拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年9月8日火曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その8)

28歳の頃の瀬戸弘幸さんが一生懸命書いて高い評価を戴いたという「徐才喜冤罪事件」という短期集中連載記事。ブログ上にアップしていただいている画像では細かい文字はほとんど読み取れませんし、全文が見られるわけでもないのですが、色々と貴重な情報を読み取ることが出来ました。

徐才喜さんという人物がどんな人なのか知りたくなったので、google先生に質問してみたところ、瀬戸弘幸さんのブログ以外では、Whois検索の結果らしき残骸が引っかかり、中国ドメインで登録者というか団体というか・・・ その辺りが徐才喜さんになっているものがある。

どうも韓国ではなく、中国と縁がある人物名ではないかと思えて来たので、中国版のgoogle先生とお話してみると、「徐才喜烈士」について書いてあるサイトが沢山ある様子です。

これは一体どうしたことでしょうか? 偶然の一致なんでしょうか?

割と似たような説明が多かったので、そのうちの1つを拾って来て、エキサイトさんに訳してもらいました。

【原文】
互动百科的词条资料来自网友贡献,供您查阅参考。一些和您切身相关的具体问题(特别是健康、经济、法律相关问题),出于审慎起见,建议咨询专业人士以获得更有针对性的答案。

【excite 中→日 翻訳】
1933年革命に参加して、任紅の3人の軍団の戦士、北上して音信がなくて、時の年の24歳。

【ネットで関係ありそうな情報を補足】
1933年、瑞金の紅軍を包囲、毛沢東らは脱出し、以後、延安までの12000kmに及ぶ長征と呼ばれる大行軍を行った。毛沢東は延安を革命拠点とした。

これは随分とマニアックなところから名前が出てきたものですね。一般的な日本人なら絶対に気づかないでしょう。特にネットが発達していない時期なら中国人名と韓国人名の見分けなど絶対につかない。

もちろん、韓国人に徐才喜という名前の方が絶対居ないとは断言出来ませんが・・・

別の観点でもう少しお話をさせて戴きます。『福島市太田町婦人殺害事件』という大きな見出しが躍っていますね。実は、これが大きなヒントです。この事件を丹念に追いかけている人をネット上で見つけました。

2006年 4月 3日 名探偵マッシー ~一枚の写真から~ 『 魔  手 』(第五十八回) ・・・メヒカリ・・・ [AIBO]
2006年 4月 4日 名探偵マッシー ~一枚の写真から~ 『 魔  手 』(第五十九回) ・・・メヒカリ・・・ [AIBO]
2006年 4月 5日 名探偵マッシー ~一枚の写真から~ 『 魔  手 』(第六十回) ・・・メヒカリ・・・ [AIBO]
2006年 4月 6日 名探偵マッシー ~一枚の写真から~ 『 魔  手 』(第六十一回) ・・・メヒカリ・・・ [AIBO]

(第五十八回)の記事から引用


【事件の概要】
福島市の元校長、遠藤文子さん殺しが起きたのは昭和51年10月20日午前11時から午後4時までの間。元校長で同市社会教育委員の遠藤さんが自宅応接間で、工事用の特殊ハンマーで顔や頭、胸などをメッタ打ちされ、死んでいた。
 翌21日に親類の人が無残な遠藤さんの死体を発見、福島署へ届け出た。
 部屋は荒らされていたが、現金や高価装身具(指輪・ネックレス等)は無事。満六年が過ぎた現在も犯人の動機も絞りきれず、捜査員の間では物取り説、偽装工作によるえん恨説の二つに意見が分かれたままである。
 唯一の手がかりであるハンマーは福島市の工事業者が紛失したものと判明している。
 この特殊な金づちが、なぜ遠藤さん宅に残されていたのか、道路などに落ちていたものを遠藤さんが持ち返るということも考えられない。犯人があらかじめ持ち込んで凶器として犯行に使用して応接間に残し、あわてて逃走したという見方が強い。
 『 絶対に迷宮入りの事件ではない。確かに新しい事件で捜査が中断することはあっても、粘り強い捜査を続ければ必ず犯人に行き着く 』 と捜査本部の解散には反対意見もある。
 六年間の歳月は市民の記憶を薄め、新情報はほとんどない。
 『 これまでの捜査方法で見落としはないかどうか。念には念を入れる捜査を続けるだけだ 』 というが・・・・・。

 昭和57年(1982年)10月19日(火曜日) 福島民法新聞 社会面より参照


ざっと探した感じでは4回分のエントリーでしたが丁寧に情報を拾ってありました。好感の持てるブログです。

記事を全部読んでいただければ分かるんですが、誰も逮捕されていないようです。瀬戸弘幸さんが仰るには真っ先に徐才喜という中国の烈士と同姓同名の在日朝鮮人の方が疑われて即座に不当逮捕されたって事になっています。

瀬戸弘幸さんは『私はこの年(1978年)の正月頃から、福島市で起きたある強盗殺人事件で逮捕された在日朝鮮人の冤罪事件に取り組んでいました。』と説明なさっています。

つまり、昭和53年(1978年)の時点で容疑者や逮捕者が出ていれば、『昭和57年(1982年)10月19日(火曜日) 福島民法新聞』において、全く犯人像が特定されていないといった記事が出てくるはずもなく・・・

これは一体どういう事なんでしょうか?

瀬戸弘幸さんの記事全文の詳細が読めるように公開して戴ければ判断が覆る可能性もありますが、現時点で拾える情報からは… 瀬戸弘幸さんのジャーナリストデビュー作は、架空の在日朝鮮人が逮捕され、不当捜査されていると、警察を批判する怪文書の類であったのではないかと判断せざるを得ません。

もちろん、これらから裏を取る作業に着手して行きたいと考えています。名探偵マッシーさんが紹介している情報の正確さが新聞記事などからある程度読み取れれば、どちらの主張が正確か大よその判断はつくはずです。

ただし、古い新聞記事を図書館等に読みに行く時間をすぐには取れないので、確認は少し先送りになります。

お暇な方、『福島市太田町で昭和51年10月20日に発生した殺人事件』について、新聞記事漁りのお手伝いなどをして戴けると助かります。これだけ特徴的な事件だと地方紙ではなく全国紙にも載ったはずなので、事実関係の裏取りくらいは可能なはずです。

で、瀬戸弘幸さんがこんなアヤシイ記事を書いた動機なども色々想像してみましたが、今回は長くなってしまったので続きは次回に回します。

【お詫び】
今回も予告とは全く違う流れになってしまいました。毎度の事だと笑って流して戴けると幸いです。セマウム問題でまだ触れていない部分はタイミングを見て必ず紹介します。

【追記】
今回のエントリーを公開してから数時間後、google先生に「徐才喜」さんについて再度お尋ねしたところ、今までは表示されなかった中文版の情報が大量に表示されるようになっていました。

流石はgoogle先生、お仕事が早い。今後は、私の批評とは関係なく、瀬戸弘幸さんのブログを見た人が『徐才喜さんってどんな人かな?』と疑問を持つと、漏れなく中国の革命烈士の情報に辿り着く事になりました。

もちろん、在日朝鮮人に「徐才喜」というお名前の方が絶対に居ないと断言するものではありませんが、私と同じ疑問を持つ方が当然のように出て来るでしょう。

瀬戸弘幸さんは、ジャーナリストデビュー作である「徐才喜冤罪事件」の全文公開に踏み切らない限り、こうした疑念を払拭することは困難だろうと思います。



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