の主張は、後記自判の際その理由のないことが示されるし、また、検察官の控訴趣意第二の量刑不当の主張についても、後記自判の際自ら示されるので、その判断を省略する。よつて、被告人の控訴については、刑訴法三九六条によりこれを棄却し、検察官の控訴については、同法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所においてさらにつぎのとおり判決する。
(当裁判所の認定した罪となるべき事実)
原判示第二の一の事実を全部削り、これに代えて、
同三六年九月一七日付の同紙第一面に「正気のサタではない汚田の正吉、この親にしてこの子あり、日本一の孝行息子、犬畜生にもおとる汚田ダニ蔵親子のちん事件、真夜中無断で社員の妻君のカヤの中までもぐり込み一回だけ貸せの、させろのと酒までいきまく正吉、酒をツン出しお引取り願つたウツのような実話」と題し、福島電気鉄道株式会社社長織田正吉が同年八月下旬頃の深夜、同社自動車局長児玉貫一の寝室に入り、その面前で同人の妻と情を通じようとしたので、児玉は周章狼狽し、上司に対し平身低頭して謝罪し、冷酒を出して漸やく引き取りを願つた旨の記事を執筆して掲載し、同日頃右新聞約一、五〇〇部を福島市及び福島県内等に頒布し、もつて公然事実を摘示して、織田正吉および児玉貫一の名誉を毀損し、と挿人し、原判示第二の二の末行の「それぞれ」を削り、原判示第五の事実を全部削り、これに代えて、昭和三八年四月一七日施行の福島県議会議員選挙に際し、福島市から右選挙に立候補した瀬戸孝一に当選を得させない目的をもつて、同月九日付並びに一一日付の同紙亀一面に「瀬戸氏またも笹谷地区で得意中の武勇伝を出した、慰しやを二〇万円とか請求、示談となつた話は有名になつてしまつた。」と題し、右選挙に立候補した瀬戸孝一は、笹谷地区に集会を求め、夜間訪問した帰り道、集まつた人達の中から目ぼしをつけた某女(二一才)を親切に自宅までお送りするといつて選挙用自動車の中で送りオオカミを実行した。某女が警察に告訴したので、これに驚ろいた同候補の運動員達は、選挙に入つてとんでもないことをしてくれたと某々氏などが手をまわし、ようやく二〇万円とか三〇万円で示談した旨の虚偽の記事を執筆して掲載、同月九日、一〇日の両日にわたり、同月九日発行の新聞約六〇〇部並びに同月一一日発行の新聞約五、八〇〇部を、その選挙区である福島市内を中心に福島県内等に頒布し、もつて右選挙の候補者である瀬戸孝一に関し虚偽の事項を公にし、公然事実を摘示して同人の名府を毀損し、
と挿入する。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
原判決の確定した原判示第一の一ないし五、第二の二、第三、第四の各事実ならびに判示第二の一および第五の各事実に法律を適用すると、被告人の右所為中名誉毀損の点は、いずれも刑法二三〇条一項、罰.金等臨時措置法三条一項一号、二条一項に、公職選挙法違反の点は公職選挙法二三五条二号、罰金等臨時措置法二条一項に各該当するところ、判示第二の一の織田正吉および児玉貫一に対する名誉毀損の点、ならびに判示第五の瀬戸孝一に対する名誉毀損と公職選挙法違反の点はいずれもそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により前者については犯情の重いと認める織田正吉に対する名誉毀損罪の刑にしたがい、後者については重い名誉毀損罪の刑にしたがい各一罪として処断することとし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、所定刑中いずれも懲役刑も選択した上、同法四七条本文、一〇条により、犯情の最も重いと認める原判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、被告人の本件犯行は筆による暴力ともいうべき悪質なもので、ことに判示第五の罪はその余の罪で起訴され、その審理の継続中保釈後になされたもので情はかなり重いものであるが、被告人の経歴、本件犯行の動機、態様、犯行後の事情など諸般の情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日からとくに三年間右刑の執行を猶予し、原審および当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤寿郎 小嶋弥作 杉本正雄)
http://f.hatena.ne.jp/shinok30/20091206224755
=================================
事件番号:昭和41年(ネ)第442号
事件名 :損害賠償等請求控訴事件
裁判所 :仙台高等裁判所
判決日 : 昭和44年7月24日 (1969-07-24)
判示事項:
雑誌及び新聞記事の掲載による名誉毀損に対し慰謝料(会社については無形の損害に対する賠償)と謝罪広告文の掲載を命じた事例
参照条文:
民法710条
民法723条
掲載文献:
判例タイムズ240号243頁
判 決 理 由
一、被控訴会社は、もと福島電気鉄道株式会社と称し、大正六年九月六日の創業にかかり、昭和三六年七月一七日福島県南交通株式会社を合併して、昭和三七年七月一二日商号を福島交通株式会社と改め、現在、資本金四四七、四七六、〇〇〇円の鉄道・バス事業を営む会社であること、被控訴人織田大蔵は、昭和二二年五月二八日被控訴会社の取締役に就任し、同会社副社長に就任したことがあること、被控訴人織田正吉、被控訴人織田大蔵の長男で、昭和三二年七月二七日被控訴会社取締役に就任し、同会社の社長に就任したことがあること、被控訴人吉田は、被控訴会社の自動車運転者であつたことは、当事者間に争いがなく、原審における被控訴人鳳城本人尋問の結果によると、被控訴人鳳城は、もと仙台国税局協議団本部長の地位にあつたが、昭和三六年七月二〇日以降被控訴会社の取締役兼経理部長に就任していることが認められる。
次に控訴人は、福島評論社およびおさらぎ新聞社を経営し、月刊「福島評論」、日刊「おさらぎ新聞」の編集ならびに発行の責任者であるところ、右「福島評論」あるいは「おさらぎ新聞」に原判決添付の別紙(一)に記載のとおりの記事(以下本件各記事と略称する。)を掲載して同新聞等を発行したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、「福島評論」の発行部数は約五、〇〇〇ないし六、〇○○部、「おさらぎ新聞」のそれは約一、五〇〇ないし二、〇〇〇部であつたことが認められるので、控訴人は、右発行部数とほぼ同数の読者に対し、本件各記事を掲載した「おさらぎ新聞」等を販売し、これを右読者を含めた不特定・多数の人々の閲覧できる状態においたものと認めるべきであるから、本件各記事の内容からして、〈中略〉各記事によつて被控訴会社、被控訴人織田大蔵および織田正吉のそれぞれ名誉を毀損したことが明らかである。
二、控訴人は、本件各記事は、公共の利害に関するものであり、もつぱら公益を図る目的に出たものである旨主張する。なるほど本件各記事の中には、未だ公訴提起のない犯罪事実に関するものや公益事業を営む被控訴会社が廃車同様の車両を使用したり、劣悪な労働条件で従業員を稼動させるために事故が多い旨の記事等があつて、公共の利害に関する事実とみなされるものも存するが、それらの記事を含めて本件各記事を掲載した意図がもつぱら公益を図ることにあつたとの点については、〈証拠判断省略〉かえつて、控訴人が、その主張のようにもつぱら公益を図る目的をもつて本件各記事を掲載したとするのなら、おのずからその意図が文章ににじみでて、読む者の共感を呼ぶものがあると考えられるのに、原判決添付の別紙(一)の第一ないし第五の各記事および第六の各記事を掲載したと認められる甲第一ないし第五八号証の読後感には、そのように共鳴するところは全くなく、むしろ本件各記事は、見出しの付け方が悪趣味、また誇張的であり、かつ、どぎつい表現や品格のない言葉をしばしば用いて暴露的な内容を興味本位につづつており、読者の関心をひくのに専念して被報道者に対する影響を忘れた態度がうかがわれるのであつて、それ自体から、それを掲載した意図がもつぱら公益を図るに出たとは、到底認めることはできない。
なお、控訴人は、本件各記事の内容となつた事実は真実である旨主張するのであるが、全証拠によつてもこれを認めることはできないし、また真実であると信ずるについて相当な理由があつた旨の主張についても、〈証拠〉も右主張を認めさせるものではなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
三、次に控訴人は、法人が無形の損害を蒙るのは、侵害行為時において財産的な計算をなし得ない事情がある場合に限るところ、被控訴会社は独占企業であつて、利用者には企業選択の余地はなく、財産的な計算をなし得ない事情がある場合にあたらないから、被控訴会社に対する名誉の侵害があつたとしても損害を生じることはない旨主張するもののようであり、そのいうところはいわゆる独占企業には、財産的な計算のなし得る損害(すなわち有形の損害と考えられる。)しか発生せず、無形の損害は発生しない旨の主張と理解されるのであるが、そうとすれば、それは独自の見解にすぎないというべきである。けだし、独占企業も法律によつて保護せらるべき人格的利益を有する以上、それを侵害された場合には、有形の損害のみならず無形の損害を発生することについては、非独占企業の場合となんら変りがないといい得るからである。
四、以上判断したとおり、控訴人は、本件各記事を掲載して「おさらぎ新聞」等を発行し販売したことによつて、被控訴人らが蒙つた名誉の侵害に対し損害を填補すべき義務があるものといわなければならない。
(一)ところで控訴人は、「おさらぎ新聞」は余り一般の信用がないから、かかる新聞に記事が掲載されたことによつて名誉が侵害されたとしても、その被つた損害は極めて少い旨主張する。なるほど前記甲第一ないし第五八号証によつて認められる同新聞の形状、記事の種類、その内容等からみて、同新聞に対する読者の信用は低いものであることを推認できるが、本件各記事は、前示認定のとおり、悪趣味といえる見出しをつけ、どぎつい表現や品格のない言葉をしばしば用いて暴露的な内容を興味本位な筆致によりこれをつづり、読者の関心をひいておるのであつてさらに被控訴会社、被控訴人織田大蔵および織田正吉については、繰り返し、しつように非難し、あざけり、さげすんでいることは、同被控訴人らに関する本件各記事の内容および掲載回数によつて明らかであるから、被控訴人らの蒙つた損害は到底僅少であるとは認められない。
(二)〈中略〉そこで、被控訴人らは、本件侵害行為による無形の損害に対し、金銭による損害賠償と謝罪広告を請求するので先ずその賠償額について判断するに、前示認定にかかる被控訴人らの社会上の地位、職業(被控訴会社についてはその事業内容)本件侵害行為の態様、侵害の程度、その回数(被控訴人鳳城および吉田を除く。)、本件各記事の内容となつた事実がいずれも真実とは認められないこと、「福島評論」および「おさらぎ新聞」の発行部数、〈証拠〉によりうかがわれる被控訴会社を除くその余の被控訴人らの精神的苦痛の程度、〈証拠〉によつて認められる控訴人の年齢現在の境遇、資産等その他諸般の事情をしんしやくすると、被控訴人織田大蔵については金一○○万円、被控訴人織田正吉については金六〇万円、被控訴人鳳城については金一○万円、被控訴人吉田については金五万円をもつてそれぞれの精神的苦痛を慰謝するに足りる相当額と認めるべきであり、また、被控訴会社の蒙つた無形の損害については、金六〇万円と評価し、それを控訴人に支払わせるのが至当であると認められる。次に被控訴人らの名誉を回復するには、控訴人に右損害賠償とともに福島県下で発行される福島民報および福島民友新聞に原判決添付の別表記載のとおりの謝罪広告文を掲載させることが相当と認められる。(石井義彦 川名秀雄 丹野益男)
〈別紙省略〉
>shinok30さん
やはり「使途不明金」に辿りつきましたか。私がこれから重点的に取り上げる予定の本です。
小針暦二さんばかりに目が行っていて、織田大蔵さん,正吉さん親子には注目していませんでした。
これは興味深いレポートです。
もう少し追加調査をして、私も昭和50年初頭の話題に戻って行きたいと思います。
::コメントを投稿する::