拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年10月9日金曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その15)

社会活動家であり、「犯罪報道被害者の会」という立派な名称の会を主催する、みなし公人の瀬戸弘幸さんが、何やら騒ぎ始めました

ボチボチこういう反応をするだろうと予想はしていました。予想外の攻撃に驚いてひるむだろうと瀬戸弘幸さんは期待しているようですが、訴えるぞというのは既に1年前に1度やられてますよ。

ブログを立ち上げた頃から予測していた事ですから、今更何を驚けと仰るのかと。きちんと根拠を添えて反論して戴きたいのですが。訴える訴えない以前の問題です。

まず、最初に確認しておきますが、瀬戸弘幸さんの憤慨は『徐才喜冤罪事件がノンフィクションなのにフカシ記事だと決め付けられた』ことに対するものですね? 今後勝手に理由を書き換えないように、きっちり確認しておきます。

少なくとも、次回辺りまでに理由を確定させて下さいね。後になって理由を変えてしまうインチキにはつきあいきれませんので、最初にお断りしておきます。

徐才喜さんが逮捕された記事が掲載された新聞の写し、裁判記録などをアップして戴ければ万事解決です。瀬戸弘幸さんの書いた「徐才喜冤罪事件」が事実に基づいて書かれたノン・フィクションであることが即座に証明されます。

当時の取材記録が既に散逸しているとしても、福島県立図書館に当時の新聞が保管されている事は確認しています。山本弘幸さんという新進気鋭のルポ・ライター氏によれば、徐才喜さんが逮捕された時には大きな記事になったとの事ですから、すぐ見つかるはずです。

私は福島民友と福島民報を、一日も飛ばさずに読んだにも関わらず該当記事を見つけられませんでした。通名報道の可能性も疑いましたし、山本弘幸さんがプライバシーに配慮して、徐才喜さんの名前も、日本人名として書いた名前も仮名にしている可能性まで考慮して、それらしい経緯になっている事件を探したのですが、それすら見つかりません。

遠藤文子さん殺しについて10日間以上も続けて記事を載せる地元紙を選んで、これだけ丹念に探しても痕跡すら見つからない。

百川六郎さん逮捕に絡んで遠藤文子さんの名前が出ているのを発見したのを見ても分かるとおり、私は朝刊だけでなく、夕刊まで丹念に読んでいるんですが、そこまでしても見つからないんですが、これ以上、どこをどう探せと仰るのか私には理解できません。

30年以上保管された新聞からは、記事が消えうせるとでも仰るのでしょうか? 福島県立図書館で当時の新聞そのままの情報を読んだのに、こんな幼稚な反論しか出来ないこと自体が信じられません。

あと、所詮はペンネーム。編集長がつけてくれたものだろうが何だろうが実名で書いた記事ではなかったのですよね? そこに権威主義を吹かせても意味はありませんよ。実名では書けないようなフカシ記事であったという私の感想は全く揺るぎがありません。

逆に、「政経東北」という雑誌が持ち込まれた原稿やライターについて、きっちり裏取りもしないでフカシ記事を世に送り出してしまった事に大きな疑問を感じざるを得ません。

私の匿名を非難する前に、「徐才喜冤罪事件」が匿名で世に送り出されたものであるという前提をまずお認めになるべきです。

次に、当時の状況をもう少し掘り下げてみましょう。昭和52年の正月頃、瀬戸弘幸さんは「徐才喜冤罪事件」に取り組み始めたとブログで説明しています。

ですが、瀬戸孝一さん任意出頭と百川六郎さん逮捕を報じた昭和52年1月14日付の夕刊を見ても分かるように、当時の福島市太田町には、遠藤文子さん殺害事件の捜査員、天野派選挙違反の捜査員がウロウロしていました。

瀬戸弘幸さんは、ほんの9ヶ月前に県警に日本刀の刃傷沙汰で逮捕されたばかりの前科者です。

遠藤さんの事件で有力な容疑者を挙げられずにいる県警が焦っていたというのは、瀬戸弘幸さんも認識していたはずですね。前科者の瀬戸弘幸さんが、こんな微妙な時期に太田町界隈をブラブラ歩き回っていたら、一体どういうことになるでしょうか? しかも、遠藤文子さん殺しについて、あちこち嗅ぎまわるという行動を取る。

新聞記者が、その肩書きで取材するのとは訳が違います。瀬戸弘幸さんは「政経東北」に原稿を持ち込んだんですから、取材時には出版社の後ろ盾もない全くのフリーです。しかも県警から見れば、こないだ逮捕したばかりの前科者。

遠藤文子さん殺害事件と半年も離れていない時期に、日本刀で傷害事件を起こしたような人物が、遠藤文子さん殺しについてご近所様に聞いて回っているという情報を聞きつけたら県警はどういう動きを取ると思いますか?

連載記事中で、遠藤文子さんが必ずしも善人ではなかったという情報を取材中に得ていたとルポライターの山本弘幸さんは述べています。この方が本当に瀬戸弘幸さんで、実際に取材活動をしているのなら、県警が聞き込み捜査をしている人と範囲がかぶっている人たちに取材活動をしたのでしょう。

すると、得体の知れないルポライターに根掘り葉掘り聞かれたことをいぶかしく感じたご近所様の1人が、うっかり県警さんに『遠藤文子さん殺しについて嗅ぎまわってる人がいますよ』なんて洩らしたら、それだけで瀬戸弘幸さんは、あっという間にピンチに。

私は、瀬戸弘幸さんの反論では、瀬戸孝一さんの親族ではないという説明になっていないと考えています。そちらの面からも問題が発生すると思うのですが、現時点では、『当時の瀬戸弘幸さんが前科者として県警さんにバッチリ顔を覚えられていた』という状況だけでも、まともな取材など不可能だったと推察できるので、まずは、それを疑問点として挙げておきます。

そもそも『名字だけで判断』したわけではないですよ。きっかけにはなっていますが。

『名字だけで判断』して、コシミズさんのご尊父を「日中友好協会」の関係者と即断して罵声を浴びせていた襲撃犯の皆さんがやった事が、批判に値するという事でよろしいんでしょうか、『犯罪報道被害者の会』主催の瀬戸弘幸さん。

私が『名字だけで判断』して暴れる人たちについて質問したことについては無回答じゃないですか。恥ずかしくないですか? 自分の事になると曲解してまで訴えると大騒ぎ。情けないにも程があります。

私は、事実誤認があれば、そのように仰って戴き、瀬戸弘幸さんのご説明に説得力があれば訂正にも謝罪にも応じると本シリーズの始まりで予めお断り申し上げています。瀬戸弘幸さんが反論できないようなタイミングでの記事の投稿も控えるようにしています。

こちらは、最初から議論できるよう配慮していますし、準備も整えています。これに対して『無視する』か『訴える』かの二択しかないというのは、言論者として致命的じゃないでしょうか。まともに『対話』や『議論』が出来ない人なんですか?

私は、断定できない部分は、正直にそのように表現していますから、読者もそのように理解してくれていると思います。自分が判断した根拠なり理由なりも、出来るだけ示すようにしています。自分にとって不利な情報も隠さず出しています。

瀬戸弘幸さんは、東村山の洋品店での万引き問題について、『亡くなった市議の遺族らが訴えた』とだけ紹介しました。実際には『亡くなった市議の遺族らが訴えたが、洋品店側が勝訴した』と紹介すべきでしょう。

万引き捏造という結論に導きたいがために、肝心の情報を一部欠落させて紹介する。ジャーナリストしてやってはいけないことをしています。非難されるべきは、こういう態度を言うのではないですか?

私は、こういうデタラメな事はしてませんよ。自分が調べられる範囲で丹念に調べ、それでも断定できない部分は断定できないものと正直に書いていますから、訴訟に持ち込んでも特に問題にはならないと確信しています。

瀬戸弘幸さんは、自分が書いたデビュー作が真実であると立証したいのですよね? 冒頭で述べたとおり、徐才喜さんが逮捕された新聞記事を見せてください。それで、瀬戸弘幸さんの名誉は完全に守られますし、きっと私は「穴があったら入りたい」恥ずかしい気持ちになるでしょう。

私を訴えるにしても、記事の真実性や相当性を争う上で決定打になる上に、立証が最も容易な部分ですから、すぐに証拠そろえをしてビシっと叩きつけて私を凹ませてみては如何でしょうか。

私は、間違いが指摘されても絶対に謝らない誰かさんとは違いますから、訴訟をチラつかせるまでもなく、きちんと手順を踏んで戴くだけで十分ですが、訴訟に拘るしても、口先ではなく、必要な証拠ぞろえなどは避けて通れませんよ。

まずは、きっちりとやるべきことをやって戴きましょうか。

瀬戸弘幸さんに言いたい事は大体こんなところですね。反論その他言いたいことがあれば、いつでもお待ちしております。

さて、エントリーをこれだけのために1回分消費して終了では読者の皆さんに申し訳ないので、少しだけ本題も少しだけ前に進めておきますね。

鳩山総理の故人献金問題などを問題視する瀬戸弘幸さんですが、確かに「政治資金収支報告書」などの記載が正直に行われていないと、『政治と金』の問題が適正に処理されていることを確認することが出来ませんから、クリーンな政治を担保するものがなくなります。

昭和51年暮れに天野光晴さんが衆議院議員選挙に絡んで選挙違反容疑をかけられた問題は、正にこうした要素を含むものです。当初は、票買いの賄賂が問題になり、天野派運動員が次々と逮捕されていたのですが、昭和52年1月14日の瀬戸孝一県議任意出頭と百川六郎さんの逮捕は、新しい嫌疑の浮上によるものでした。

『選挙運動費用収支報告書』に記載されていた出納責任者の名前が、でっち上げである疑惑が浮上。この人物が、この選挙には全くタッチしていなかったことが確認されたのでした。故人が献金できないのと同じように、選挙運動に全く無関係だった人が、出納責任者のはずがない。

このように、無関係の人の名前を勝手に拝借して、出納簿の類をチョロまかす犯行は古典的なもののようです。瀬戸弘幸さんが血縁関係を否定していらっしゃる、瀬戸孝一県議は、天野派の選挙運動を仕切っていたので任意出頭という事になってしまったようです。

この後も野党からの批判が止まず、県議会の副議長を辞任していらっしゃることまで以前紹介していました。

その後の展開ですが、賄賂のばら撒き、収支報告書デッチ上げなどの疑惑で、天野光晴さんの夫人、マサさんまでもが逮捕され、取調べを受けます。

赤の他人だそうですから、私がいくら瀬戸孝一さんや天野光晴さんの過去について書いても、瀬戸弘幸さんは一切文句は言わないでしょう。他人ですから。

鳩山首相の故人献金と同じく、過去のこうした問題も許されざる犯行ですよね。地元福島で行われた、このような不正について、郷土を愛する瀬戸弘幸さんが当時、どのような思いでニュースを見て居られたのか、感想を聞いてみたいものです。

たまたま名字が一緒だったせいで、色々迷惑したりすることもあったのでしょうか。

さて、ここまでの流れを新聞で追いかけて、これ以上は時間が足りなくなると判断した私は、郷土の政治家に関する資料だから、探せば見つかるだろうと蔵書検索コーナーへ向かいました。

自伝の他にもう一冊、興味深い本が見つかりました。「ずんねえ男一代記」という表題の本ですが、なかなか恐ろしいことが書いてあります。

簡単なメモ書きしかして来なかったのですが、こんな感じのことが書いてありました。

天野光晴氏は、県議会議員選挙立候補を決意し、妻のマサさんが収監されている拘置所前に立つとハンドフォンで出馬を報告。粘り強い選挙戦を展開して、県議会議員選挙に当選。手元の資料と照らし合わせると、多分、これが昭和54年4月8日。

県議会議員になると、自分の妻に対する県警の厳しい取調べが人権侵害ではないかと、審査機関の設置を要求し、自らその長に。県警トップを呼びつけて丸2日間こってり油を絞った。

これ以降、選挙違反の追及がピタリと止んだ、といったようなことが書かれていました。

昭和54年10月7日には衆議院議員選挙(公示は9月7日)なので、ごく短期間、県議会議員になって足元の火消しをしたということでしょうか。この本に書かれていることが事実なら、恐るべき豪腕だと言えますね。これについては、もう少しきっちり裏取りをして、また報告したいと思います。

今回は無駄話で長くなったので、「月刊ルポルタージュ」と「二本松タイムス」の紹介は次回にします。



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