拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年8月24日月曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その11)

松沢呉一さんにも取り上げていただけたようで恐縮です。相変わらずの乱筆乱文ですが、もうしばらく続けて行きたいと思います。

さて、自分たちの聖戦を、カルト同士の抗争に矮小化されるのは遺憾だと自称「極右」の瀬戸弘幸さんが吼えています。

私は傘の件はさほど深く突っ込む気はありませんが、ビラ撒き自体は、ごく素直に解釈すればカルト同士の中傷合戦レベルを超えるものではありません。

最初からそのように評価していますし矮小化とは考えていません。クダラナイカルト同士の中傷合戦に参戦しただけのおじさんが、それを正義の戦いであるかのように粉飾して大きく見せたがるのがおかしいだけです。

大真面目に考えると、瀬戸弘幸さん達がやっている事が『天皇陛下の国事行為に対する反逆行為』だったり、『議会制民主主義や法治国家の否定』だったり、『天皇陛下や国民が世界に対して恥をかくよう仕向ける国賊行為』と言えますが、そうした批判を切り離せば、犬も食わない醜い争いで、その片方に乗っかったアホなおっさんにしか見えません。

本当に「極右」としての矜持をもって戦うのであれば、「極右」としての政治的主張を、彼らの政治的主張にぶつけて見せるべきです。

瀬戸弘幸さんたちが主導する「行動する保守」は、こんな事を言うと『キレイごとばかり言うな!』と仰るかも知れませんが、瀬戸弘幸さんが今やっている事には、「極右」として国民に誇れるキレイな部分が全くないじゃないですか?

きちんと「極右」の正義を示しなさい。逃げるなチキン。って事です。キレイごとゼロで、汚い部分だけで世の中を回そうっていうのは土台無理なお話です。理想や理念がまずベースにあって、それを実現するために、キレイごとだけで通らない部分がありますよって言うなら、まだ理解のしようがありますが、瀬戸弘幸さんたちには、それすらもない。

昔なら「反共」という絶対正義を示しておけば、そのためのヨゴレ仕事は多少目をつぶる事が許されたでしょう。東西冷戦構造崩壊前なら、多少の荒事や汚い手段も、法令違反も、最終的には、国のため天皇陛下のために自分たちは泥をかぶる、汚名をかぶってでも最終的には国に奉ずると言い切れたでしょうが・・・

今のご時世に、瀬戸弘幸さん界隈の悪事を正当化できる言い訳は存在しません。

民主党批判をするときも、「コミュニスト」ではなさそうだけど、とにかく売国奴に違いないから自分たち愛国者を差別者として弾圧するに違いないといったおかしなロジックで、自分たちの支持者に危機感やプレッシャーを与えるような方法しか思いつかない。

宗教政党に対する姿勢を占めそうにも、彼らだって「コミュニスト」勢力ではないので、別のもっともらしい言い訳探しをしなければいけません。創価学会叩きで『カルトだから』という理由づくりに必死なのも、そのためですね。

間違った憲法解釈を広めようとしたり、『神のように崇める教祖を否定する人間を殺す危険団体』or『政敵を殺す危険な団体』というプロパガンダ作りくらいしか思いつけない。正攻法で戦う意思を今の瀬戸弘幸さんが持っていないからです。

そういう工作が許されるなら、そのロジックを「極右」に対してあてはめられるとどうなるか分かりますか?

『極右は天皇陛下や英霊を否定する人を狙って、放火や殺人を行い、それを褒め称える危険な団体!!』

こんな言われ方をしたら、瀬戸弘幸さんは絶対許せないでしょ? そういう事を創価に対してやっているわけです。

瀬戸弘幸さんが、創価学会を危険なカルトとして世間に認知させようとしているロジックを使うことで、そのまま「極右」思想を危険なカルトと断定することが可能になります。

こんな危険な団体は政治に参加してはいけない。あるいは、国家神道を国教にする「政教一致」の国づくりをしたがってるから違憲政党だと宣伝することもOKとなれば、「維新政党・新風」などは、永久に国政に出てはいけない事になってしまいますね。

つまり、瀬戸弘幸式の攻撃方法が一般的に「正当な言論」として認められてしまうと、「極右」思想や「極右」政党は、今後育たなくなって、後にはペンペン草も生えない不毛の大地が残されるでしょう。

しかも、東村山市議転落死の場合、瀬戸弘幸さんがこれまでに開示している情報や、裁判の結果から見るに、単なる言いがかりでしかないですね。

『創価学会が、池田大作を守るために朝木明代さんを殺した』と信じるに足る客観的な証拠はないのに、瀬戸さんはそのように宣伝したがっている。

それに対して、「極右」は、歴史を紐解けば、政敵の暗殺、天皇陛下や靖国に否定的な発言をした人物の暗殺、放火などの事件を度々起こしていますね。

瀬戸弘幸さんが、たびたび持ち上げる「大日本愛国党」は、『演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎を17歳の少年・山口二矢に刺殺させる』といった事件も起こしています。

瀬戸弘幸さん自身も、二度ほど右翼構成員が起こした放火事件を賛美するコメントを書いておられますね。お忘れとは言わせません。

創価学会は、政敵を殺したかどうかも分からないのに、それが事実であるかのようにウワサを流してバッシングする。
「極右」である自分たちは、それよりもひどい事件を『実際に!!』起こしているのに意にも介さない。

簡単に言ってしまうと、そういうことです。

だからといって、天皇陛下が邪悪なわけでも、天皇陛下を尊敬する国民が邪悪なわけでもありませんので、誤解しないで下さいね。

『一部の右翼さんたちは、それで人殺しまでする。その犯人を賛美する人もいる。その界隈は邪悪かも。』というレベルのお話でしかないです。

瀬戸弘幸さんが、創価学会を邪悪なカルトだとする理由の1つを、固有名詞抜きにして汎用的な文章にすると、以下のようになると思います。

『ある団体が、自分たちが崇拝する神や人などを思うあまり、それを否定する者を許せなくなる。その度合いが尋常ではなく、相手の身体や生命にまで危害を及ぼしても良心の呵責を覚えなくなる。こうした団体は危険なカルトである。』

上記文章は、まぁ正論だと思います。特に反対する要素はありません。

で、瀬戸弘幸さんは、創価学会がこの定義にあてはまる団体だと決め付けているので、傘による目突き事件は創価学会の仕業だというウワサを広めたい。そういうことですよね?

ですが、この定義にピタリと当てはまる「具体的な事実」が前科等で残されているのは、むしろ瀬戸弘幸さんたちだったりします。

『創価を叩いているオレたちこそ正義』という宣伝は、滑稽そのものです。創価学会に何も問題がないとは言いませんが、証拠もなく叩こうとしている瀬戸弘幸さん達は、叩こうとしている理由に関して前科持ちじゃないですか?

正直笑えません。どの辺が正義なのか、ご説明願いたいところです。特に『極右として』思うところを正直に述べていただきたいです。



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