拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年8月30日日曜日
瀬戸弘幸さん人生最大の宿題遺棄事件にワールドワイドウェブが挑む (その2)

私が、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』の全記事を読み返す中で最も違和感を覚え、かつ最も重要そうだとずっと思っていたものが、「セマウル運動」に関するものです。

せと弘幸Blog『日本よ何処へ左傾化する韓国に危機意識を持とう!より引用


 朝鮮半島は南北に分断され、「自由VS共産」というイデオロギーの厳しい戦いの中にあった。韓国は米国・日本と同盟関係にあり、日本も北朝鮮や・旧ソ連・中共との最前線に立つ韓国を支援してきた。

 これは国家だけの話ではなかった。私が右翼の活動を始めた頃は、民族派の団体有志は韓国の反共団体と協力関係にあり、相互訪問で親交を深めていた。今から25年ほど前の旧い話になるが韓国の農村ではセマウル運動が盛んに提唱され、我々もその応援で韓国の田舎にまで行ったものである。

 セマウル運動とは19世紀に二宮尊徳が行った農村改革運動と共通点が多く、故・朴大統領が尊徳の事績を参考にしたとは予てから指摘されていたが、日本側では「二宮尊徳の仕法とセマウル運動」には、両者の精神・手法には共通点があるとされ、日本においても韓国のセマウル運動と提携する農村があった。

 当時は非常に韓国の国民は親日的であったと思う。とても今日のこのような反日的な気運は私などには正直言って信じられない。冷戦の崩壊や韓国が経済的に成功を収め自信を深めたことが、かつての植民地の歴史に対する反発とナショナリズムの勃興と重なり、現在の状況が生み出されたと考えられる。

 だが、そのナショナリズムは韓国を誤まった方向に導きつつある。反米・反日はその裏返しとして北朝鮮への愛着となり、北朝鮮の共産主義体制の容認という取り返しのつかない思想的風潮が蔓延している。これに追い討ちをかけるような容共政策が次々に打ち出されてきた。

 そのような容共主義を徹底する上で、かつての日本の植民地時代における様々な問題が蒸し返され、それを絶対に許さないとした反日思想を拡大している。その延長線上にあるのが「靖国批判」であり、これは現政権が進める左傾化と連動している。

 現在、韓国社会において進行している左傾化は、武力を伴わないクーデターであり、もしこれが成功するなら韓国は北朝鮮に併合されてしまうだろう。これは信じられないが確率の高い予想である。銃声の音こそ聞こえないが、左翼共産主義革命は成功しつつある。

 我々日本人はこのことに余りにも無関心過ぎるのではないか。朝鮮半島の共産化は日本にとっては死活とも言える程に重要である。日本の古くからの歴史を見ても、古代で言えば白村江の戦い。蒙古襲来、日露戦争など、その多くが朝鮮半島と深く関わってきました。

 地政学的に見ても、日本がこの朝鮮半島の将来に無関心、或いは無関与であり続けることは、国益からみても大きな損失となるでしょう。ネット上では「韓国など北朝鮮に併合されてしまえば良い、ほっとけ!ほっとけ」という声もありますが、私は韓国における「反共・自由の青年戦士」達との共闘を呼びかけたい。               (瀬戸)


この記事に対する読者の猛反発で、やがて瀬戸弘幸さんはネトウヨや嫌韓厨らの熱意に折れるような形で、反共だけではなく、嫌韓も掲げると方針転換して行くことになるんですが、それほど美談ではなかったようです。

瀬戸弘幸さんは、恐らく故意に「セマウル運動」の情報を読者が正しく理解できないように紹介しています。実際、右翼のおじさんたちが野良仕事のボランティア作業をしに行くことのどこが共産勢力の阻止になるか理解できる読者は居ないと思います。

まず、『農業の近代化が何故、共産主義との戦いになるのか?』について、簡単に説明しておきます。

共産思想は、資本主義社会で搾取されている貧しい労働者階級の不満を苗床に成長します。

このシリーズの中盤以降で説明する予定ですが、『韓江(ハンガン)の奇跡』と呼ばれる韓国の復興事業は、1965年の日韓国交正常化の折に韓国に日本から渡された8億ドルが工業地帯や高速道路などのインフラ整備に重点的に投入され、農業は後回しにされました。

都市部と農村部の経済格差は激しくなり、共産主義者が農民たちの不満につけ込みやすい条件が揃ってしまっていたので、朴政権としては放置しておけなかった。

そこで、経済的に立ち遅れた農村部を近代化する。でも、それだけではなく半強制的に組織化、組合化することで農民同士を相互監視すること、更に共産主義に徹底的に対抗する思想を持った宗教を農村部に根付かせるという対抗策を取りました。

私のブログでも、江戸幕府が隠れキリシタン対策で仏教諸派の檀家制度を奨励し、事実上の戸籍制度とすることでキリスト教徒にならないようにした事などに少し触れたことがあります。

一時的にイスラム教が浸透した国家で、それを排除するためにあえて豚肉料理を奨励したというところもあります。異教徒を排除するために宗教を利用するというのは古今東西で見られる方法で、それを共産主義というイデオロギー対策に使ったということですね。

こうして、「セマウル運動」では農地開発や道路整備も行われましたし、伝統的なわらぶき屋根の家が近代的な家にどんどん建て替えられましたが、同時に、農民同士は共産主義に走らないようお互いを監視し合い、統一協会に入信するものも結構多く居ました。

で、統一協会と言えば霊感商法も有名ですが、悪名高いのが合同結婚式。

(何故か理由は紹介されないのですが)韓国農村部に信者が多い統一協会は、日本人女性を貧しい農村部の、嫁の来手がないところにどんどん嫁がせる。しばらくすると音信不通。行方不明。

New Presentation of Divine Principle, jap lang (※作業ミスでリンクが切れていたので修正しておきました)

統一協会の教義がプレゼンになっているもののようです。「セマウル運動」とのつながりを調べていて見つけたので、私は我慢してザックリ流し読みしましたが、気持ち悪かったので他の方々には全部読めとは言いません。ただ、394Pを見ると、セマウル運動は、しっかり統一協会の教義に組み込まれていることが分かります。

勝共理論ともバッチリ書いてあります。

これで、「セマウル運動」の概要は大体見えてきたと思います。瀬戸弘幸さんのエントリーを見ると、農業ボランティアに行ってきましたと書いてあるようにしか見えません。

そこには、かなり細かい誤魔化しのテクニックが使われているので、紹介していきます。

まず、エントリーが書かれた時期から25年ほど前の事らしいので1980年頃にセマウルに訪問していることになります。

2000年代に入って以降は、大分県の一村一品運動のように、セマウル運動と連帯する日本の農村と言えるようなものは出始めていますが、1980年頃は軍政が敷かれていましたね。

瀬戸弘幸さんたちが何度も足を運んだのは全斗煥政権の頃でしょうか? 軍政下の韓国では地方自治が長年凍結されていました。セマウル(新しい村)が自立的に他国の自治体と連動するのは無理ですね。

瀬戸弘幸さんは、むしろ「韓国の地方自治」でもお読みになって、勉強なさった方がよろしいでしょう。

瀬戸弘幸さん説によれば『盧武鉉のせいで左傾化した』ことになっていますが、このレポートによれば『盧武鉉のおかげで軍政から民主化が進み、特に地方自治の道筋がついた』と指摘されています。

『セマウル運動と日本の農村の連動は、朴政権以降、軍政下では見られない動きだったが、盧武鉉がその筋道をつけた。』と紹介しないと正確じゃないと思いますよ。

瀬戸弘幸さんは、『日韓の村同士でも交流があるくらいで、自分たちもそういうボランティアをしていたんだ』という印象を読者に与えたかったんでしょうが、軍政下の1980年前後にそれは絶対にあり得ない。

『当時は非常に韓国の国民は親日的であったと思う。とても今日のこのような反日的な気運は私などには正直言って信じられない。』と瀬戸弘幸さんは仰っています。

ですが、当時の軍事政権は、代替わりするたびに日本に謝罪と賠償を要求し続けてきたことを日本人は知っています。嫌韓厨は、反日教育の出発点が盧武鉉時代でないことも知っています。

瀬戸弘幸さんの盟友である桜井誠さん執筆の『嫌韓流反日妄言撃退マニュアル』を今回は参考にさせて戴きますね。

『一九四八年八月十三日の大韓民国建国以来、初代大統領李承晩から続く反日教育には、一応曲がりなりにも理由が存在した。もちろん極めて独りよがりの理由ではあったが、それなりに理解できる理由ではあった。つまり、韓国は建国当初から非常に貧しい国家であり、特に朝鮮戦争前後では世界最貧国の地位に甘んじていた。本来なら朝鮮半島は一つの国家として独立するはずだったmのを、李承晩らによる朝鮮半島南部地域だけの先行独立によって貧しさを強要されたとして国民の不満が鬱積しており、その不満のはけ口として徹底的に反日を打ち出し、自分たちの手によって引き起こされたはずの貧困の原因は「暴虐と非道、収奪の限りを尽くした」日帝によるものとして、政府への批判をかわそうとしてきた経緯がある』

如何でしょうか? 瀬戸弘幸さん。親日的と言われた朴政権ですら反日教育はせっせと行っていますし、全斗煥政権も反日教育をしていました。

軍政から民主化して、その後、北朝鮮と対話が進んでから確かに一気に反日教育の問題が表面化しましたが、下地づくりは瀬戸弘幸さんが熱烈に支持していた政権がせっせと作ったものですよ。

そして、『日本と韓国は反共の同士である!!』なんて日本からやってきた民族派右翼有志の方々を喜ばせそうなことを言う農民ばかり居たのなら、そのセマウルは、統一協会の勝共思想に完全に洗脳されていたと見て間違いありません。

瀬戸弘幸さんは、「セマウル運動」がどんなものか、正直に書きませんでした。また、セマウルで自分たちを歓迎してくれた人たちが、一般的な韓国人の国民感情とは別の思想を持った特殊な人々であることも、本当は承知しているはずなのに、そのように紹介しませんでしたね?

(その1)で一水会の鈴木邦男さんが、『われわれの仲間には何人か原理にオルグられたり、「合宿」に誘われて行ったことのある人間もいる。』という記事を書いているのを紹介しましたが、ネトウヨや嫌韓厨に対して、同じことをしていませんか?

自分たちの実態を教えずに誘う。一緒に闘おうと持ちかける。もちろんこれは大失敗に終わるわけですが・・・

だから、日本刀事件もちょっとアヤシイかな・・・? と私は思い始めているわけです。

まだ、「セマウル運動」については、さわりの部分しか語っていないので、次回に続きます。



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