拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年8月14日金曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その3)

ろくに更新していなかったにも関わらず、Tomatic-jellyさんと3羽の雀さんに読んでいただけたようで恐縮です。

極右の矜持どころか、矜持(きょうじ)の読み方すらおぼつかないのではないかという手厳しいご指摘もありましたが(ついつい同意したくなる自分が居るのも確かですが・・・)

やはり、「行動する保守」という看板を前面に押し出しながら「創価学会」或いは「公明党」を叩く活動に励む瀬戸弘幸さんの本心を推察するには、「極右」の本質、矜持が何かというところを出発点にするしかないと思います。

ワールドワイドウェブ的視点からのフェムト読みなので、これが絶対正解だとは言いませんが、瀬戸弘幸さんが「極右」として「創価学会」が許せないと主張しているのであれば、『戦前の国体護持(復権)を阻む何らかの主張をしているから』だと考えるのが最も自然です。

既に指摘していますが、公明党は支持母体の創価学会の顔色を伺ってか、靖国神社の公式参拝に難色を示すことが多く、宗教色のない戦没者慰霊施設を作ろうとまで主張しているので、「極右」としては最も許せない政党です。

それ以外の理由、例えば電波攻撃や集団ストーカーなどの方が大きな理由になってると言い出したら、瀬戸弘幸さんは頭がおかしいおじさんと呼んでも差支えがないはずです。

「極右」の本音としては、戦前の国体護持を阻む逆徒という位置づけの公明党ですが、戦後体制を日本国民はおおむね受け入れている以上、「極右」の不満は一定の理解はされても『公明党など潰してしまえ』というところまでは押し切れない。

そこで、「電波攻撃」、「集団ストーカー」、「東村山市議の転落死」、「ベランダのウンコ」、「駐輪していたバイクのパンク」、「目撃者なき傘襲撃事件」などを次々と並べてて、創価学会は危険なカルトだから国民みんなで潰しましょうとアジビラ宣伝している。という風に見えるわけです。

でも、それは新風内部から見ても「関東大震災の後のデマゴーグの再来」にしか見えないものだったようで、瀬戸弘幸さんはとうとう副代表を退くことになりました。事実上の更迭、放逐といっても良いのではないでしょうか?

瀬戸弘幸さんは、今一度、下記の呼びかけを噛み締めるように読むべきです。そのために書かれたような文章ですから。

新風青年:公式メールマガジン『週刊WIN』 【COLUMN】攘夷と差別の違いより一部抜粋

 彼ら(=ネットから政治活動を実践する人たち ※WWW的補足)はネットで自信過剰になっている。実名も明かした自己紹介も出来ず、親に内緒で世の中変わると思ったら大きな錯覚である。自己紹介も出来ずに人間関係が築けるかだろうか。日本にとって一大事なことを親に内緒でして世の中が変わると思うのか。甚だ疑問である。 まして況や自己の勉学を怠り自分の意見と合わない人間を『あいつは在日だ』『おまえは学会だ』とネットで書き記すのは見識が浅いどころの話ではない。デモなどにおいても、『在日をたたき出せ』『ゴミはゴミ箱へ、在日もゴミ箱に』と絶叫するばかりでは、偏狭どころか関東大震災の後のデマゴーグ再来である。
 我々が打倒すべきは反日勢力に加担するあらゆる勢力であり、反日政権国家を親日政権国家に転換することである。その鋭意努力なくして、尊皇攘夷・維新変革は成功しない。
 維新とは『詩経』大雅・文王篇の一節である『周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり』が語源である。要するに原点回帰の運動であり、我が日本にとっては神武肇国の基が原点であり、記紀万葉の浪漫である。
 また、攘夷の語源は春秋戦国であるが、幕末の維新運動に強い影響力を持った水戸学の雄、藤田東湖先生が「弘道館記述義」を著し、尊皇思想を位置づけたものである。その精神性は神儒一致、文武合併の精神であり、今日の排外主義とは似て非なるものである。様々な国民運動に関わっていくことは大事であるが、維新政党・新風の関係者たる者、絶対に民族排外主義、民族差別主義であってはならない。
 維新政党・新風の目指すものは、国家の誇りと日本の暮らしを取り戻すことである。国家の誇りとは国体明徴であり、日本の暮らしとは氏子、氏神、産土神の信仰に基ずく日本古来の伝統と文化であることを党員・党友は忘れてはならない。

瀬戸弘幸さんは、あるカルトを叩くために別のカルトと仲良くしても良いと考えているようですが… 『打倒すべきは反日勢力に加担するあらゆる勢力』という檄が飛んでいますね。

「極右」としての矜持を忘れ去ったのか?というのは、そういうことです。「極右」には「極右」の正論があるはずで、それをきっちりと世間にぶつければ、それなりの理解や支持が得られるはずです。

「靖国参拝」の問題を例に挙げれば

『国が戦没者のために慰霊するのは当然の責務であり、それが違憲というなら憲法や戦後体制が歪んでいる。それに乗じて国の責務を放棄せよと与党内から発言する政党は許せない。』とでも主張すれば良いでしょう。

間違ってるのは今の世の中だという「極右」らしいメッセージを明確に打ち出せるし、公明党の姿勢も批判出来ます。おかしな方法で「極右」の名を汚す必要は全くありません。

「極右」としての正論で戦わず、電波攻撃や集団ストーカーの被害者まで利用したり、靖国参拝に反対する左翼市議と結託したりといった、「極右」として恥ずかしい真似をして、どんどん自分の立場を悪くする。

『在日をたたき出せ』『ゴミはゴミ箱へ、在日もゴミ箱に』は、在特会が好んで使う言い回しですが、安直に議論の相手を創価学会員と決めつけたり、打倒すべき反日勢力と結託したりという点なども見ると、どう考えても、瀬戸弘幸さんや、その支持者あたりにフォーカスを当てて書かれた檄文ではないのでしょうか?

これは一部抜粋なので全文を穴が開くほど読むべきです。支持者の方々も含めて。今の瀬戸弘幸さんは、維新政党・新風が目指す日本古来の伝統・文化とかけ離れたところに居るんでしょう。だから、新風の中に居場所がなくなってしまったのではないですか?



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