拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年10月15日木曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その18)

瀬戸弘幸さん、色々考える時期を迎えているようですね。

マキャベリーの「君主論」で言うところの、駄目な君子の典型が「行動する保守」をリードしている面々ではないでしょうか。

『政治的に最大限の効果を上げると判断した時には、悪評を恐れてはいけない。』
『世間の評判を良好に保つことだけに心を砕き、政治的選択肢を自らつぶしてはいけない。』

これらは、自分達が行う政治的手法がどういった成果を挙げるか、的確な判断が出来ていて初めて意味を持ちます。

『一部の聴衆の喝采と支持を得る』代わりに『大部分の国民の支持を無くす』行動を取り続けたツケは、自ら払うことになります。

マキャベリーが理想の君主と考えていたであろうチェーザレ・ボルジアは、領土や資金を得る等、具体的かつ大きな利益と引き換えに悪評を恐れず大胆な振る舞いをしていました。

瀬戸弘幸さん達は、最初から世間や支持者の風評頼みで、広範な支持か一部の先鋭的な支持者を取るか、いずれかという時に後者を選んだに過ぎません。「君主論」で述べられている『悪評を恐れてはならない』とは違うでしょう。最初から目線が低すぎたんじゃないでしょうか?

ルネサンス期のイタリアとは事情が違うとは言え、戦略的目標を立てて、そのためにという具体性があまりになさすぎますね。支持者に喝采浴びるための街宣を繰り返し、それが先鋭化していただけです。

あと、民族虐殺がどうのと言っておられますが、瀬戸弘幸さんは「光州事件」の事をどう思われているのですか?

瀬戸弘幸さんは、全斗煥(チョンドファン)政権発足直後辺りからセマウル運動に参加されているようです。つまり、反共の同胞として全斗煥政権を発足当初から全面支持されていたと私は解釈しています。

1980年の5月の起こった事件ですね。市民軍の多くが射殺され、人口75万人の光州市に投入された総兵力数は2万に至った。

その前段階として、保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。これに対し、全国各地で民主化要求デモが巻き起こっていました。

結局、自国民を大量虐殺、武力鎮圧して全斗煥は軍事独裁政権を確立したわけです。

瀬戸弘幸さんは、民主化を求める自国民を武力行使によって大量虐殺した政権を支持して「セマウル運動」にせっせと参加なさっていた。

そんなお方が、天安門事件だ、チベット、ウイグルだと言っても何の説得力もありません。

反共の旗を掲げていれば、軍事独裁政権で自国民を大量虐殺していても大歓迎。共産国家だと許せないと仰る。

この手の問題は、イデオロギー抜きで一貫して『許せない』と言える人でなければ信用ならないと私は考えます。

いつだったか、従軍慰安婦の展示会を左翼系の方々がやろうとした時に、『日章旗で取り囲め』ってやられてましたね。あの時、さりげなく「光州事件」についての特別企画を韓国の方を招いて開催するってなっていたんですよね。

そうしたら、瀬戸さん達はそっちの話題はスルーしとけばいいのに「光州事件」の展示まで非難。多分Google先生に質問したらすぐ見つかりますよ。

こんな態度で、中国共産党の虐殺や少数民族、マイノリティーの差別などを非難できるんでしょうか?

特に、フリチベ系の人とかこういう実態を知ったら心底ムカつくんじゃないかと思いますよ。

これも、ちょっと「セマウル運動」から派生した話題でした。

次回あたりから昭和50年頃のお話に戻りたいですね。

【追記】
昼間は時間が足りなくて検索が出来なかったので、改めてGoogle先生に尋ねてみました。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52179875.html



kwoutも初めて使ってみました。思った以上に快適ですね。

ご覧のとおり、左翼系の人たち、従軍慰安婦問題などを取り沙汰している人たちへの不満は分らなくもないんですが(※でも、彼らにも「言論の自由」は認めるべきです)、「光州民主化闘争当事者」の方々まで一緒に不逞朝鮮人にしてしまっているんですね。

で、別にこの人たちは反日的な主張を持って日本にやってきたわけでもないのに日章旗を持って取り囲んでしまうと。

共産主義の対極は自由主義だと瀬戸弘幸さんは仰りたいようですが、当時の韓国は延々と軍事独裁政権が続いていました。国民は民主化を求めていました。

ただそれだけなのに、弾圧されて虐殺されました。共産主義国家は自国民を虐殺してはいけないけど、反共という看板を掲げている国は、軍事独裁政権で国民を苦しめて虐殺しても許されると瀬戸弘幸さんは考えているんですよね?

瀬戸弘幸さんは、反共のパートナーとして国民を弾圧する軍事独裁政権の指導者こそふさわしいとお考えだったのでしょう。民主化を主導した金大中(キムデジュン)氏や盧武鉉(ノムヒョン)氏が大統領になったら、彼らは左派政権で反日教育を行っているから韓国人の反日感情が一気に膨れ上がったと主張しました。

実際は、歴代の軍事独裁政権の大統領が反日教育を脈々と続け、政権が交代するたびに謝罪と賠償のお代わりニダと繰り返してきたことを嫌韓厨は知っています。

2ちゃんねるで、よーめん閣下の理想とする軍事独裁政権が笑いの種になることが多々ありますが、実は瀬戸弘幸さんの理想とする政体こそ、軍事独裁政権ではないかな、と思うことが多々あります。

少なくとも、中国共産党のマイノリティー弾圧を非難する資格など全く備えていないですね。

【追記2】
「マンガ嫌韓流」などでも、常識外れの遡及法として紹介されている所謂「韓国法」という法律があります。ある時点まで、その国の憲法や法律で罪でなかったものを、後付けの法律で裁こうというのは国際的にもナンセンスだというものです。



これも、「光州事件」辺りから端を発しています。軍事独裁政権下では真相解明が進まずに、そのまま時効を迎えてしまった案件を、民主化実現後に究明しようとしたのが始まりです。

真相解明が進み、今度は補償を請求する権利があったのにその時期を逸した人たちに権利を認めようではないかと言う法律が続々と作られた。

賠償責任を加害者本人だけでなく子孫にまで負わせることが行き過ぎかどうかという部分で是々非々の論争はあるかも知れません。

ですが、全斗煥ファミリーのように「セマウル運動」の資金横領など、一族全体で大規模な不正蓄財をしていて、肝心な全斗煥氏は死去というケースなどもあることは当然考慮すべきです。

全斗煥氏に傾倒していたであろう瀬戸弘幸氏らは、子孫に対する責任追及に猛反対なさるのでしょうが。


(※杉山真大さんの指摘で気づきましたが、全斗煥氏はご存命でした。死刑判決後、特赦されています。)

(※訂正文:軍事独裁政権時代の方々の中には、既に死去されている人も居ます。その方の一族全体で不正蓄財をしているケースの場合、賠償請求は宙に浮いてしまうのでしょうか? 軍事独裁政権下で請求する機会すら得られなかった権利は、そのまま諦めよと言うのでしょうか? 韓国の国民が民主的なプロセスで選んだ政権下の手続きでなら、時効切れで諦めろというのは正論ですが、この場合は一定の議論の余地があるのではないでしょうか?)

これを十分に理解せずに非難してしまっているのが嫌韓厨を始め、大半の日本人。そして、こういう誤解が定着しているのを喜んでいるのが「行動する保守」を牽引する排外主義者の方々。

kwoutのリンク元を辿って、解説をきちんと読んでみることをお勧めします。



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3 コメント:

ワールドワイドウェブ さんのコメント...

日航機が核攻撃されたというコメントを下さった方が居られましたが、本エントリーと全く関係ないので削除しました。

私は全く信じていませんが、とりあえず移動という措置にしておいたので、コチラで見られます。

http://docs.google.com/View?id=dd5tzjb5_39fxq56ddq

日本航空についてお詳しいオピニオンリーダーをお探しでしたら、瀬戸弘幸さん辺りは如何でしょうか?

陰謀論なども大好きな先生ですので、相談先としてはうってつけかも知れません。

当方では結果に一切の責任は取れませんが、ご参考まで。

2009年10月16日 17:39  

杉山真大 さんのコメント...

全斗換って亡くなってました?確か、未だ御存命の筈ですが・・・・・

#全の前の崔圭夏までの全員と金大中・盧武絃が亡くなっている訳で

2009年10月20日 0:50  

ワールドワイドウェブ さんのコメント...

死刑判決後、赦免でした。

勝手に亡くなっている印象が出来上がっていました。

これは大きな間違いでした。早速直しておきます。

2009年10月20日 8:27  

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