拝啓 瀬戸弘幸 殿

平成21年10月10日、徐才喜冤罪事件の取材記録が瀬戸家の石倉から出てきたとの喜ばしい報告を下さってから、早いもので8ヶ月が経過しました。

地裁の判決文全文(特に公印は必須)と、新聞が大きく報じたという、徐才喜さんの逮捕の記事の公表はまだでしょうか?

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2009年8月21日金曜日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その10)

「維新政党・新風」という、選挙を通じて議席を得て公党になろうという目標を持つ集団の副代表を一時は務めていた、自称「極右」の瀬戸弘幸さんは、現在「公職選挙法」の抜け穴を探して、公平公正な選挙をぶっ壊そうと躍起になっています。

そもそも、衆議院選挙の公示が日本国憲法第7条第4項に規定される天皇陛下の国事行為であることも正しく理解されていないのではないでしょうか?

公平公正な選挙に泥を塗るということは、天皇陛下の国事行為に泥を塗るということです。それこそ「国賊」と言われる行為ですね。

公平公正な選挙ができない国は三等国家として諸外国に笑われます。天皇陛下や国民が、一部の狼藉者のせいで笑いものになる。「愛国者」を自称するものがやってはいけない事だとわかりそうなものです。

「公職選挙法」の目的は、『日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員ならびに地方公共団体の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思よつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期すること』です。

『選挙ポスターへの落書き』程度でも罪を問われるこの法律を前にして、『特定議員を落選させる目的で20万枚の中傷ビラ撒き』で逮捕されない方法を必死に探している瀬戸弘幸さん界隈を見ていると、この法律の立法趣旨や、その根本にある憲法の精神を守ろうという気は更々ないというのが分かります。

まず、ここまでの指摘で気に食わない部分がありますか?

東京12区だけを狙った事、事実上、太田氏狙いである事をHP上で包み隠さず表明してしまっている様子なので、特定候補に対する落選運動であるという判断は免れないでしょう。選挙後の手柄横取りのためだろうって方々で言われてますけど、太田氏のクビ狙いで落選運動してますよってもっと頑張って書き込むといいんじゃないでしょうか?

今頃あわてて削除したら、かえって違法性認識アリとなりますし、これからどうするんでしょうね?

逃げ切れるかどうかの要点は「公示前」というところだけでしょうね。黒田大輔さんがビラ配布の継続を表明していて、瀬戸弘幸さんらに止められなければアウトでしょうし、『ポスティングは公示前日にやめた』と主張しても、『有権者は公示当日に違法ビラを受け取った』という解釈で進められないとの保証はないですね。

留守宅の場合は、完璧に公示より後に有権者が違法ビラを見ることになるでしょう。ポスティングという手法を使うなら余裕をもって2日前くらいには配布を停止するべきだったと思うのですが。読み手の都合は知らないって瀬戸弘幸さん達は思うかもしれませんけど。ギリギリのタイミングの投函だと、本当に前日だったのか立証も出来ないでしょうしね?

りゅうさんのところで、刑事告発の話題が出ていたようですし、現時点で警察が受理する要件は既に満たしているようです。囲い込まれたのは、瀬戸弘幸さん達ではないかな、と私は思います。

仮に罪に問われずに逃げ切ったとしても、天皇陛下の国事行為に泥を塗った瀬戸弘幸さんは、「極右」として最低という非難は免れないと考えるべきですね。

ところで、瀬戸弘幸さんは右翼デビューなさった頃からクリーンな選挙がお嫌いだったんでしょうか?

瀬戸弘幸さんをウォッチして来た人達には機知の問題ばかりですし、新味のある話題は全くないですが、支持者の方々はいつもの如く『アーミエナイミエナイ』するでしょうか… ですが、少しだけ昔話をさせてくださいね。

自称「極右」の瀬戸弘幸さんは、本人の著書「ヒトラーの呪縛」で福島市役所勤務中に、糸山英太郎氏(自民党)の選挙に協力した際に、右翼団体のツテを掴んだとお書きになっているそうですね。その後、そのツテをたどって児玉誉士夫氏(戦後最大の右翼フィクサー)の民族思想研究会に入会という経歴。

まず、ここまで間違いありませんね?

糸山英太郎先生のHPで、瀬戸弘幸さんが応援した選挙についてご自身がお書きになっているコラムがありました。

ITOYAMA EITARO OFFICIAL HOMEPAGE PRIVATE COLUMN 「きれいな選挙などあり得ない」より一部抜粋

私は昭和49年7月の参議院選挙で戦後最大の選挙違反を出した。当時、私は田中角栄氏の推薦で自民党から立候補し、全国2000会場をキャンペーンして回り約80万票、全 国区13位で当選したが、その選挙活動は佐藤栄作氏の息子や山東昭子氏、宮田輝氏な どの有力な候補者が出ていたので苦戦が予想され、後援会や支援者達は票を取りまとめるために金を使った。その後選挙違反が発覚し、辞任要求を突きつけられた。が、 そのときに「殴られても蹴られても辞めない」と言い放って居直り、世論の圧力に屈 せず6年の任期を満了した。


ご自身が賄賂のばらまきを認めておいでです。瀬戸弘幸さんはこの選挙を応援なさったんですね。Wikipediaでもう少し事情を調べてみると『選挙期間中から金権選挙振りがマスコミの耳目を集めた。更に当選直後に大規模な選挙違反が発覚、選対本部長を始め経営していた会社の社員・ギャンブル関係者など142人が逮捕され、1287人が検挙されるという当時としては最大規模の選挙違反事件に発展した(特に義父の笹川了平は初犯だったにも拘らず、この選挙違反で実刑判決を受けた)。』といった事も書かれていました。

瀬戸弘幸さん自身は、この逮捕者には含まれていないのでしょう。含まれていたら、この時点で福島市役所に居られなくなったでしょうから。ですが、市役所職員が特定候補者の選挙応援をするのは、「地方公務員法」に違反していますよね? どちらにしても自慢できた話ではありません。

さて、そんな経緯で右翼デビューをなさった瀬戸弘幸さんは、田中角栄氏が、ロッキード事件後も政界引退しないことを糾弾するためと称して、静岡市長選挙に立候補した事があります。詳しくは、、我が回想録『静岡市長選挙出馬』というエントリーに武勇伝的に紹介されています。

読んでいただけば分かるのですが、この時の瀬戸弘幸さんは、あからさまに『バリバリの右翼』の格好で静岡市に乗り込んで、対立候補の田中派の候補者をバッシングしまくって大満足したようです。

これは当選目的でない立候補、市長になるためではない選挙活動ですね。どこか歪んだ「被参政権」の行使だったことは間違いないでしょう。「公職選挙法」に引っかからないように公示期間中に対立候補をバッシングするために立候補するという脱法行為の一種だったのではないでしょうか。

瀬戸弘幸さんの右翼デビューの契機となった糸山英太郎氏の金権選挙を吊るし上げたのは田中角栄氏でした。
ロッキード事件で田中角栄氏を追い込んでいたのは、瀬戸弘幸さんが右翼としてお世話になっていた児玉誉士夫氏でした。

右翼の世界の勢力図や人脈、派閥、対立、柵(しがらみ)などが、どこでどうつながっているか、私には分かりませんので、陰謀論ドップリで語っても仕方がないのですが、右翼内のご事情で静岡に恫喝遠征に行かれただけであって、静岡市民のための立候補でないのは確かですよね?

静岡市に定住して、静岡市長になるつもりは毛頭なかったでのではないですか?

『政治と金』に義憤を感じるのであれば、右翼デビューの足掛かりになった糸山英太郎氏の選挙が「金満選挙」だった事に何の憤りも感じなかったのでしょうか? 瀬戸弘幸さんは、それについて一度もコメントをした事がありません。

恐らく静岡市の有権者の皆さんにも、瀬戸弘幸さんが糸山氏の金満選挙を応援した過去などは一度も説明することなく田中角栄氏の批判をなさっていた事だろうと思います。(※間違っていたらどんどん反論して下さい。)

ですから、瀬戸弘幸さんは静岡市民のために立ち上がったのではなく、右翼の内部事情その他のために田中派バッシングしたくて静岡市に長期の恫喝遠征に行っていだけだと私は思っています。

民主党の小沢氏などの金の問題などを批判するのも結構なんですが、『政治と金』問題の原点として、是非とも糸山英太郎氏が今なお『きれいな選挙などない』と断言なさっている事なども視野に入れつつエントリーを起こして戴きたいものです。

瀬戸弘幸さんは、毎回カンパの使途を内緒にする体質なども問題になっていますが、右翼デビューの原点から『政治と金』問題がなんだかスッキリしない人だなと感じます。

少し話題が逸れましたね。昔話はこの辺で終わりにしましょうか。

「議席譲渡」という形で有権者を愚弄した左翼市議もそうですが、今回の選挙妨害も有権者や国民を舐めきっているからこそ出来る行為ですね。あるいは選挙をゲーム感覚で考えていて、常に裏技を探す感覚で遊んでいるんじゃないですか?

何よりも「極右」として天皇陛下に顔向け出来ないことをしている自覚をお持ちになるべきです。

【追記】
コメント欄で少し触れておいたのですが、『児玉誉士夫氏が田中角栄氏を追い詰めていた』という書き方は不適切でした。これでは児玉誉士夫氏が田中角栄批判の先頭に立っていた正義の味方だと勘違いする読者が居るかもしれません。

児玉誉士夫氏は、戦後の大物右翼かつフィクサーと呼ばれた人物で、ロッキード事件では、田中角栄氏とロッキード社の間を取り持ったとされています。このため、ロッキード事件発覚後は国民からも右翼からも集中的に非難を浴びていました。

で、その辺りを正確に伝えなおそうとロッキード事件の時系列を少し見ていたら、奇妙な事に気づいてしまいました。瀬戸弘幸さんの右翼デビューの頃と少し時期が符丁しているんですね。

少しご説明させて戴きます。

せと弘幸blog『日本よ何処へ』で瀬戸弘幸さんのプロフィールを確認しました。昭和27年生まれとあります。この時点では誕生日は未詳です。

瀬戸弘幸さんの、静岡市長選での武勇伝のエントリーを読み直して、その選挙がいつあったのかもネット等で色々と調べてみました。

昭和58年4月10日 第10回統一地方選挙。瀬戸弘幸さんは、32歳で静岡市長選挙に参加。

4月10日には32歳のお誕生日を過ぎていた。昭和27年1月1日~4月10日以前までのどこかが誕生日。大体のところが分かればいいので、お話を先に進めます。

瀬戸弘幸さんが、児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入会したのは24歳の頃。昭和51年初旬よりは後の事と考えていいですね?

【昭和51年初旬:右翼界隈のニュース】
2月 4日 アメリカ チャーチ委員会の公聴会でロッキード事件が始まり、児玉誉士夫の事件関与が明るみに出る。
2月14日 大日本愛国党緊急時局懇談会 赤尾敏総裁が児玉誉士夫は「右翼の風上にも置けない」と非難。
3月23日 児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件発生。「特攻機」を操縦していたのは、かつての右翼運動家。

瀬戸弘幸さんは、ロッキード事件が明るみに出た丁度その頃に児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入って、お世話になってるんですね。知らないとは言わせません。

で、田中角栄氏と児玉誉士夫氏はロッキード事件について一蓮托生じゃないんでしょうか?

せとblog内をくまなく検索しましたが、瀬戸弘幸さん自らがロッキード事件を理由に児玉誉士夫氏を批判した事はただの一度もありません。不思議なことです。ロッキード事件は許しがたい国賊行為ではないのですか?

瀬戸弘幸さんは、ロッキード事件で私服を肥やした児玉誉士夫氏の庇護の下で、右翼活動をしていた。間違いありませんね?

国民だけでなく、右翼の方々も児玉誉士夫氏を非難している時期に、そういう人物の門下生だったんですよね?

せとblogでも度々持ち上げ、静岡市長選のエントリーでもヨイショしている大日本愛国党の赤尾敏氏は、上記の時局懇談会において以下のような演説をなさっているようです。

『新聞などの報道によると児玉は「右翼の立看板」として紹介されている。これほど不愉快なことはない!赤化しつつあるわが国をまもるため滅私奉公するのが右翼としての本分である。しかるに政財界と癒着し寄生虫のごとくカネを吸い上げる児玉なる人物は右翼の風上にも置けない!児玉即右翼ではない!』

よりによってロッキード事件糾弾で静岡市長選に乗り込んだ赤っ恥記事の中で赤尾敏氏の名前を拝借して自分の権威を補強しようとしてしまったことについては、右翼としての良心の呵責や、恥というものを感じたりはしませんか?

田中角栄氏と一蓮托生だった児玉門下生だった瀬戸弘幸さんは、数年後には、そ知らぬ顔して田中角栄氏のロッキード事件を糾弾するという触れ込みで静岡市長選に殴りこみ。バリバリの右翼スタイルで対立候補をバッシングして回ったんですね。もちろんこの姿を見て、真面目に市長になりたくて演説をぶっていると思った市民は居ないでしょう。

どこまでもふざけた話だということが再確認できてしまいました。国民のための義憤、静岡市民のための義挙、そうした主張は一切通りませんね。

瀬戸弘幸さんは、静岡市の有権者の皆さんの前で田中角栄批判を展開するとき、ご自身が田中角栄と一蓮托生の児玉誉士夫門下の右翼であると正直に自己紹介なさいましたか?

また、当時を振り返るブログ記事も、政治と金の問題、不正を追及する正義の右翼の姿に見えるよう粉飾していますが、ご自分の右翼としての出自などを正直に書かないとペテン同然じゃないんでしょうか?



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2 コメント:

ワールドワイドウェブ さんのコメント...

『児玉誉士夫氏が田中角栄氏を追い込んだ』とだけ書いたのでは、児玉氏が批判追及する側の「正義の味方」と誤読させてしまいますね。

児玉氏はロッキード事件のフィクサー役で田中角栄氏と同社の橋渡し役でした。

時系列を見ていて気付いたのですが、米国でロッキード事件が明るみに出た頃と、
瀬戸弘幸さんが児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入会したのが同じ頃…

ロッキード事件をネタに他人様を批判する資格はなさそうです。

出先なのでとりあえずコメント欄に書いておきます。

2009年8月21日 13:22  

りゅう さんのコメント...

瀬戸氏の過去を洗う作業は非常に興味深いですね。

日々の記事につっこみを入れるので手一杯でそこまで手が回りませんでしたので、貴重な内容です。

2009年8月21日 23:54  

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